天長節は我が 今上天皇陛下の生れさせ給ひし日にして、 聖寿の長久を祝ひ奉る
此の日は、賢所、並びに皇霊殿、神殿の三前に於て祭事を行はせられ、群臣に
天長とは天長地久の語(『老子』)より出づ。則ち 聖寿の長久を祝する義なり。聖誕日を天長節と曰ふ事の起りは 光仁天皇の御世に在り。宝亀六年(皇紀1435年、西暦775年)九月壬寅の勅に
十月十三日ハ是レ朕ガ生日ナリ、此ノ辰ニ至ル毎ニ感慶兼ネ集ル、宜シク諸寺ノ僧尼ヲシテ、毎年是ノ日、転経行道セシムベク、海内諸国とのりたまひ、『同年十月癸酉、是日天長、大ニ群臣ニ酺シ、幷 ビテ屠ヲ断ツベシ、内外百官酺宴ヲ賜フコト一日、仍テ此ノ日ヲ名 ケテ天長節ト為ス、庶 クハ斯ノ功徳ヲ廻ラシ、虔 ミテ先慈ニ奉ジ、此ノ慶情ヲ以テ、普ク天下ニ被ラシメン
抑も此等の祝日を定め給ふは、衆庶と歓楽を共にせさせ給はんの大御心より出づ。臣民たるもの誰か
時の太政大臣三条実美公、及び従一位中山忠能公等これに奉答せり、その詞に曰はく、茲 ニ朕ガ誕辰ニ方 リ、群臣ヲ会同シ、酺宴ヲ張リ、舞楽ヲ奏セシム、汝群臣、 朕ガ偕 ニ楽ムノ意ヲ体シ、其レ能 ク歓ヲ尽セヨ、
茲ニ天長ノ佳節ニ方リ、 陛下群臣ヲ会同シ、酺宴ヲ賜ヒ、舞楽ヲ奏セシメ、特ニ辱クモ偕楽ノ 寵命ヲ拝ス、群臣感喜ノ此の勅語を奉読せば其意おのづから明かならん。至 ニ勝 ヘズ、豈 ニ歓ヲ尽クシ楽ミヲ極メザルベケンヤ、乃チ恭 ク 陛下ノ聖誕ヲ祝シ、万寿無彊ヲ祈リ奉ル、
今上陛下は第百二十四代 昭和天皇の皇子にして御名を
陛下には、 先帝陛下の大御心を御心とし給ひ、 玉体を労し、 叡慮を悩まし給ひ、黎庶に先だちて辛苦を甘んじ、常に苦楽を共にせさせ給ひしかば、国家の鴻基益々固く、君民の紐帯益々強く結ばるゝに至れり。特に災害の度毎に罹災者に寄り添ひ給ひ、また大戦に於ける戦死戦歿者の慰霊の為に国内のみならず世界各地の戦跡を行幸あらせらるゝに及びては、我等国民一同 畏き大御心に感涙せざる者なし。
我等が万世一系の有難き大御国に生れて安楽に暮らし得るは、これ皆偏へに 陛下の御仁恵によるなり。されば天長節に当りて、我等は謹んで 聖寿の万歳を祝し、恭しく宝祚の隆盛を祈り奉らでやはあるべき。