2017年2月11日土曜日

紀元節

紀 元 節


紀元節とは、每年二月十一日を以て御擧行遊ばさるゝ、我が大日本皇國紀元の大祝日にして、すなはち 皇祖神武天皇と稱し奉る所の、 神日本かむやまと磐余彥いはれびこのみことが、天子の御位みくらゐに即き給ひし御歲おんとしなり、

初め 天皇、日向國ひむかのくになる高千穗の宮にましまして、天下を治め給ひしかど、西隅せいぐうへんせるの故を以て、東國とうごく中國ちうごく等には未だ皇化に服せざる者あるを憂へ給ひ、諸皇子と謀り、舟師しうしを率ゐて、幾多の諸賊を滅ぼし、遂に大和國に入り給ひ、辛酉かのととりの春正月を以て、畝傍うねび橿原かしはらの宮に於て御即位の大禮を擧行せられ、あらたに元年をしるし給ひし、我が日本國民には最も印象深き尊き日なるにより、 明治天皇の大御代おほみよ知食しろしめすに當り、明治五年十一月十五日太陽曆御頒布の節、始めて之を祝日と定め給ひ、こゝに今年大正十二年は、乃ち二千五百八十三年なり、

されば宮中に於て畏くも 天皇陛下御親祭あらせられて、寶祚ほうそ天壤てんじやうと共にきはまり無からん事を祈祝きしゆくし給ふの御儀おんぎにして、正午よりは、皇族殿下、文武百官及び外國使臣等を豐明殿に御召出おんめしだしになり、御宴ぎよえんを賜ひ、優渥いうあくなる勅語を下し給へば、此時、總理大臣は群臣を代表して寶祚の無窮むきうを祝し、外國使臣もまた同樣、祝詞しゆくしを奉るので、まこと慶祥けいしやう比類なき、いとも目出度めでたき大典なり、

紀元節御親祭

さればわが 皇國の民たる者は、其國體の尊嚴なる、其紀元の悠久なる、其日章旗の神聖なる、廣き萬邦に對し、眞に超然として誇稱こしようき一大美點に在らずや、むべなり世界列强の民衆といへども、等しく瞻望せんばう欽羨きんせんして措かざること、

故宮內省御歌所おんうたどころ長、男爵高崎正風まさかぜ翁の「紀元節」と云ふ長歌はまことく此の理由を歌ひつくしあれば左に之を揭載せん、

仰げあふげ天壤あめつちの  あらん限りは榮えんと
あま御神みかみのたまひし  みことのままに高御座たかみくら
動かぬもとゐ建初たてそめし  神武のみかど智仁勇ちじんいう
そなはせる君にして  皇祖瓊瓊杵尊ににぎのみことより
日向ひむかの國の高千穗に  宮居みやゐ定めてまつりごと
しき給へれど恩澤おんたくに  まだうるほはぬ國多し
邑長いうちやうたがひに爭ひて  罪なき民のくるしむを
すくひ助けて天業てんげふを  おし弘めんと雄々しくも
おぼしたゝして皇子達みこたちと  大御軍おほみいくさをひきゐまし
西のはてより遙々と  ひむかしさしていでたたす
稜威みいつの風に草も木も  なびきしたがひ丹敷戶畔にしきとべ
兄猾えうかしはじめ兄磯城えしき等も  長髓彥ながすねひこもほろびけり
大和國やまとのくに橿原かしはらに  都をさだめ宮柱みやはしら
ふとしくたてゝ御位みくらゐに  のぼらせ給ふもろもろの
つかさを定め天下あめのした  鎭めたまへば大八洲おほやしま
また波風のさはぎなし  國民くにたみ喜びまつろひて
はつ國しらす天皇すめろぎと  あがめたふとみ天地あめつち
わかれし如く明かに  君臣くんしんの分さだまりぬ
地球のうちに國といふ  國はあれども浦安うらやす
國の名おひて外國とつくにの  人もうらやむたぐひなき
國をたてたる天皇すめろぎの  大御勳功おほみいさをに較べては
畝傍うねびの山も高からず  增田ますだの池も深からず
七千餘萬の皇國人みくにびと  もとを忘れず紀元節
祝ふ今日社けふこそ樂しけれ  祝ふ今日社けふこそ樂しけれ

ひとあやしむ、百年を以て一世紀とすれば、我が二千五百八十三年の紀元は、乃ち二十六世紀にして、西洋耶蘇やそ降生かうせいの紀元たる一千九百二十三年は、二十世紀なり、

今日世界國際上、時と場合とによりては、あるひは此の世紀を使用するのむを得ざる事あるしと雖ども、儼然世界の一等國として、獨立せし我が帝國國民が、奇を好むのきよく、自己の世紀を捨てすゝみて呼稱す可き事ならむや、

されば彼が二十世紀と唱ふる場合は、我は宜しく二十六世紀を以てす可し、何の足らざる所あり、何を苦しみて、我が神聖無比の世紀を捨てゝ、彼にならふ事をこれせんや、

試みに思へ、吾人の世に處する、固より傲慢不遜の態度ある可からずと雖ども、しかも更に自己尊重の氣節なく屈辱卑下して、他に盲從するが如き、そもそもこれ人間の能事のうじならんや、況や外に對しいよいよますます奮つて、國權を伸長せざる可からざるの時に於てをや、かくの如きは所謂、喬木を下りて幽谷に入る、尊外卑內の徒のみ、苟くも國家的の觀念に富める愛國人士の口にする事ならんや、

されば將來國家を形つくる所の、重任ある學生諸君、た國家の干城かんじやうたる軍人諸君に於ては、尤も深く愼まざる可からざる所なり、故に今紀元節の理由を序述するに當り、特記して迷夢を警醒する事しかり、


唱歌 紀元節

高崎正風 作詞
伊澤修二 作曲

   第一章
  雲にそびゆる高千穗の  高根たかねをろしに草も木も
  なびき伏しけむ大御代おほみよを  仰ぐ今日こそたのしけれ

   第二章
  海原なせる埴安はにやすの  池のおもよりなほひろき
  めぐみの波にあみし世を  仰ぐけふこそたのしけれ

   第三章
  天つ日嗣ひつぎ高御座たかみくら  千代萬代よろづよに動きなき
  もとゐさだめしその神を  仰ぐ今日こそたのしけれ

   第四章
  空にかがやく日のもとの  よろづの國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を  あふぐけふこそたのしけれ





(八雲都留麻『大祭祝日略説:国民宝典』、八重垣書院、大正12年)より

2017年2月10日金曜日

三種の神器のこと

我が国には、皇位の御しるしとして三種の神器があります。本文はこの三種の神器に就ての説明であります。

「日本書紀」に、「天照大御神は天津あまつ彦彦火ひこひこほの瓊瓊杵尊ににぎのみこと八坂瓊曲玉やさかにのまがたま及び八咫鏡やたのかゞみ草薙剣くさなぎのつるぎの三種の宝物をお授けになつた」とあります。即ち、天孫瓊瓊杵尊が大御神の御命令に従つて、日本の国(豊葦原とよあしはらの瑞穂国)を統治するために高天原たかまのはらをお降りになるとき、大御神からかの神勅と共に賜はつたのがこの三種の神器であります。この時の様子は、「古事記」に次のやうに書かれてあります。

瓊瓊杵尊が高天原からお降りになされる途中、天之八衢あめのやちまた(四通八達の要路を云ふ)に一人の神が立つてゐられた。その神の有様は、上は高天原を照し、下は葦原中国あしはらのなかつくに(日本国のこと)を照すといふ、まことに威風堂々たるものであつた。そこで、女神であるが、しつかりとした天宇受売命あめのうづめのみことを遣はして「何人なんぴとであるか」と問はしめられた。すると、その神は、「自分は国神くにつかみで、名は猿田毘古神さるたびこのかみといふものです。天神あまつかみの御子がお降り遊ばされると承つたので、道を御案内するためにお迎へに参つたのです」と云はれた。かくて、こゝに天児屋命あめのこやねのみこと布刀玉命ふとだまのみこと、天宇受売命、伊斯許理度売命いしこりどめのみこと玉祖命たまのおやのみこと五伴緒神いつとものをのかみを初め、多くの神々が御伴して天降られた。またこの時、神勅と共に三種の神器をお受けになつた。

三種の神器といふのは、八坂瓊曲玉、八咫鏡、天叢雲剣あめのむらくものつるぎ(草薙剣)であります。曲玉と鏡とは天の岩屋の前に於て捧げられたものであります。また、剣は素戔鳴尊が出雲のの川上で高志こしの八俣太蛇を退治なされたとき、その尾より得て、天照大御神に献上されたものであります。最初天叢雲剣と云つたのですが、その後、日本武尊が賊徒のために焼打なされようとされたとき、この宝剣を以て草を薙ぎ払ひ、難をまぬがれ給ふたので、それより草薙剣と申すやうになつたのであります。

皇祖は皇孫の降臨に際して特にこれを授け給ひ、それから後、神器はひきつゞき代々よゝ相伝へ給ふ皇位の御しるしとなつたのであります。従つて、歴代の 天皇は皇位をお承け継ぎになる際には必ずこれを承けさせ給ひ、天照大御神の大御心をそのまゝ伝へさせられ、殊に神鏡は皇祖の御霊代みたましろとして奉斎したまふので、このことは前に神鏡奉斎の神勅のところで説明された通りであります。

畏くも、今上天皇陛下〔註 昭和天皇の御事〕御即位式の勅語には、
朕祖宗ノ威霊ニツツシミテ大統ヲ承ケ恭シク神器ヲ奉シココニ即位ノ礼ヲ行ヒアキラカナンヂ有衆ニ
と仰せられてあります。

この三種の神器に就て、二三の学者の説を参考までに掲げてみますと、田中義能博士は、「この三種の神器は、神勅と共に、天照大御神の後世に垂れられたところの範を示されてゐるのである。一体我が国民は、天照大御神の神勅に従つて、遠大なる思想をもつて、秩序の統一を保ち、快活的現世的であつて、そしてどこまでも発展し、膨脹し、天地と共にきはまる所がないやうにあるべきである。さうするのに必要であるために、この三種の神器といふものが伝へられてゐるのである。従つて三種の神器は我が国に於て最も必要なものとなつてゐる。この三種の神器の中で、鏡は、大御神がこれをお授けになる時に詔されて、『この鏡をわが御魂として吾れを拝むやうに拝め』と仰せになつたことで見ると、鏡が最も重いやうに思はるが、三種の神器として大御神のお授けになつた場合には、決して優劣をつけてお授けになつたのではないと思はれる」といふ意味のことを述べてゐられます。

また、里見岸雄氏は、「天照大御神は、授国じゆこくの神勅を下されると共に、他方に於て、三種の神器を皇位の標示しるしとして、又皇道の表象として、これを天孫に授けられた」と云つてゐられます。また、伊藤武雄氏は神勅と神器との関係を述べて、「神勅はことである。神器は事である。国語に於て言と事とは一致する。共にである。そこに日本の惟神かむながらの道があらはれてゐる。即ち、神器はそれ自らに於て神勅を語る。天照大御神が、三種の神器を賜へるは、皇孫によつて、永久に大御神の神勅の活きんがためである。故にこの神器には、大御神の御精神がこもる」と説いてゐられます。

かくて、この三種の神器については、我が国に於ける政治の要諦を示されたものと解するものがあれば、また、我が道徳の基本を示されたものだと拝するものもあります。何れにしても、三種の神器には、天照大御神の偉大なる御精神がこもつてゐて、これが、万世一系、天壌無窮の皇位の御しるしであり、我が皇道の表象であり、日本国の道を示されたものであります。そして、何れの解釈を下さうとも、我が国民がひとしく神器の尊厳を仰ぎ奉る心に変りはないのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)

2017年2月9日木曜日

万世一系の皇位とは

我が国の皇位といふのは、万世一系の 天皇の御位であり、これは神代からたゞ一すぢにつゞいて来た御継承の御位であります。皇位は皇祖天照大御神の御子孫にましまし、御先祖の肇め給ふた国を承け継ぎ、泰平に統治することを大御業おほみわざとなさせ給ふ「すめらぎ」、即ち、天皇の御位であります。本文に見える「しろしめす」、即ち、「しらす」といふことは今日統治といふ文字があてられますが、これは君民一体となつて、了解の政治を行ふといふことであり、前にも説かれてゐましたやうに、皇祖天照大御神と御一体となつてその大御神の大御心を今にあらはし給ひ、国家を隆盛ならしめ、しも万民を慈しみ給ふ 天皇の御地位に他ならないのであります。

日本国民は、現御神あきつみかみにまします 天皇を仰ぐことに於て同時に皇祖皇宗を崇拝し、その深い御恵みの下に我が帝国の臣民となつてゐるのであります。かくの如き皇位は、尊厳きはまりなき高御座たかみくらであり、永遠に変ることなき我が国の大本であります。高御座と申すのは、天皇の御即位のときお坐りになる御座所のことで、つまり 天皇の御位のことであります。

この高御座に即き給ふ 天皇が万代たゞ一本の御血筋より出でさせ給ふ事は我が肇国の大本であり、天照大御神の神勅にも明かに示し給ふところであります。即ち、大御神の御子孫がひきつゞいてこの御位に即かせ給ふことは、永久に変ることのない我が国の正しい掟であります。

我が国は前にも申したやうに家族国家とも称すべきもので、国家全体が一つの大きな家族となつてゐて、君臣の関係はまた父子の関係の如き深いものがあるのですが、外国はさうでありません。多くの家族が集つて出来てゐる国家であります。つまり個人の集団によつて国家は成立なりたつてゐます。さういふ外国に於ては、君主は智とか、徳とか、力とかを標準にして、徳あるものはその位に即き、徳なきものはその位を去らねばなりません。また、権力によつて自由に支配者の位置に上ることが出来るのでありますから、その代りに権力を失つたものはその地位を逐はれるといふことになります。更に又、民衆の意のまゝになつて、その地位は選挙によつて決定せられるといふやうなのもあります。かやうに外国に於ける君主の地位といふものは、人間の行為や権力によつて自由勝手にこれを定めるといふことになるのであります。

ところが、この徳といひ、力といふが如きものは相対的のものであります。徳あるものが君主の地位についてゐたとしても、それ以上徳のあるものが現はれゝばどうなりますか。又、力あるものが君主の地位についてゐたとしても、なほその上に力のあるものが出ればどうなりますか。そこにはおのづから権勢や利害に動かされてみにくい争闘が生じ、君主の地位の奪ひ合ひといふやうな浅猿あさましいことになつて、血腥ちなまぐさい革命騒ぎなどが演じられるのであります。

然るに、我が国の場合は全然これと異つてゐます。我が国に於ては、皇位は万世一系の皇統に出でさせられる御方、即ち皇祖天照大御神からのたゞ一筋の御子孫によつてのみ継承せられることに定まつてゐて、それは如何なることがあつても絶対に動かないのであります。されば、かゝる絶対不動の皇位にまします 天皇は畏れ多くも自然にすぐれたる御徳をそなへさせられ、従つてその御位は益々鞏固で、又、まことに神聖なものであります。帝国憲法のことは、本文にも後になると出て来ますが、その第一条に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、又、第三条に、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあります。これは、天皇の御位は絶対不動のものであり、その御位にまします天皇は、又、最高絶対に神聖なものであることをはつきりと法律的条文によつて国民に示されたものであります。だが、かういふ法律的条文のあるなしに拘らず、私共日本国民にとつて、皇位は絶対不動のものであり、天皇は絶対神聖なものであります

我が国に於て臣民が天皇に仕へ奉るのはいはゆる義務ではありません。又、その権力に服するのでもありません。自然の心のあらはれであり、天皇陛下に対し奉る自らなる渇仰であります。たゞひたすらにしたがしたがひ奉らんとする心であります。神を崇敬する気持とも等しいものとも云へませうか、学者の中には、これを宗教的信仰と申してゐる者もあるやうです。私共国民は、この皇統の弥々いよいよ栄えます所以と、その外国に類例のない尊厳とに深く感激し、景仰し、万世一系の 天皇を奉戴することに対しての矜持ほこりと感謝とを覚えずにはゐられないのであります。

熱心なる日本主義者であり、我が国憲法学の権威であつた故上杉慎吉博士は、常々、「我が国に於て何物を失ふとも、失ふべからざるものは、万世一系の天皇である。天皇のおはします一事は、これ日本の日本たる所以である」と高唱してゐられたといふことでありますが、たしかに日本の日本たる所以は、世界に絶対に比類のないところの万世一系の 天皇を奉戴する一事であります。日本の特質はこゝに発し、日本の國體はこゝに基づき、日本精神もこゝに発揮され、皇道もこゝに生動すると申されませう。

なほ上杉博士は、わが 天皇と西洋の国王君主との歴史を比較して、わが 天皇の本質を述べてゐられますから、本文の解説を補ふ参考として述べておきませう。

わが国の 天皇は臣民を慈しみ給ふをもつて統治目的とし、かつ大御業の目的とせられるのであります。されば、国民和合といふことは日本国の誇るべき美点となつてゐます。然るに、ヨーロッパの歴史を見るに、国王と人民とが絶えず争闘をしてゐます。即ち、ヨーロッパ諸国では、国王の専制は極端に達し、暴虐無道を極めた、これに対して、人民の反抗心もたかまつて、遂には国王と人民との間に浅猿あさましい争闘を現出し、或は倒れ、或は起ち、争闘の歴史を繰返してゐるのであります。

然るに、我が国では、歴代の 天皇は臣民を愛撫慈養したまふをもつて、その目的とせられ、君民の間には美しい和合があるばかりで、ヨーロッパの歴史に見られる如き君民の争闘は、我が国民の夢にだに思ひ及ばぬことであります。我国に於ては、昔より臣民は陛下の大切な宝物だとされてゐます。そして、臣民の利益は 天皇の御利益であり、天皇の御利益は臣民の利益であつて、一致して離れることがないのであります。かくて、天皇は臣民を子の如く慈しみ給ひ、臣民はまた 天皇を神の如く崇敬し、奉仕するところに、我が國體の万邦に比類ない美しさが見られるのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)

天壌無窮といふこと

先に天壌てんじやう無窮むきうの神勅に就て述べられましたが、こゝでは天壌無窮といふ言葉の意味についてもうすこしくはしい説明がしてあります。天壌無窮とはその言葉の通りに解すれば、天地と共にきはまりのないといふことであります。しかし、この無窮といふことをたゞ単に文字の上のみで永久とか、無限とかに解して、時間的につゞくといふことにのみ考へるのは、未だその意味を充分に解しつくしたものとは云へないのであります。

大体、普通の解釈による永遠とか、無限とかいふ言葉は、単なる時間的の連続における永久性を意味してゐるのでありますが、いはゆる天壌無窮は、勿論さういつたやうな永遠とか、無限とかいふ時間的連続の意味をも持つてゐますが、なほそれよりも更に一層深い意義のあることを考へねばならないのであります。即ち、この言葉は過去から将来にわたるところの永遠をあらはすと同時に現在を意味してゐます。永久性と同時に現在性をも含んでゐるのであります。これはどういふことかと申しますと、現御神あきつみかみにまします 天皇の大御心や大御業おほみわざの中には、畏くも皇祖皇宗の御精神、御霊魂が拝せられますし又、この中に我が日本帝国の限りなき将来が生きてゐるのであります。

それで、天皇の御位が天壌無窮であるといふ意味は、天皇の御位は永遠のものであり、無限のものであるといふだけの説明ではいさゝか物足りないので、実に過去も未来も現在に於て一つになつてゐて、そこに我が国が永遠の生命を有し、無窮に発展すると解すべきであります。即ち、時間的連続に於ける永久性といつたものを超越して、もつともつと深い意味があるのです。そして、我が国の歴史は永遠の現在の展開であり、我が国の歴史の根柢にはいつも永遠の現在が流れてゐるのであります。こゝに、我が國體の現実性と積極性が見られます。

「教育ニ関スル勅語」の中に、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼フヨクスベシ」と仰せられてゐますが、これは、日本国民の各自が皇祖皇宗の御遺訓をよく承けつぎ給ふ 天皇に奉仕し、その大御心を奉戴し、日本臣民としての正しい道を踏み行ふところに実現せられるのであります。これによつて君民は一体となつて、国家は益々成長発展し、天皇の御位はいやが上にも栄え給ふのであります。畏くも日本国民の御親であらせられる 天皇は、その御一生を悉くその大御業のために奉仕遊ばされるのであります。

天皇には「わたくし」といふものがなく、すべては「おほやけ」であります。天皇の御位、それが御献身を意味します。されば、天皇は文字通り一切をその大御業にさゝげておいでになるのであります。かゝる世界に比類なきところの君主たる 天皇を奉戴する私共国民は又一切を 天皇にさゝげ奉つてゐるのであります。国民一致して君主に一切をさゝげる心を持てる国、それは世界に日本だけしかありません。日本の國體上さういふ国家になつてゐるのであつて、これは他国の模倣し得ざるところであります。こゝに日本帝国の絶大なる特質があります。

説明がすこしわきへ外れましたが、まことに天壌無窮の 天皇の御位は我が國體の根本でありまして、これを神代の昔、肇国の初めに当つて、我が國體の宣言として、万古不易に確立し給ふたのが天壌無窮の神勅であります。この天壌無窮といつた言葉には実にさういつたやうな深い意味があるのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)

2017年2月8日水曜日

神勅と皇孫の降臨

天照大御神は、「和魂にぎみたま」(平和の心)の神であらせられると共に「荒魂あらみたま」(戦闘の心)の神であらせられ、発展向上の精神と調和統一の精神とを合せ持つておいでになつて、その宏大無辺の大御心で国家創成の大事業を益々繁栄せしめ、発展せしめるために、こゝに皇孫を降臨せしめられ、有名な神勅を下し給ひ、それによつて君臣の大道を定め、我が国の祭祀と政治と教育に就ての根本を確立し給ふたので、我が大日本帝国の國體の基礎はこゝに出来上つたのであります。我が國體はかくの如き意味深い肇国の事実に始まつて、天地と共に亡びることなく成長発展するものであつて、万国に比類ないところの万世一系の 天皇を奉戴する國體の盛観は、すでにこの神勅の中に示されてゐるのであります。

て、天照大御神は皇孫瓊瓊杵尊ににぎのみことを降し給ふに先立つて、御弟素戔鳴尊すさのをのみことの御子孫であらせられる大国主神おほくにぬしのかみを中心とする出雲の神々が大命をかしこんで恭順せられたのであります。このことを今すこしくはしく説明して置きませう。

御姉君おんあねぎみ天照大御神の平和を好み給ふ御心に反対して、非常に争闘心の強かつた素戔鳴尊はとかく乱暴がすぎて、そのために大御神は天の岩戸に身をかくし給ひ世の中が暗黒になつたやうなこともありましたが、遂に八百万の神々から高天原たかまのはらを追ひ出され給ひ、その後、素戔鳴尊は出雲にお降りになつて、の川上で哀れな老夫婦のために高志こし八俣大蛇やまたのをろちを退治なされ、老夫婦の娘の櫛名田比売命くしなだひめのみことを妃として出雲の須賀といふところに宮居みやゐを作られ、御夫婦でお住ひになりました。その時お詠みになつたのが有名な
八雲やくも起つ 出雲八重垣やへがき 夫妻隠つまごみに 八重垣造る その八重垣を
といふ歌であります。

この素戔鳴尊の御子孫に大国主神(大国主命)といふ方があります。例の因幡いなばの兎をお助けになつたことで小学生にも知られてゐる有名なお方です。「古事記」には素戔鳴尊六世の子孫とあり、「日本書紀」には素戔鳴尊の御子とあります。どちらが正しいのか、そんなことをこゝで詮索する必要はありません。かく、この大国主神は大変偉いお方で、仲の悪い御兄弟の八十神からいろいろの迫害のあつたにも拘らず、忽ちのうちに出雲地方を平定して国土の経営につとめられたのであります。

当時、高天原では、天照大御神及び高木神(高御産巣日神たかみむすびのかみ)の命を受けて、天菩比神あめのほひのかみといふ方が出雲に降つておいでになりましたが、強大なる大国主神の勢力になびき、三年間も出雲に留まつたまゝ高天原に帰つておいでになりません。つゞいて出雲へお降りになつた天若日子あめのわかひこも大国主神の御女おんむすめ下照比売命したてるひめのみことを妻として、八年たつてもお戻りにならず、高天原への消息が全く消えました。そこで、今度は雉名鳴女きゞしななきめを遣はされましたところ、雉は天若日子の射た矢のために殺されてしまひました。かくして、天之安河原あまのやすがはらで出雲へ遣はすべき適任者に就て大会議が開かれ、その結果選ばれたのが建御雷神たけみかづちのかみであります。

建御雷神は、布都魂剣ふつのみたまのつるぎ(経津霊剣とも書く)を提げ、天鳥船神あめのとりふねのかみを従へ、高天原を出発して、出雲の伊那佐之いなさの小濱をばまに降り、波の上に剣をさかさに突き立てゝ、剣先にあぐらをかきながら、大国主神に向つて談判をなされました。
「自分は天照大御神と高木神(高御産巣日神)との命を奉じて来たのであるが、御身の支配してゐる葦原あしはらの中国なかつくには、大御神の御子が当然統治せらるべき国である。それについて御身はどう考へられるか」
と問はれました。すると、大国主神はその返答を御子の事代主神ことしろぬしのかみに譲られました。事代主神は大御神の御旨をたゞちに受容うけいれて、「謹んでこの国土を天孫に献上いたしませう」と答へた。ところが、大国主神のもう一人の御子建御名方神たけみなかたのかみは国土献上のことを手強く反対して、「誰だ、俺の国へ来てこそこそと内証話ないしようばなしをしてゐる奴は」と咎め、「さあ力くらべをしよう」と千引の岩を手先に捧げ、建御雷神に向つて戦ひを挑んで来られました。

さて力競べをなさると、建御雷神は非常に強く、建御名方神は大いにおそれて逃げ出されました。どんどん逃げて科野国しなぬのくに(信濃国)の洲羽海すはのうみ(諏訪湖)の在るところまで逃げて行かれました。建御雷神がそこまで追ひつめて行かれますと、「どうか助けてくれ、私は父神や兄神の仰せの通りにする。そして共に皇室のお守りをする」と建御名方神は誓はれました。信濃の官幣大社諏訪神社はこの方を祭神としてゐます。建御雷神はそこで出雲へ引返して来られて、もう一度大国主神に念を押されますと、大国主神は、
「たしかにこの国土は天照大御神の御子に奉ります。たゞ私の住居すまゐを立派に建てゝ下さるならば、私は遠い黄泉国よもつくににかくれてをりませう。また、私の多くの子達も、決して一人もこれに不服を申す者はありますまい」
と仰せになつて、隠退し給ひました。申すまでもなく、出雲の大社の祭神は、この大国主神を祭神とするのであります。かくして、つゝがなく使命を果された建御雷神は高天原に帰つて、そのことを天照大御神に報告なされたのであります。

こゝに於て、皇孫瓊瓊杵尊は豊葦原とよあしはら瑞穂国みづほのくにに降臨遊ばされることになりました。そして、この皇孫降臨に際して天照大御神は有名な天壌てんじやう無窮むきうの神勅を授け給ふたのであります。
豊葦原の千五百秋ちいほあきの瑞穂の国は、是れ吾が子孫うみのこきみたるべきくになり。宜しくいまし皇孫すめみまきてしらせ。行矣さきくませ宝祚あまつひつぎさかえまさむこと、まさ天壌あめつちきはまりなかるべし。
謹んでこの神勅の意味を説明すれば、日本の国はまさしく我が子孫のものが君主たるべき土地であるから、御身が行つてこれを統治しなさい、皇位の盛んなることは、天地と共に弥栄いやさかえるであらうといふのであります。

我が國體の神髄は、申すまでもなく万世一系の 天皇を戴き奉ることでありますが、その根拠はこの神勅にありまして、皇統の一系は神勅によつて定まり、厳たる君臣の道は神勅によつて示されてゐるのであります。かくて、我が日本帝国の基礎は実にこの神勅によつて築かれ、肇国の大精神は皇孫の降臨によつて万代不変の我が帝国に実現せられたのであります。

だが、こゝでちよつと注意しなければならないのは、すでに二三の学者によつて述べられてゐますやうに、この神勅の渙発は日本帝国の創成を語るものでなく、又、この神勅によつて我が國體が定まつたといふわけでもないので、我が国はこれ以前にすでに肇まつてゐたのでありますし、我が國體にしてもすでに神勅に掲げられるやうな事実は厳として存在してゐたのであります。それで、この事実の上に神勅が発せられたといふことは、これによつて、日本の國體を宣言せられ、確立せられたと見るべきであらうと思ひます。と云つて、神勅の尊厳はすこしも減じるものでありません。否、それだから神勅の尊厳は益々加はるのであります。それは、神勅によつて日本の國體が突如として作られたのではなく、あるがまゝの事実を宣言せられたのでありますから、これほど自然であり、確実であり、公正であることはないと云へるのであります。

さて、皇孫瓊瓊杵尊の降臨に際して、天照大御神の三種の神器(この三種の神器に就ては後にくはしい説明が出てゐます)をお授けになつたのでありますが、特に御鏡をお授けになる場合の神勅(これを神鏡奉斎の神勅といふ)には、
此れの鏡は、専ら我が御魂みたまとして、吾がみまへいつくがごと、いつきまつれ。
とあります。即ち、「この鏡をわが御魂として自分を拝むやうに拝めよ」と仰せられてゐるのであります。抑も御鏡は天照大御神の崇高なる御霊魂として皇孫に授けられ、御歴代の 天皇がこれを承け継ぎ給ふのであります。御歴代の 天皇がこの御鏡を承けさせ給ふことは、常に皇祖天照大御神と共にあらせられようといふ、まことに意味深い御心であります。されば、天照大御神の崇高なる御霊魂はこの御鏡と共に今になほましますのであります。天皇は、それで、この神勅の御旨に従ひ、常に御鏡を皇祖として拝し給ひ、大御神の御心を御心とし、大御神と御一体とならせたまふのであります。こゝに我が国に於ける神を敬ひ祖先を崇拝する――敬神けいしん崇祖すうその根本の意味がうかゞはれるのであります。

又、この神勅に次いで、
思金神おもひかねのかみは、みまへの事を取り持ちてまつりごとせよ。
と仰せられてゐるのでありますが、この詔の意味は、思金神が天照大御神の詔に従つて、常に御前の事を取り持ちて行ふべきことを明示し給ふたものであります。なほくはしく説明すれば、大御神の御子孫として現御神あきつみかみであらせられる 天皇と、天皇の御命令によつて我が国の政治を取り行ふものとの関係をはつきりと御示し遊ばされたものであります。即ち、我が国の政治は、いはゆる祭政一致であつて、上は皇祖皇宗の御神霊を祀り、同時に現御神として下万民を率ゐ給ふ 天皇の統治せられるところであります。されば、祭政の事に当るものは天皇の御心をよく奉戴して、至誠まことを以て 天皇を輔佐おたすけしなければならないのであります。かくの如く、我が国の政治は、極めて神聖なる事業であつて、決して勢力のある一方面のものが勝手に行ふべきものではないのであります。

こゝに於て、本書は、天皇の御本質を明らかにし、我が國體の精神をなほ一層はつきりさせるために、神勅の中にうかゞはれる天壌無窮、万世一系の皇位、三種の神器等についてその意義を悉しく説明されてゐるのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)