日本国民は、
この高御座に即き給ふ 天皇が万代たゞ一本の御血筋より出でさせ給ふ事は我が肇国の大本であり、天照大御神の神勅にも明かに示し給ふところであります。即ち、大御神の御子孫がひきつゞいてこの御位に即かせ給ふことは、永久に変ることのない我が国の正しい掟であります。
我が国は前にも申したやうに家族国家とも称すべきもので、国家全体が一つの大きな家族となつてゐて、君臣の関係はまた父子の関係の如き深いものがあるのですが、外国はさうでありません。多くの家族が集つて出来てゐる国家であります。つまり個人の集団によつて国家は
ところが、この徳といひ、力といふが如きものは相対的のものであります。徳あるものが君主の地位についてゐたとしても、それ以上徳のあるものが現はれゝばどうなりますか。又、力あるものが君主の地位についてゐたとしても、なほその上に力のあるものが出ればどうなりますか。そこにはおのづから権勢や利害に動かされてみにくい争闘が生じ、君主の地位の奪ひ合ひといふやうな
然るに、我が国の場合は全然これと異つてゐます。我が国に於ては、皇位は万世一系の皇統に出でさせられる御方、即ち皇祖天照大御神からのたゞ一筋の御子孫によつてのみ継承せられることに定まつてゐて、それは如何なることがあつても絶対に動かないのであります。されば、かゝる絶対不動の皇位にまします 天皇は畏れ多くも自然にすぐれたる御徳をそなへさせられ、従つてその御位は益々鞏固で、又、まことに神聖なものであります。帝国憲法のことは、本文にも後になると出て来ますが、その第一条に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、又、第三条に、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあります。これは、天皇の御位は絶対不動のものであり、その御位にまします天皇は、又、最高絶対に神聖なものであることをはつきりと法律的条文によつて国民に示されたものであります。だが、かういふ法律的条文のあるなしに拘らず、私共日本国民にとつて、皇位は絶対不動のものであり、天皇は絶対神聖なものであります。
我が国に於て臣民が天皇に仕へ奉るのはいはゆる義務ではありません。又、その権力に服するのでもありません。自然の心のあらはれであり、天皇陛下に対し奉る自らなる渇仰であります。たゞひたすらに
熱心なる日本主義者であり、我が国憲法学の権威であつた故上杉慎吉博士は、常々、「我が国に於て何物を失ふとも、失ふべからざるものは、万世一系の天皇である。天皇のおはします一事は、これ日本の日本たる所以である」と高唱してゐられたといふことでありますが、たしかに日本の日本たる所以は、世界に絶対に比類のないところの万世一系の 天皇を奉戴する一事であります。日本の特質はこゝに発し、日本の國體はこゝに基づき、日本精神もこゝに発揮され、皇道もこゝに生動すると申されませう。
なほ上杉博士は、わが 天皇と西洋の国王君主との歴史を比較して、わが 天皇の本質を述べてゐられますから、本文の解説を補ふ参考として述べておきませう。
わが国の 天皇は臣民を慈しみ給ふをもつて統治目的とし、かつ大御業の目的とせられるのであります。されば、国民和合といふことは日本国の誇るべき美点となつてゐます。然るに、ヨーロッパの歴史を見るに、国王と人民とが絶えず争闘をしてゐます。即ち、ヨーロッパ諸国では、国王の専制は極端に達し、暴虐無道を極めた、これに対して、人民の反抗心も
然るに、我が国では、歴代の 天皇は臣民を愛撫慈養したまふをもつて、その目的とせられ、君民の間には美しい和合があるばかりで、ヨーロッパの歴史に見られる如き君民の争闘は、我が国民の夢にだに思ひ及ばぬことであります。我国に於ては、昔より臣民は陛下の大切な宝物だとされてゐます。そして、臣民の利益は 天皇の御利益であり、天皇の御利益は臣民の利益であつて、一致して離れることがないのであります。かくて、天皇は臣民を子の如く慈しみ給ひ、臣民はまた 天皇を神の如く崇敬し、奉仕するところに、我が國體の万邦に比類ない美しさが見られるのであります。
『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)
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