そもそも神武天皇は正月
ところが明治5年の太陽暦への移行決定に際して、翌6年の太陰暦正月元旦、即ち太陽暦の当年1月29日が神武天皇の御即位日と定められました。
併し当時の国民の間で、紀元節は「旧正月」を祝ふ為のものとの誤解が拡まり、神武天皇御即位の日を祝ふものであるとの理解が拡まらないのではと心配した政府が、翌6年10月に、改めて紀元前660年の御即位日の新暦に該当する日(即ち新暦2月11日)を算出して定め直したのださうです。(そのほか孝明天皇の御命日が新暦の1月30日であつたのも、1月29日が忌避された理由ださうだ)
辛酉年春正月庚辰朔、天皇橿原宮 に即帝位 。是歳 を天皇の元年 と為す。
太陰暦の月日と太陽暦の月日とには、規則的な対応関係はないので、神武天皇御即位の日(即ち正月元旦)が新暦の2月11日に当たる年は、上の「辛酉」と明記された干支の条件、並びに御歴代天皇の御在位記録からして、紀元前660年以外にはあり得ません。(勿論、御歴代の記録が全て正しいと前提した上でのこと)
従つて、現在「建国記念の日」と称してゐる紀元節の日附が、明治6年に定められて以来変はらず2月11日であるといふことは詰まり、我が国は建国の年を戦前・戦後とも一貫して西暦紀元前660年に置いてゐるといふ事になります。
従つて、現在「建国記念の日」と称してゐる紀元節の日附が、明治6年に定められて以来変はらず2月11日であるといふことは詰まり、我が国は建国の年を戦前・戦後とも一貫して西暦紀元前660年に置いてゐるといふ事になります。
紀元節と呼ばうが、建国記念の日と呼ばうが、それが2月11日である、といふ事実は如何にも重要なことだと思ひます。
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