2019年2月7日木曜日

「現代かなづかい」の不合理――1「現代かなづかい」の實態③「じ」「ぢ」「ず」「づ」

第三の例外は、「じ」と「ぢ」および「ず」と「づ」の使ひ分けです。この場合の本則は、一音一字の原則からいつて、「ぢ」「づ」をやめ、すべて「じ」「ず」にするとなつてをります。問題はその「例外」です。やはり「ぢ」「づ」を用ゐなければならぬ場合があるのです。しかも、かなりたくさんある。原則的に槪括すれば、次の二つになります。

一 二語の連合によつて生じた「ぢ」「づ」
二 同音の連呼によつて生じた「ぢ」「づ」

前者に相當するのは、たとへば、「鼻」と「血」、「三日」と「月」、それぞれ二語を連ねて出來てゐる言葉である「鼻血」「三日月」のやうなものです。これらは「はな」「みかき」と書き、「はな」「みかき」と書いては誤りになります。それに準ずるものとして、國語審議會は次のやうな例を擧げてゐます(昭和三十一年七月の案)
あいそづかし かたづく ことづて ひとづて たづな けづめ ひづめ こぢんまり こづく こづかい こづつみ こづくり くにづくし こころづくし むしづくし
さらに廣田氏は「いれぢえ」「ちやのみぢやわん」「てぢか」「ばかぢから」「ほおづえ」「かいづか」「いきづかい」等〻數十語を列擧してゐますが、おそらくその種の例は無數にあり、かつ今後もふえてゆくことでせう。それはいいとして、次のやうな場合には、同じ二語連合でも、「ぢ」「づ」を用ゐず「じ」「ず」と書かねばならぬことになつてをります。
うなずく ぬかずく つまずく ひざまずく かしずく かたず みみずく いなずま きずな さかずき おとずれ さしずめ なかんずく あせみずく うでずく かねずく ちからずく きぬずくめ おのずから くちずから しおじ たびじ いえじゆう いちにちじゆう せかいじゆう
では、何を根據にしてその差を識別し書き分けるのか。それはもちろん語源であります。現在一語をなしてゐるそれぞれの語を語源にさかのぼつて二語の連合であると分析しうる語意識であります。それだけに語意識が今日もなほ生きてゐると認められる場合は、「じ」「ず」か「ぢ」「づ」かを嚴密に書き分けねばならぬといふのです。「小さなつつみ」だから「こつみ」、「小さな造り」だから「こくり」で、さて、「口ずから」は……となると、この「ずから」は一般に語源が解らないから、解らぬ場合は「す」の濁り、すなはち「口から」でいい。かういふふうに書き分けるわけです。早い話が問題の「現代かなかい」は「かな」を「つかう」といふ語意識が生きてゐるから、「づ」でなければならない。もちろん、語意識が生きてゐるのは「ぢ」「づ」の場合だけではなく、「じ」「ず」の場合も生きてゐる。「帳尻」は「帳面の尻」といふ意味だから「ちようり」でなければならない。「手漉きの紙」は「手ですいた紙」の意味で、「變な手つき」の「手つき」とは無關係だから、「てきの紙」でなければならない。もつとも「機械的」記憶法からいへば、「じ」「ず」の場合は、たとへ語意識が生きてゐて語源をしかと認めうるときでも、そんなことは無視して、單純に「ぢ」「づ」以外は「じ」「ず」とおおぼえておけばいいといふことになりませう。

それにしても解せないのは、語意識が生きてゐるかゐないかの判定はどこにあるのか、それを誰がくだすのかといふことです。「たな(手綱)」には「綱」の語意識があり、「きな(絆・生綱)」にはそれがないといふ。「おおめ(大詰)」や「すしめ(すし詰め)」では「詰め」が生きてゐて、「さしめ(さし詰め)」では死んでゐるといふ。「むしくし(蟲盡し)」では「づ」で、「きぬくめ」では「ず」になる。しかし「蟲くし」と同樣に「絹くし」といふ言葉も當然あるわけですが、さうなると「絹くし」では「づ」で「絹くめ」では「ず」になるといふ、まことに奇妙づくめな話になります。

そもそも語意識が生きてゐるかゐないかなどといふことは、誰にも判定できることではない。また判定の目やすなどどこにもない。言葉は生き物です。今日、使はれる言葉はすべて生きてゐるのだし、過去に使はれた言葉もすべて生きてゐるのです。したがつて語意識も生きてゐる。人がみづからそれと氣づかぬ場合にも生きてゐる。さういふことに國語改良論者はもつと謙虛にならなければいけません。第一、他人の、この私の語意識を勝手に判定し、藪醫者やぶいしやではあるまいし、生きてゐるのゐないのと無責任な診斷を下すなど、もつてのほかの僭越せんゑつであります。さうではありませんか、「ひざまく」は「膝」と「突く」だと意識してゐるものにたいして「ひざまく」と書けといふのは、その生きてゐる語意識に死を宣吿、あるいは暗示、命令するやうなものです。

しかも右の「ぢ」「づ」と「じ」「ず」の二表を較べてみれば、それだけでもなんの根據もないことが明らかですが、さらに「じ」「ず」の表のうち「ぬかずく」「きずな」には星印がついてゐて、「*印の語については、語構成の分析的意識において個人差があるので、そこに見解の相違もあろうといっている」さうであります。かういふことを言ふやうでは、國語審議會など一日も早く解散してしまふにしくはありません。なぜ「ぬかずく」「きずな」の二語だけに「個人差」があるのですか。どの言葉にも「個人差」はある。問題は程度でせう。が、この場合、右二語と同程度に、あるいはそれ以上に「個人差」のはげしい言葉がたくさんあるではありませんか。のみならず、この國語審議會案の表は昭和三十一年七月のものです。私が金田一博士と論爭したのはその前年です。そして、そのころは「けめ」「こんまり」はいづれも「けめ」「こんまり」となつてゐて、その矛盾を私は指摘しておいた。もちろん「ぬかずく」「きずな」も、やはり同表の他の例と一緖に矛盾を指摘しておいたものです。なるほど、たとへ「けづめ」「こぢんまり」の二語だけでもこちらの言ひぶんが通れば、國語審議會にもまだ脈があるといへるかもしれません。が、私はさうは思はない。それは妥協に過ぎず、機構いぢりと同じく整理のための整理でしかありますまい。第一、困るのは、その無定見、無責任です。が、このやうに變ることそのことが、語意識に「個人差」どころか「時期差」があることを、したがつて怱卒に語意識の死など判定できぬことを、審議會みづから證明したものと言へませう。

さらに、それが彼等の妥協にすぎず、したがつてその改正になんの筋も通つてゐないことは、次の事實によつて明らかです。二語連合において生ずる濁音「ぢ」「づ」の扱ひの矛盾として私が指摘した他の例に「心中」「意地」等があります。前者の「中」は「曾根崎心中」では濁つて、「心中を察する」では澄んで發音します。ところが、右の三十一年七月案にも、「世界中」「家中」「一日中」等すべて「――ゆう」と書けと指定し、御丁寧にも「〈ゆう〉と書く場合はない」と頑固な註を施してある。しかし、「世界中」「心中」の「――ゆう」が「中心」や「中學校」の「ゆう」であるといふ程度の語意識は、「個人差」も何もない、どんな子供でももつてゐるでせう。それをしも「――ゆう」とせよとは、全く理解に苦しみます。なほ後者の「意地」ですが、「地」はつねに「じ」と書けといふ。なぜなら「地面」「地震」のごとく、語頭においてもなほかつ濁つて發音する場合があり、「意地」「生地」等の「地」を二語連合のための濁音とは考へないことにしたからだと述べてをります。かうなると、あきれてものもいへない。それなら「田地」を「デン」とも「デン」とも兩樣に發音してゐる事實についてはなんと說明するのか。

次に、同音の連呼によつて生じる「ぢ」「づ」の場合ですが、これは「ちむ」「つく」のやうなもので、さらに「つれれ」「つくく」などにも適用され、いづれも「ぢ」「づ」をそのまま生して書きます。ただし「いちるしい」「いちく」では元來、「じ」なので「ぢ」とはしない。また「五人つ」などは歷史的かなづかひでは「つ」ですが、これは同音の連呼とは言へないといふ理由で「つ」と書かなければいけません。「つ」なら同音連呼で、「つ」ならさうではないといふ根據がどこにあるのか疑問ですが、それよりも同音連呼とは何か、ほとんど意味をなさぬ言葉だと思ひます。國語の性格上、これは大事な問題ですから、あとでゆつくり考へてみませう。

ところで、連濁について、もう一つ附則があります。「舞鶴」「沼津」のやうな固有名詞の場合です。これらの地名は漢字とどれだけの關係があるか解らないから、「まいる」「ぬま」と書いてもいいわけだが、ただ漢字と倂記することが多いので、鐵道方面では「ず」とせず「づ」としてをり、それは昭和二十二年に文部省と運輸省・建設省地理調査部との話しあひの結果だといふことです。ここで私たちはもう一度あきれかへらなければならない。「漢字とどれだけの関係があるか解らない」とは何事か。もともと訓よみの漢字はすべて宛字あてじです。ですから、ここは好意的に解釋して「漢字で表示された意味とどれだけの関係があるか解らない」のつもりと見なします。むしろ「意味とどれだけの関係があるか解らない」といへばよろしい。漢字との倂記が氣になるといふことなら、「津」も「こく△△づ」すくなくとも「づ」と書かねばならなくなるでせう。後者では、歷史的かなづかひと同じになります。しかも、「國府津」の場合は明らかに「意味」と關係があります。昔、この近くに國府があつて、その門戶としての津(港)といふことから、この名が起つたといふ、その種の起源說は總じてあてにはならぬといふ懷疑主義をとつたにしても、後人がそこに「意味」を假託する氣もちは否定しえません。「沼津」の「津」にはもちろん、「舞鶴」の「鶴」にも、ちやんと「意味」があるのです。それが「解らない」とか「無い」とか言ふのは、「さしづめ」や「きぬづくめ」では「づ」の語意識が死んでゐると診斷したのと同じ僭越であります。
〔引用者註〕海上自衞隊の護衞艦「いずも」は、歷史的に本當は「いづも」と書くべきなのである。間違つた表記にしてゐると、出雲大社の御加護を賜はれないのではないかと心配になるのである。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月6日水曜日

「現代かなづかい」の不合理――1「現代かなづかい」の實態②長音の書きかた

第二の例外は、「お列」長音の書きかたであります。「現代かなづかい」では、この「お列」を除いて、「あ・い・う・え」四列の長音は、それぞれ該當音の下に、それと同音の母音の「あ行」文字、すなはち「あ」「い」「う」「え」を附けて表し、「おかさん」「しの木」「つしん」「ねさん」と書くことになつてゐます。この筆法でゆけば、「お列」長音は該當音の下に「お」を附けるべきですが、それがさうはゆかない。「お」の場合と「う」の場合と二つあるのです。しかも、その二つのうち「う」を附ける場合を「本則」としてゐるのです。じつは「本則」も何もあつたものではない。「本則」といふなら、むしろ「お」を附ける場合をさう呼ぶべきですが、そのはうが數が少く、「う」を附ける場合のはうが數が多いので、それを「本則」と呼んでゐるだけです。國語改良論の立場からは、質より量を重視すべしと言ふことでもありませう。

ところで、「う」と「お」の差別はどうなつてゐるか。まづ例をあげませう。「う」を附けるのは「扇(おぎ)」「おとさん」「行こ」の類で、「お」を附けるのは「氷(こり)」「狼(おかみ)」「大きい(おきい)」「通る(とる)」の類です。前者が「本則」なら、なぜ後者の「例外」を設けなければならないのか。廣田氏の說明ではかうなつてゐます。後者は歷史的かなづかひではすべて「ほ」であり、「こり」「おかみ」「おきい」「とる」と書いてきた。その「ほ」が「お」に變つただけで、それを長音とは考へず、母音が二つ重つたものと考へるといふのです。事ごとにいいかげんな理窟づけで、默つて見すごすのは容易なことではありませんが、もう暫く我慢しませう。とにかく右の例は歷史的かなづかひで「ほ」と書かれてゐたものに限るわけですが、かうなると、「現代かなづかい」を正しく書き分けるために歷史的かなづかひの知識を必要とするといふことになります。その弱點は當事者にもさすがにうしろめたいと見えて、廣田氏は「さいわいに実際問題としては、この種のことばは次に掲げるように少ないので、それらを機械的に覚えておけばいい」と辯じてをります。「機械的」におぼえておけとは言ひ得て妙であります。「現代かなづかい」「当用漢字」の制定に現れた國語改良論の精神を一言にして盡してゐるからです。それはさておき、その「機械的」記憶を必要とする「例外」は次の十八語です。
おおやけ(公) こおり(氷) ほのお(炎) おおせ(仰せ) おおきい(大きい) とおい(遠い) おおい(多い) とおる(通る) こおる(凍る) とどこおる(滯る) もよおす(催す) いきどおる(憤る) おおかみ(狼) ほおずき おおよそ おおむね おおう しおおす (以下福田追加、「おおかた」「ほおかぶり」等〻)
右以外の「お列」長音はすべて「う」を附けて書くことを本則とすると申します。したがつて「王子」「往時」は「おじ」で、「都大路」は「都おじ」、「高利」「行李」は「こり」で、「氷」は「こり」となる。さらに「大阪」は舊「おほさか」なるがゆゑに「おおさか」と書き、「逢坂山」は舊「あふさかやま」なるがゆゑに、すなはち「ほ」ではなく「ふ」であり、かつそれに先だつ文字は「あ」でも、「お列」の「オ」であるがゆゑに、本則どほりに「おうさかやま」と書かねばなりません。しかし「逢ふ」「會ふ」だけなら、前出「は行」音の項で申しましたとほり、「現代かなづかい」では「あう」でなければならない。それが發音どほりといふものです。したがつて「逢坂山」は「あうさかやま」でなければならない。さうなると、「逢ふ」を「大」と同じに發音した古人はけしからんといふことになる。なんだか頭が變になつてきました。なんでもいいから「機械的」におぼえておけといふのでせうが、「機械的」記憶もここまで要求されると、もともと「機械的」に出來てゐない頭腦の場合、下手をすると「生理的」變調を來しかねません。
〔引用者註〕テニスの大坂選手は現代假名遣で「おおさか・なおみ」、歷史的假名遣で「おほさか・なほみ」となり、レッツゴー三匹の逢坂じゅんさんの場合は現代假名遣「おうさか・じゅん」、歷史的假名遣「あふさか・じゆん」となるのである。
なほ、以上のほかに「お列」長音の「例外」がもう一つあります。これまた全然別種の「例外」で、「ほ」ではなく「を」の場合です。すなはち「十」は舊「とを」であるから、「現代かなづかい」では「と」ではなく「と」と書かねばならない。「を」はすべて「お」だといふ原則があるからです。これも歷史的かなづかひを知らないと納得できぬ一例です。
〔引用者註〕「申す」は元々「まをす」なのであるが、それが早い時期に「モース」と發音されるやうになつたので歷史的に「まうす」と書かれてきたらしいのである。この時點で旣にこれは表音的なのであるが、今度はその「まうす」を歷史的假名遣と看做して、現代假名遣で「もうす」にしたことで、最初の「まをす」と全く關係が切れてしまつてゐて、どうなのかと思ふのである。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月5日火曜日

「現代かなづかい」の不合理――1「現代かなづかい」の實態①表音主義の原則

一 「現代かなづかい」の實態


昭和三十一年の春、文藝家協會が「現代かなづかい」と「当用漢字」について、その意見を會員に求めたことがあります。その項目の一つに「現代かなづかいの內容についてどう思ふか」といふのがあり、囘答者百五十四名中、「全面的に支持」が二十五人、「全面的に反對」が二十一人、「舊かなづかひ改訂の趣旨には基本的に贊成だが、內容と適用には檢討の餘地がある」といふのが百六人、「その他」が二人となつてゐます。このうち「全面的に支持」といふのは、原則や目的についての支持を積極的に强調しただけのことで、その細部については「內容と適用には檢討の餘地がある」とした百六人とさう違ふはずはありますまい。なぜなら、當事者である國語審議會や文部省にしたところで、現狀をそのまま「全面的に支持」してゐるわけではないからです。すなはち、どんな案を持ちだしたところで、かういふ問題に「全面的に支持」などありえぬ、さういふことを前提とした上で、「全面的に支持」と答へたのに相違ありません。したがつて、百五十四人中百三十一人が「舊かなづかひ改訂の趣旨には基本的に贊成」といふことになります。

そこで私は一つの疑問をもつ。多くの人〻が「基本的には贊成」としてゐる「舊かなづかひ改訂の趣旨」とは何かといふことです。それがどういふものであるか、彼等ははつきり諒解してゐるのでせうか。その「趣旨」ないしはそれを成りたたせるための原則について、彼等と國語改良論者との間に、どこか話の食ひちがひがありはしないか。私はさういふ疑ひをもつのです。さらに、私は疑ふ、もし彼等の側に誤解があるとすれば、國語改良論者はその彼等の誤解をこそ、むしろ德とすべき事情がありはしないかと。これは單なる私の勘ぐりではありますまい。その誤解は、そもそも協會側が質問箇條として右のやうな一項目を設けたことのうちに示されてゐると言へませう。私に言はせれば、この問ひそのものが矛盾を含んでゐる。「現代かなづかい」について、その內容の具體的な細部に疑問をいだきながら、同時に一方ではその「趣旨」や原則を「基本的に」受け入れるなどといふことは、一見もつともらしい現實論であるかのやうでゐて、じつは全く不可能なことなのです。なぜなら、その內容の細部に現れたうべなひがたい矛盾は、いづれもその「趣旨」が無理であることから、またその原則それ自身に內在する矛盾から生じたものにほかならないからであります。

「現代かなづかい」のいはゆる內容、すなはちその細部を檢討するまへに、それがいかなる原則によつてゐるかをあらかじめ知つておかねばなりません。文部省國語課の廣田榮太郞氏は國語審議會の意を受けて、次のやうに書いてをります。
現代かなづかいは、より所を現代の発音に求め、だいたい現代の標準的発音(厳密にいえば音韻)をかなで書き表わす場合の準則である。その根本方針ないし原則は、表音主義である。同じ発音はいつも同じかなで書き表わし、また、一つのかなはいつも同じ読み方をする、ことばをかえていえば、一音一字、一字一音を原則としている。(かなづかひ原文のまま。以下同樣)
この原則については、なほ徹底的な考察を要しますが、それは本章の二に讓ることにして、この一音一字、一字一音の表音主義といふ原則がそのまま適用できぬ例外のあることを、まづ私たちは知らなければならない。それらを一つ一つ克明に檢討してゆきませう。

第一の例外は、助詞の「は」「へ」「を」であります。表音主義を原則とするなら、「私」「東京」「水」と書くのはをかしい。どうしても「私」「東京」「水」と書かねばならぬはずだ。さもないと、「は」「へ」は文字どほりに「ハ」「ヘ」と發音する場合と、「ワ」「エ」と發音する場合と二通りになつてしまふ。それでは一字一音ではなくて、一字二音です。また、「オ」の音に「を」を用ゐなければならぬとすると、同じ「オ」の音に「お」の字があり、したがつて一音一字ではなくて、一音二字になつてしまひます。もちろんそのほかの場合は、たとへば、舊「にとり(鷄)」「かる(代)」も「にとり」「かる」と書くことになつてをり、舊「かる(歸)」「たとば」も「かる」「たとば」となつてゐる。「は」「へ」だけでなく、すべての「は行」音がさうなつてゐて、「こ(戀)」は「こ」、「あ(會)」は「あ」、「か(顏)」は「か」と書きます。それが表音主義、すなはち發音どほりといふことでせう。それなのに、「私は」「東京へ」などの場合に限り、發音に隨はぬのは、どういふ理由からか。しかし、文句はあとまはしにしませう。

さて、この助詞「は」「へ」の項には、次のやうな附則がついてゐます。「は」「へ」は、たださう書くことを「本則」とするといふだけのことで、「わ」「え」と書いても「誤りとはしない」といふのです。「例外」にまた「例外」を認めてくれるとは、まさに寬大なる親心といふべきものでせうが、それで安心してゐるわけにはゆかない。なぜなら、助詞「は」「へ」は「わ」「え」と書いても誤りではないが、助詞「を」だけは「お」と書いては誤りとされてゐるからです。「を」は間違つても「お」と書いてはならず、「を」と書かねばならない。一體、これはどういふわけか。その理由が解りますか。それも、文句はあとまはしにしませう。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月4日月曜日

表音的假名遣は假名遣にあらず⑥

  六


以上述べたやうに、假名遣と表音的假名遣とはその根本の性格を異にしたものであつて、假名遣に於ては假名を語を寫すものとし、表音的假名遣に於ては之を專ら音を寫すものとして取扱ふのである。語は意味があるが、個々の音には意味無く、しかも實際の言語に於ては個々の音は獨立して存するものでなく、或る意味を表はす一續きの音の構成要素としてのみ用ゐられるものであり、その上、我々が言語を用ゐるのは、その意味を他人に知らせる爲であつて、主とする所は意味に在つて音には無いのであるから、實用上、語が個々の音に對して遙に優位を占めるのは當然である。さすれば、假名のやうな、個々の音を表はす表音文字であつても、之を語を表はすものとして取扱ふのは決して不當でないばかりでなく、むしろ實用上利便を與へるものであつて、文字に書かれた語の形は、一度慣用されると、全體が一體となつてその語を表はし、その音が變化しても、文字の形は容易にかへ難いものである事は、表音文字なるラテン文字を用ゐる歐洲諸國語の例を見ても明白である。かやうな意味に於て語を基準とする假名遣は十分存在の理由をもつものである。

しかしながら、假名遣では十分明瞭に實際の發音を示し得ない場合がある故、私は、別に假名に基づく表音記號を制定して、音聲言語や文字言語の音を示す場合に使用する必要ある事を主張した事がある(昭和十五年十二月「國語と國文學」所載拙稿「國語の表音符號と假名遣」)。然るに右のやうな表音記號としては、一二の試案は作られたけれども、まだ廣く世に知られるに至らないが、表音的假名遣は、前述の如く、その實質に於て假名を以てする國語の表音記號と同樣なものであり、表音記號としてはまだ不十分な點があつても、それは必要な場合には多少の工夫を加へればもつと精密なものともなし得るものであり、その上、臨時國語調査會の案の如き、多くの發音引國語辭書に於て發音を表はす爲に用ゐられて比較的よく世間に知られてゐるものもある故、之を簡易な表音記號に代用するのも一便法であらう。但しその爲には、表音主義を徹底させて、假名遣による規定を混入した部分は全部除去する事が必須であり、又名稱も假名遣の名は不當である故、明かに表音記號と稱するか、少くとも簡易假名表記法とでも改むべきである。

表音的假名遣に於て見る如き、假名遣を否定する考は、古く我國にも全くないではなかつたが、今世間に行はれてゐる、歷史的假名遣及び表音的假名遣の名は、英語に於ける歷史的綴字法ヒストリカルスペリング及び表音的綴字法フオネテイクスペリングから出たもので、假名遣を綴字法と同樣なものと見て、かく名づけたのである。然るに綴字法は歷史的のものも表音的のものも、共に語の書き方としてのきまりであつて、かやうな點に於て、語を基準とする假名遣とは通ずる所があつても、音を基準とする表音的假名遣とは性質を異にするものといはなければならない。私は從來世間普通の稱呼に隨つて表音的假名遣をも假名遣の一種として取扱つて來たのであるが、今囘新に表音的假名遣に對する考察を試みて、その本質を明かにした次第である。

(『國語國字敎育史料總覽』、國語敎育硏究會、昭和44年)

2019年2月3日日曜日

表音的假名遣は假名遣にあらず⑤

  五


かやうに、假名遣に於ては、その發生の當初から、假名を單に音を寫すものとせずして、語を寫すものとして取扱つてゐるのである。さうして假名遣のかやうな性質は現今に至るまでかはらない事は最初に述べた所によつて明かである。然るに今の表音的假名遣は、專ら國語の音を寫すのを原則とするもので、假名を出來るだけ發音に一致させ、同じ音はいつでも同じ假名で表はし、異る音は異る假名で表はすのを根本方針とする。卽ち假名を定めるものは語ではなく音にあるのである。これは、假名の見方取扱方に於て假名遣とは根本的に違つたものである。かやうに全く性質の異るものを、同じ假名遣の名を以て呼ぶのは誠に不當であるといはなければならない。これは發生の當初から現今に至るまで一貫して變ずる事なき假名遣の本質に對する正當な認識を缺く所から起つたものと斷ぜざるを得ない。

表音的假名遣は、音を基準とし、音を寫すを原則とするものであるとすれば、一種の表音記號と見てよいものである。表音記號は、言語の音を目に見える符號によつて代表させたもので、同じ音はいつも同じ記號で、違つた音はいつも違つた記號で示すのを趣旨とする。さうして、表音記號を制定するについては、實際耳に聞える現實の音(音聲)を忠實に寫すものや、正しい音の觀念(音韻)を代表するものなど、種々の主義があり、又、ローマ字假名など旣成の文字を基礎とするものや、全然新しい符號を工夫するものなど種々の方法があるが、その中、假名に基いて國語の音韻を寫す表音記號は、その主義に於ても方法に於ても、表音的假名遣と全然合致するものである。それ故表音的假名遣はその實質に於ては一種の表音記號による國語の寫し方と見得るものであり、又それ以外にその特質は無いものである。勿論表音的假名遣は、實用を旨とするものである故、必ずしも精細に國語の音を寫さず、又その寫し方に於ても多少曖昧な所もあつて、表音記號としては不完全であるが、表音記號でも、實用を主とした簡易なものもあるのであるから、かやうな故を以て表音記號とは全然別のものであるといふ事は出來ない。しかし表音的假名遣を實際に行ひ世間通用のものとする爲には、從來の假名遣と妥協しなければ不便多く、その目的を達し難い憂がある爲に、これまで提出された表音的假名遣には、從來の假名遣に於ける用法を加味したものがある。例へば大正十三年十二月臨時國語調査會決定の假名遣改定案に於ては、助詞のハ・ヘ・ヲに限り從來の假名遣を保存した如きはその例であつて、この場合には、その音によらず、如何なる語であるかによつて假名を定めたのである。それ故、この部分だけは假名遣といふ事が出來ようが、これは二三の語のみに限つた例外的のものである。これだけが假名遣であるからといつて、全部を假名遣といふのは勿論不當である

右のやうな論に對して或はかういふ說を立てるものがあるかも知れない。

表音的假名遣は、例へば同音の假名「い」「ゐ」「ひ」に對してその中の「い」を用ゐ、「え」「ゑ」「へ」に對してその中の「え」を用ゐるなど、同音の假名がいくつかある中でその一つに一定したものであつて、假名遣に於て、同音の假名の中、この假名はどの語に用ゐるといふやうに、その假名の用法を一定したのと同樣である。それ故、これも假名遣と呼んで、差支ないではないかと。
〔引用者註〕これが正に現行の「現代假名遣」の論理なのである。
この說は當らない。表音的假名遣に於ては、いくつかの同音の假名の中、一つだけを用ゐて他は用ゐないのを原則とする(これは同じ音はいつも同じ假名で書くといふ主義からいへば當然である)。然るに假名遣では、同音の假名はすべて之を用ゐて、それぞれいかなる場合に用ゐるかをきめたのである。この事は實に兩者の間の重大な相違であつて、假名遣といふ問題の起ると起らないとの岐れるのは懸つて此處にあるのである。前にも述べた通り假名は最初から、同音の文字ならばどんな文字でもその音を表はす爲に區別なく用ゐられた。もしこの主義がいつまでも引續いて行はれたならば、「い」も「ゐ」も「ひ」も同じイ音になつてしまつた時代では、「い」「ゐ」「ひ」は同音異體の同じ假名として區別なく用ゐられ、それ等の假名の用法については何等の疑問も起らず、假名遣といふ事が問題になる事はなかつたであらう。右のやうな假名の用法は、表音的假名遣に於ける假名の用法に近いものではあるが、まだ之と全く同じではない。何となれば「い」「ゐ」「ひ」をイ音を表はす同じ假名とみとめてその中の何れを用ゐてもよいといふのは、表音的假名遣に於てイ音を表はすに「い」を用ゐて「ゐ」「ひ」を用ゐないといふのと同じくないからである。しかし、かやうな假名の用法を整理して、一つの音にはいつも同じ一つの假名を用ゐる事にすれば、イ音を表はす「い」「ゐ」「ひ」は「い」で書く事になつて、表音的假名遣と全然同一になる。かやうな整理は、普通の假名に於て、同音の變體假名を整理して唯一つのものに定めると全く同性質のもので(カ音には「か」を、キ音には「き」を用ゐて、他の變體假名を用ゐないのと同樣である)假名遣に於ける假名の取扱方とは全然別種のものである。もし、實際に於て假名の用法がこんな方向に進んだのであつたならば、今普通いふやうな意味に於ける假名遣といふ事は起らなかつたであらう。然るに事實に於ては、前述の如く「い」「ゐ」「ひ」等の假名が同音になつた後も、猶これ等の假名は文字としては別の假名と考へられてゐたのであつて、そこで、それらの假名をどう用ゐるべきかといふ疑問がおこり、こゝにはじめてこれらの假名の用法卽ち假名遣が問題になつたのである。もしこの場合に、これ等の假名はすべて同音であつて、その中の一つさへあれば音を表はすには十分である故、一つだけを殘して其他のものを廢棄したとしたならば、假名はどこまでも音を表はすものとして存續したであらう。然るに、當時に於ては、國語の音をいかなる假名によつて表はすかといふ事が問題となつたのでなく、もとから別々の假名として傳はつて來た多くの假名の中に同音のものが出來た爲、それを如何に區別して用ゐるかといふ事が問題となつたのである。それ故、同音のものを廢棄するといふやうな事は思ひも及ばなかつたであらう。卽ち假名遣は最初から同音の假名のつかひわけといふ問題がその本質をなしてゐるのであり、從つて之を定める基準としては語によらざるを得なかつたのである。さすれば、同音の他の假名を廢して、音と假名とを一致させようとする表音的假名遣は、假名遣とはその根本理念に於て非常な差異があるもので、決して之を同視する事は出來ないのである

かやうに考へて來ると假名遣と表音的假名遣とは互に相容れぬ別個の理念の上に立つものである。假名遣に於ては、違つた假名は、それぞれ違つた用途があるべきものとし、たとひ同音であつても別の假名は區別して用ゐるべきものとするに對して、表音的假名遣に於ては假名は正しく言語の音に一致すべきものとして、同音に對して一つ以上の假名の存在を許さないのである。もし同音の假名の存在を許さないとすれば、假名遣はその存立の基礎を失ひ雲散霧消する外ない。卽ち、表音的假名遣は畢竟假名遣の解消を意圖するものといふべきである。然るに之を假名遣と稱するのは、徒に人を迷はせ、假名遣に對する正當なる理解を妨げるものである

(『國語國字敎育史料總覽』、國語敎育硏究會、昭和44年)

2019年2月2日土曜日

表音的假名遣は假名遣にあらず④

  四


前にも述べた通り、萬葉假名專用時代に於ても、片假名平假名發生後に於ても、假名は音を寫す文字として用ゐられた。當時の假名の遣ひ方は、同音の文字であればどんな文字を用ゐてもよいといふ點で現代の表音的假名遣とは違つてゐるが、音を寫すといふ主義に於ては之と同一である。しかるに、もと違つた音を表はしてゐたいくつかの假名が同音となつてしまつた鎌倉時代に於て、それらの假名がやはり假名としては別々のものであり、隨つて區別して用ゐるべきものであるといふ考の下に、その用法を定めようとしたのが假名遣であるが、この場合に、その假名を定める基準たるべきものは音そのものに求める事は絕對に不可能であつて(音としてはこれらの假名は全く同一であつて、區別がないからである)、之を他に求めなければならない。そこで、新に基準として取り上げられたのが語であつて、音は言語に於ては、それぞれ違つた意味を有する語の外形として、或は外形の一部分として、常にあらはれるものである故に、その一々の語について、同音の假名の何れを用ゐるかをきめれば、一定の語には常に一定の假名が用ゐられて、假名の用法が一定するのである。かやうに假名遣に於て假名の用法を決定する基準が語であつた事は、下官集に於ても假名文字遣に於ても、各の假名の下に、之を用ゐるべき語を擧げてゐるによつても知られるが、また、源親行が父光行と共に作つた源氏の註釋書「水原抄」の中の左の文によつても了解せられる。
眞字は文字定者也。假字は文字づかひたがひぬれは義かはる事あるなり水原(河海抄卷十二梅枝「まむなのすゝみたるほどにかなはしとけなきもじこそまじるめれとて」の條に引用したものによる)
これは、「漢字は語每に用ゐる文字がきまつてゐる。假名は音に從つて書けばよいやうに思はれるけれども、その文字遣、卽ち假名遣を誤るとちがつた意味になる事がある」と解すべきであらう(源氏の原文の意味はさうではあるまいが、光行はさう解釋したと見られる)。假名遣を誤つた爲に他の意味になるといふのは、同音の假名でも違つた假名を用ゐれば、別の語となつて、誤解を來す事がある事を指していふのであつて、かやうに、假名遣を意味との關聯に於て說いてゐる事は、假名は語によつて定まるもの、卽ち假名の用法は語を基準とすると考へてゐた事を示すものである
〔引用者註〕《十世紀以前の「古典かなづかい」の時期は発音するように仮名を使う時期であった。右に述べた音韻変化の後も、使わなくなった発音にかつて対応していた仮名の使用はやめて、使っている発音にかつて対応していた仮名を残せば、「古典かなづかい」の時期と同じように、発音するように仮名を使うことができた。そうすれば、同じ原理で仮名を使っていくことができた。発音するように仮名を使うという原理を「表音的表記」と名付けておく。音韻が変化し、音韻が減ったら仮名も減らすことにすれば、音韻と仮名との一対一の対応はずっと保たれ、つねに発音するように仮名を使えばよいことになり、「表音的表記」という表記原理が継続していくことになる。しかし日本語の表記システムはそうはしなかった。選択された原理は「発音するように仮名を使う」ではなく、「かつて書いていたように仮名を使う」であった。》(今野真二『かなづかいの歴史 日本語を書くということ』、中公新書、平成26年)
今野氏の言はれる「表音的表記」卽ち「発音するように仮名を使う」やり方を「假名遣」とは呼ばないことは國語學に於いて一貫した見解のやうである。何故なら、音韻が變化した後も「かつて書いていたように仮名を使う」爲に同音異體の假名の遣ひ分けを學ぶ必要が生じて初めて「假名遣」が人々の觀念に上つてきたからである。今野氏は終始「古典かなづかい」期は音韻と假名が一對一で對應してゐたと書いてをられるが、これは先にも指摘したやうに事實と異なるのである。古典假名遣の時代、卽ち表音的表記の時代にも「同音の文字であればどんな文字を用ゐてもよ」かつたのであり(=變體假名)、明治以降の表音主義者の主張するが如き「一音一字」の狀態は嘗て存在したことがなかつたといふのが歷史的事實なのである。平安朝初期のア行とヤ行の[エ]の違ひがなくなつた時に「使わなくなった発音にかつて対応していた仮名の使用はやめ」ずに𛀁を[エ]を表す假名グループに包攝してしまつたことからもさう言へるし、が問題となつた時でさへ夫々どちらかの使用をやめようとはしなかつた事實からも亦さう言ふことができるのである。不要な假名を廢して「一音一字」に統一しようなどといふ思想は、古來わが國語の世界には存在した例しがないのであり、謂はば「一音多字」の狀態が一貫した自然なあり方だと謂ふべきなのである
それでは、假名遣に於けるかやうな主義は定家などが全く新しく考へ出したものかといふに、必ずしもさうであるまいと思はれる。全體、當時の假名遣が、何を據り所として定められたかについては、假名文字遣は何事をも語つてゐないが、下官集には、「見舊草子見之」とあつて、假名文學の古寫本に基づいてゐる事を示してゐる。古寫本といつても何時代のものか明かに知る由もないが、平安朝中期以後、國語の音變化の結果として、もと區別のあつた二つ以上の音が同音となり、之をあらはした別の假名が同音に讀まれるやうになつたが、音と文字とは別のものである故、かやうに音がかはつた後も、假名(ことに假名ばかりで書く平假名)はもとのものを用ゐる傾向が顯著であつて、時としては同音の他の假名を用ゐる事があつても、大體に於て古い時代の書き方が保存せられてゐた時代がかなり永くつゞいたものと考へられる。しかるに時代が下つて鎌倉時代に入ると、その實際の發音が同じである爲、同音の假名を混じ用ゐる事が多くなり、同じ語が人によつて違つた假名で書かれて統一のない場合が少くなかつたので、古寫本に親しんだ定家は、前代にくらべて當時の假名の用法の混亂甚しきを見て、これが統一を期して假名遣を定めようとしたものと思はれる。

さて、右の如く、もと異音の假名が同音になつた後も、なほ書いた形としてはもとの假名が保存せられて、他の同音の假名を用ゐる事が稀であつたのは、何に基づくのであらうか。これは、もと違つてゐた音が、同音になつた後にもなほ記憶せられてゐた爲とはどうしても考へられない。旣に音韻變化が生じてしまつた後にはもとの音は全然忘れられてしまふのが一般の例であるからである。これは、古寫本の殘存又はその轉寫本の存在などによつて假名で寫した語の古い時代の形が之を讀む人の記憶にとゞまつてゐた爲であるとしか考へられない。卽ち、古く假名で書いた或語の形は、後に同音になつた假名でも、その中の或一つのものに定まつてゐた爲、その語とその假名との間に離れがたき聯關を生じて、自分が新に書く場合にも、その語にはその假名を用ゐるといふ慣習がかなり强かつたのであると解すべきであらう。さすれば、明瞭な自覺はなかつたにせよ、旣にその時分から、語によつて假名がきまるといふ傾向があつたとしなければならないのである

一般に文字を以て言語を寫す場合に、いかなる語であるかに從つて(たとひ同音の語でも意味の異るに從つて)之に用ゐる文字がきまるのは決して珍らしい事ではなく、表意文字たる漢字に於てはむしろその方が正しい用法である。漢語を表はす場合は勿論のこと(同じコーの音でも、「工」「幸」「甲」「功」「江」「行」「孝」「效」「候」など)漢字を以て純粹の國語を表はす場合にもさうである。(「皮」と「河」、「橋」と「箸」、「琴」と「事」と「言」など)唯、漢字を假りて國語の音を表はす場合(萬葉假名)はさうでなく、同じ語を種々の違つた文字で表はす事上述の如くであるが、この場合には漢字が語を表はさず音を表はすからであつて、しかも、さういふ場合にも、或特殊の語(地名、姓、人名など)に於ては語によつて之を表はす文字が一定する傾向があつた事、これも上に述べた通りである。假名の場合は漢字とは多少趣を異にし、同音の假名は、文字としては違つたものであつても同じ假名と見做す故、同じ語をあらはす文字の形は必しも常に一定したものではないけれども、或語のオ音には常に「を」(又は之と同じ假名))を用ゐて、「お」又は「ほ」の假名(又はそれらと同じ假名)を用ゐないといふ事になれば、その語と「を」(及び之と同じ假名)との間には密接な關係を生じて、その假名でなければ直にその語と認めるに困難を感じ、又は他の語と誤解するやうになるのは自然である。

かやうに一方に於て漢字が語によつて定まるといふ事實があり、又一方に於て、假名で書く場合にも、同音でありながら違つたものと認められた假名は、語によつてその何れか一つを用ゐる傾向があつたとすれば、新に假名遣の問題が起り、かやうな同音の假名の用法の制定が企てられた場合に、語を基準とするのは最自然なことといはなければならない(音を基準にしようとしても不可能な事は前述の通りである)。

以上述べ來つた如き事情と理由とによつて、假名遣といふものは、それが問題となつた當初から、問題の假名を、語を表はすものとして取扱つて來たのであり、その場合に假名を定める基準となつたものは、單にどんな音を表はすかでなく、更にそれより一步を進めた、どんな語を表はすかに在つたのである

かやうにして、萬葉假名の時代から平假名片假名發生後に至るまで、純粹に音をあらはす文字としてのみ用ゐられて來た假名は、少くとも假名遣といふ事が起つてからは、單なる音を表はす文字としてでなく、語を表はす文字として用ゐられ、明かにその性格を變じたのである。(但し、この時からはじめて語を表はす文字となつたか、又はもつと前からさうなつてゐたかは問題であつて、前に述べた所によれば、少くとも假名遣に關係ある問題の假名については以前よりそんな傾向はあつたとするのが妥當なやうであり、その他の假名については明瞭な證據が無いからわからないが、やはりそんな性質のものと考へられるやうになつてゐたかも知れない。同じ音の假名ならどんな假名を用ゐてもよいからといつて、それ故、音を表はすだけのものであると速斷するのは危險である。何となれば、萬葉假名の時代と違つて「天地」の詞や「伊呂波」のやうなものが行はれてゐた時代には、それの中に現れた假名だけが代表的のものと認められ、これと違つた假名は今の變體假名と同じく、代表的の假名と全く同樣なものと考へられ、從つて、假名で書いた語は、たとひ假名としての形は違つてゐても、或一定の假名で書かれてゐると考へた事もあり得べきであるからである)。

(『國語國字敎育史料總覽』、國語敎育硏究會、昭和44年)

2019年2月1日金曜日

表音的假名遣は假名遣にあらず③

  三


然るに鎌倉時代に入ると、はじめて假名遣といふことが問題になつたのである。假名文字遣の最初にある行阿(源知行。吉野時代の人)の序によれば、假名遣の濫觴は行阿の祖父源親行が書いて藤原定家の合意を得たものであるといつてをり、藤原定家の作らしく思はれる下官集の中にも假名遣に關する個條があつて、先達の間にも沙汰するものが無かつたのを、私見によつて之を定めた由が見えてゐるのであつて、鎌倉初期に定家などがはじめて之を問題として取り上げて、假名遣を定めたものと考へられる

この假名遣は、「を」と「お」、「ゐ」と「い」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」の如き同音の假名の用ゐ方に關するものであつて、それらの假名をいかなる語に於て用ゐるかを示してをり、今日いふ所の假名遣と全然同じ性質のものである

この時代になつてどうして假名遣の問題が起つたかといふに、それは平安中期以後の國語の音の變化によつて、もと互に異る音を表はしてゐたこれらの假名が同音に歸した爲である事は言ふまでもない。しかし、以前の如く、同音の假名は區別なく用ゐるといふ主義が守られてゐたならば、これ等の假名が同音に歸した以上は、「を」でも「お」でも、又「い」でも「ゐ」でも「ひ」でも同じやうに用ゐた筈であつて、之を違つた假名として、區別して用ゐるといふ考が起るべき理由はないのである。もつとも、「を」と「お」、「い」と「ゐ」と「ひ」はそれぞれ違つた文字であるけれども、當時、一般にどんな假名にも同音の假名としていろいろの違つた文字(異體の假名)があつて、區別なく用ゐられてゐたのである故、これらの假名も同音になつた以上は同音の假名として用ゐて差支なかつた筈である。然るにこれらの假名に限つて、同音になつた後も假名としては互に違つたものと考へられたのは、特別の理由がなければならない。私は、この理由を當時一般に行はれてゐた「伊呂波歌」に求むべきだと考へる。卽ち、これらは、伊呂波歌に於て別の假名として敎へられてゐた爲に、最初から別の假名だと考へられ、それが同音になつた後もさうした考はかはらなかつたので、同音に對して二つ以上の違つた假名がある事となり、それ等の假名を如何なる場合に用ゐるかが問題となつて、こゝに假名遣といふ事が生じたものと思はれる
〔引用者註〕《「ハ行転呼音現象」が起こったのと同じ西暦一〇〇〇年頃、ア行の「オ」とワ行の「ヲ」とが一つになった。また、一一〇〇年頃にはア行の「イ」とワ行の「ヰ」とが一つになり、同じ頃、さらにア行の「エ」とワ行の「ヱ」とが一つになったと考えられている。こうして、日本語で使っている音は四十七から三つ減って、四十四になった。
この時に、「お・を」「い・ゐ」「え・ゑ」のどちらかの仮名を使うことをやめて、「お・い・え」のみを使うとか、「を・ゐ・ゑ」のみを使うということにすれば、音韻と仮名との一対一の対応は保たれる。そうすることもできなくはなかったが、そうはしなかった。「できなくはなかった」「そうはしなかった」と表現すると、意思をもった人間が関与しているように感じられてしまうかもしれないが、そういうことではなくて、日本語の表記システムがそういう選択をしなかったということである。》(今野真二『かなづかいの歴史 日本語を書くということ』、中公新書、平成26年)
今野氏の言はれる「日本語の表記システムがそういう選択をしなかった」ではやはり說明としては充分ではないのである。
《「ワラハ」と発音する語を「わらは」と書く場合は、仮名の使い方に迷うことはない。自分が発音しているとおりに仮名を使えばよい。仮名は日本語を書く文字としてうまれてきた。だから、「ア」と発音する音節(母音を中心とした発音のひとまとまり)があって、それにあてる仮名「あ・ア」がある。「カ」と発音する音節があって、それにあたる仮名「か・カ」があるというように、日本語で使っている音=音韻と一対一の対応を形成していた。仮名の使い方に迷わないのだから、「かなづかい」ということそのものがなかった。……それで、「かなづかい」という現象がなかった時期、つまり十世紀以前の仮名の使い方を「古典かなづかい」と呼ぶことにしたい。「古典かなづかい」とは、音韻と仮名とが一対一の対応を保っていた時期における仮名の使い方のことを指す。》(今野真二『かなづかいの歴史 日本語を書くということ』、中公新書、平成26年)
この今野氏の指摘する「古典かなづかい」の時代、卽ち假名遣が問題にならなかつた時代には、自分が話す音をそのまま假名で寫せばよかつた、といふのはその通りであらう。つまり表音主義の時代だつたと謂へなくもないのであるが、但しその表音主義とは、音と文字とが一對一の關係ではなく、橋本博士が何度も觸れられてゐる如く、萬葉假名の時代から變らず一對多の關係なのである。だからこそ前章で見たやうに、ア行とヤ行の[エ]が合流して一つになつた時には、ア行の[エ]を表す假名グループに「𛀁」を包攝することで、一對多の關係のまま表音主義も崩れることなく自然に矛盾が解消されたのである。ところが、オとヲ、イとヰ、エとヱがそれぞれ一つの音になつた時には、我々の祖先はこれらの區別をどうするかと惱んだのである。平安朝初期の時とでは、對應の仕方が異なるのである。そこで橋本博士は、何かそれまでになかつた特別な原因がないと之は說明がつかないといふことで「伊呂波歌」の存在を指摘せられたのである。

(『國語國字敎育史料總覽』、國語敎育硏究會、昭和44年)