2015年12月30日水曜日

近代戦と思想宣伝戦――(4)我国の採る可き思想戦と国民の覚悟

四、我国の採る可き思想戦と国民の覚悟


以上三項目に於て述べた事は単に事実の紹介を行はんが為ではない。現在、我国民自体が自己の問題として直面してゐる事を簡略に述べ、注意を喚起せんとしたに過ぎないのである。否、最早時局は右の事態に就いて徒労の論議を行つたり、対策の遂行に対して逡巡してゐる事を許さないのである。

たゞ、時局はひたすらに国民の確固不抜の精神に依る実践を要求してゐるのである。

こゝに於て国民に注意を促したい事は、思想宣伝戦とは単なるビラやポスターやラヂオの放送の如き、耳に聴き、目に映ずる、目まぐるしくも亦耳やかましい感情の動員を終局の目的とするものでは断じてないといふ事である。如何なる思想宣伝も、行為、実践を伴なはぬものは単なる遊戯に過ぎず、お祭り騒でしかないのである。

思想宣伝戦の目的とは即ち、尽忠報国の精神を基調とし、国民の、社会的行動を国家の目的に向つて統一運行するものであつて、之が為には個人的欲望や利害を超越し、或は進んで労苦、忍従の挙に出づる事を必要とするものである。思想宣伝もこの点を一度はき違へると、感情に走つて実践を忘れ、反つて思はざる行為に出でて事を破壊するに至るものである。

我国は幸にして欧米各国の如く直接自国内に戦場をもたなかつた。然し科学の進歩は如何に距離の上で戦場と後方が離れてゐやうとも、最早後方の逸楽を許さなくなつたのである。されば、将来我国が相当大規模の戦争の遂行止むなきに至る時には、我が国民は世界大戦時に於ける西欧の国民以上に、戦争の渦中にあつて労苦を共にし耐忍の生活、意志の生活を持続せねばならぬのである。

世界大戦時に於ける諸国民が、日常の一切の業務に至る迄統制に従ひ、銃後の任を果した様に、今後我国民はより強固の意志を以て統制指導に従ひ、実行を以てその成果を挙げねばならぬのである。

我国が思想宣伝戦に於て充分の試練を経てゐない事は事実であるが、然しこの理由は思想宣伝戦に当り得ぬといふ事では断じてない。我国には万邦無二の國體と、之に発するところの大理想大精神が儼存し、我国民総ては大和魂と尽忠報国の赤誠とを保有してゐる。之を以てすれば何物も恐るゝものなき現状ではあるが、たゞ訓練の機会を与へられなかつたのである。

されば、国民は速かに思想戦の何物たるかをよく理解し、政府並に民間を通じ、挙国的の宣伝教化の組織を確立し、一糸乱れず政府の意図が国民全般の末梢に迄徹底し、直に実践以て時艱を克服するに遺漏、齟齬なきを期せねばならぬのである。

爾来我国は肇国以来正義を以て国是となし、共存共栄を以て国家の理想としてゐる。而して此の大精神を具現せんとして、不言実行を誇として以て今日に至り、「言挙げせず」てふ伝統思想を生むに至つたのである。

然しながら、時代は我国の伝統の維持を許さず、進んで我国の理想大精神を万邦に宣布し陰険邪悪なる思想謀略を克服し、以て真の人類の平和を確立す可く、堂々たる正義の大旆たいはいを進め、人類を光被す可く、進んで世界に我国是を宣布せねばならぬのである。

されど我国の採る可き思想戦は歪曲せる宣伝に非ず、暴力の代辯に非ず、俯仰天地に恥ぢざるところの正々堂々の陣である。正々堂々万人をして肯かしむるところの万古不易の大思想であり道義的世界観である。

我国の進む可き大道は決してゐる。さればこそ茲に我國體観念を国民に徹底し、総ての施設悉くこゝに朝宗し、真に皇道国家たるの実を挙げ、祖国日本をして磐石の如く揺るぎなく、遺憾なきを期することは我国々民の当面の義務であり責務である。

(『近代戦と思想宣伝戦』、内閣情報局、昭和12年)

近代戦と思想宣伝戦――(3)現時に於ける日本を繞る思想宣伝戦

三、現時に於ける日本を繞る思想宣伝戦


(イ)、支那に於けるコミンテルンの策動

一九一四年世界大戦の勃発に際して、第二インターナショナルに属する各国社会党が愛国主義に転向したのに憤慨したレーニン一派が之を脱退し、一九一七年終に露西亜革命に成功するや、世界革命を目指して第三インターナショナル即ちコミンテルンを創設して、世界赤化宣伝を開始した事は衆知である。

第三インターナショナルは公然たる大衆煽動の本拠であり赤化宣伝の本部である。此の国際的革命宣伝本部はモスコーに本部を置き、各国の共産党を其の支部とし、二年に一回開かれる世界大会を最高機関とし、其の下に執行委員会、事務局、機関紙等の組織を整へて、成立以来十八年、各国共産党に指令して共産主義の宣伝及政治社会秩序の攪乱の陰謀工作を執拗に続けて来た。

この本拠こそ実にソ聯邦の実体であり、偽装せられたソ聯邦そのものなのである。ソ聯邦は内に強大なる言論統制の組織、機関を有して其の国民を制圧駕御し、出版、放送、言論報道機関を国営として完全なる言論の統制を実施し、外には諸外国の一切の宣伝を遮断し、一方タス通信を以て情報宣伝を一途に統御し、各国通信員の報道に対しても極度の制限を加へ、あらゆる海外のソ聯機関をして情報蒐集機関として宣伝戦に備へてゐる。

然しながら最近に於ける独逸及伊太利に於けるファシズムの全盛、独国の積極的東方政策及極東に於ける日本の積極的政策等のソ聯邦に対する脅威が各方面に増大するや、ソ聯邦はファシズム反対の民主々義国家と提携し、又第二インターナショナルに手を差延べ、所謂帝国主義及ファシズムに対抗する統一戦線を張る可く、人民戦線運動なる前衛宣伝組織を結成し、仏国に於いてはブルム内閣を成立せしめ、西班牙スペインに於ては悲惨なる内乱を誘発せしめ、更に極東に対しては支那にその魔手を延ばして茲に中国共産党及紅軍と国民政府を妥協せしめ、中国人民戦線派を結成せしめて抗日、挑戦の実践に着手したのである。

右のコミンテルンの対支赤化活動の中心指導機関即ち極東局は上海或は、哈府ハバロフスクに設置されてゐるのであるが、この中心機関はソ聯邦外交機関のみならず各種の通商機関をもその赤化機関とし、直接モスコーのコミンテルン本部より、或は沿海州方面より有力な工作員を派して、直接人民戦線派及各種抗日団体をも指導してゐるのである。コミンテルンの公然たる対支赤化及抗日宣伝機関は次の如きものである。

㋑中ソ文化協会(会長孫科、名誉会長顔恵慶、ボゴモロフ大使)

表面文化団体を標榜するものゝ、支那朝野の親ソ分子を多数吸収し、巧妙な親ソ抗日宣伝を行つてゐる。例へばソ聯邦の各種記念日を初め其他機会ある毎に盛大なる会合を催し、機関紙「中ソ文化」を発行し赤化抗日宣伝を行つてゐる。

上海ソ聯邦居留民俱楽部
一九三七年三月上海ソ聯邦領事スピルワネークを名誉会長として創設されたもので、赤色宣伝員の集会所、陰謀本部として警戒されてゐる。
全ソ聯邦輸出組合聯合支部(共同租界北京路二号、支部長エムシン)
ソ聯邦の対支貿易機関であつて、上海、漢口、天津に支部を有し、諜報及び赤化抗日宣伝の支部として利用されてゐる疑ひ充分である。
天津インヴェストメント・コーポレイション
一九三五年末、旧北鉄ソ聯従業員等に依りて設置されたソ聯人銀行であつて、北支方面の赤化資金の供給機関として活動してゐる。上海にその支店開設の計画がある。
福祥公司
従来貿易会社としてソ聯邦の諜報機関たる役目を勤めて居たが最近は米国々籍の下に業務継続し、上海、天津、張家口等に支店を有し、ソ聯邦の諜報機関として活躍してゐる。
ソ聯指導の抗日宣伝の言論通信機関として、タス支局を始めチャイナ・デーリー・ヘラルド(支那名「中国報道」、社長ハーレル、主任記者デューツフ)等は共産党御用紙の役目を勤め、其の他上海イヴニング・ポストチャイナ・プレス時事新報等は何れも其の背後関係及資金をソ聯より得てゐる疑のあるもので、其の他「中国呼声」を始めとする各種抗日雑誌、定期印刷物等が夥しく出版されてゐる。
右の他、ソ聯邦国営極東商船隊上海代理店(共同租界広東路五一号に在り、社長ソレヴィッチ、助手イロース・ランド)、全ソ聯邦石油トラスト上海出張所(共同租界広東路廿号に在り所長フリードマン、助手上海総領事スピルワネック夫人)、ソ聯国際図書株式会社上海代理店(共同租界群安寺路、店主カーツ)、モスクワ人民銀行上海支店(共同租界江西路・支店長イワノフ)、等の諸機関は抗日人民戦線と密接なる聯繫のもとに、平津民族解放先鋒隊、各都市抗日救国会、各省学生救国会、各工人救国会等の赤色抗日諸団体の活動を支援し、一方在上海のG・P・Uグー ペー ウーの密偵網と連絡しつゝ、「支那の赤化は世界赤化の鍵である」とのレーニンの信条を奉じて日支事変の真只中に於て暗躍してゐるのである。
(ロ)、中国共産党及紅軍

更にコミンテルンは、中国共産党及紅軍をして国民政府との合作に依る抗日宣伝を展開せしめてゐるが、其の動向に就いて大要を述べれば次の如くである。

本年三月上旬コミンテルンはボロツキー、コルスキー及中国共産党秘書長李幕飛、同政治部長石仏遵を代表として南京に派し、孫科を通じて要談せしめた。之に対し三月中旬には南京政府より賀衷寒、張中、戴笠等を派し綿服十万著を贈り毛沢東と会見せしめ、四月十四日西安に於て南京代表顧祝同と共産軍代表周恩来との間に、抗日宣伝及抗日挑戦に関する正式調印を終つたのである。

されば北支事変勃発するや、コミンテルンは共産党駐ソ代表王明をしてソ聯と陝西省膚施に在る中国共産党本部とを往復せしめ、抗日挑戦の宣伝、煽動を指導狂奔せしめたのである。其後事変が上海に拡大するやコミンテルンの策動は更に熾烈となり、一方に於て国民政府を煽動して入獄中の共産党指導者を釈放せしめ、終に支那事変最高潮の中にソ支不可侵条約を締結し、他面に於て本国より優秀なる煽動員、飛行機、戦車、機関銃等を多数輸送する事を約したと伝へられてゐる。

(ハ)、満洲に於ける策動

支那に於けるコミンテルンの煽動宣伝工作に付ては以上に止めて、次に満洲に対する活動に就いて述べねばならない。

満洲の赤化に対してもコミンテルンは早くから之に著目し、北鉄沿線一帯を根拠として全満赤化に努め、殊に満洲に移住せる朝鮮人に対して宣伝を集中した結果、忽ち強固な赤化組織の扶植を見、中国共産党の満洲支部として満洲省委員会を始め各種の機関が組織され、都市に於ける赤化細胞組織及各地共産匪賊の遊撃運動に狂奔して来たが、最近に於ける抗日人民戦線運動の一環として、東北抗日救国政府の樹立及抗日救国聯合軍の組織を目標とし、満洲共産党はコミンテルンから多量の武器及軍費の支給を得て、各地共匪をして武装蜂起せしめ遊撃運動を開始し、組織拡大運動を計り、朝鮮革命軍、反満抗日匪と連合し、一般の思想的背景なき純匪を煽動懐柔して抗日人民戦線に合流せしめんと苦心してゐる。

コミンテルンは之が為にソ聯邦内で教育せる満、支、鮮人等の工作員を多数国境線突破其他の方法に依り入満せしめてゐるのである。

満洲共産党の最高指導機関は最近では哈爾濱ハルビン東方へ移動した如く、彼等の所在は全く隠蔽されてゐる。満洲共産党に対するコミンテルンの指導は主として沿海州方面の諸機関、就中コミンテルン中国代表団分派機関を通じ、東部満ソ国境方面から満洲国内の下級機関を経て之を行ひ、或は無電を以て連絡してゐるとも謂はれてゐる。

過般北鉄譲渡の結果、満洲に於ける共産党の公然たる機関は一掃されたものゝ依然として共産匪の出没あり、軍事諜報者の蠢動あり、反満抗日テロ工作員の活動ありで、その活動は益々地下潜行的となりつゝある事は注目に価するものである。

て以上を大観するに、現在日本を包囲的に攻撃しつゝある思想宣伝戦の主体は、明確に共産党及びその亜流の執拗なる活動である事を知るのである。而してその一端は支那事変を契機として、現実に曝露されたのである。

かく考ふる時我国としては、対内対外に思想宣伝戦に対する対策の整備強化を遂行し、国防を完備する事は当面の急務であり、一日も準備をゆるがせにする事が出来ない情勢に在るのである。

(『近代戦と思想宣伝戦』、内閣情報局、昭和12年)

近代戦と思想宣伝戦――(2)世界大戦に於ける宣伝謀略戦

二、世界大戦に於ける宣伝謀略戦


近代戦に於ける思想宣伝戦は、武器に依らざる戦争と呼ばれ、毒ペン、紙の毒瓦斯と別名され、その威力は優に数ヶ軍団の力にも匹敵するものと謂はれてゐるが、世界大戦中に行はれた軍事的宣伝謀略の分野は、(一)対敵宣伝謀略と、(二)対内宣伝、(三)対外宣伝謀略の三分野に分ける事が出来るのである。

対敵宣伝謀略は、(イ)直接敵軍を目標とする場合と、(ロ)敵の後方国内を目標にするのと、(ハ)敵の同盟国及同情国に対する場合の三者に分れてゐる。

対内宣伝とは自国軍隊の戦線及自国後方国内に対する工作の二大分野に分ける事が出来る。

対外宣伝謀略は中立国及第三国に対する宣伝工作である。

(イ)、対敵宣伝謀略

直接敵国に対する思想宣伝戦は、先づ敵国軍の志気を沮喪せしめ之を潰乱に陥れ、又は敵軍の判断を誤らせて指揮を攪乱し、其の作戦を阻害し或は敵軍内に反乱、暴動、革命を起させ、その虚に乗じて自国の勝利を誘導し、或は降服、退却を煽動して、戦はずして勝つといふ目的の為に遂行されるものである。

敵国の後方に対する目的は、敵国民の銃後の統一を破壊して戦線との連絡を遮断し、戦争遂行の能力を低下或は破壊するもので、敵国後方に革命、暴動、一揆を起したり、流言を発して不安と混乱を助成し、或は虚報を以て戦意を失はしめ、反軍思想反戦思想を流布して国家総動員の妨害、軍需工業従業員のストライキ、怠業の煽動及徴兵拒否の助長をなし、或は亦敵国要人の暗殺、勢力失墜の煽動、政治家の反政府運動の助長、敵国新聞の買収、通信機関の阻害、破壊等を行ふものである。

(ロ)、対内宣伝

積極的方面と消極的方面とに分たれてゐる。積極的方面は、戦線兵士及銃後国民に対して攻撃精神、犠牲愛国精神を強化し、挙国一致戦争を遂行して以て戦勝を確保せんとするものであり、消極的方面の工作は、出征軍及後方国民に対する悪宣伝及煽動の防衛、克服、排撃を目的とするものである。

(ハ)、対外宣伝謀略

敵国に対する自国の開戦の正当なる事、正義に立脚したる事等を認識せしむると同時に、敵国に対する悪感情を起さしめ、自国の優勢を示し、自国に対して好感を持たしめ、成し得れば中立国を味方として戦争に参与せしめるか、或は亦我に有利な好意的条件の下に中立国たらしめる為に工作するのである。

以上は戦時に於ける宣伝戦の要目であるが、次に世界大戦時に於ける著名なる事例を挙げて参考に供する事にする。

(二)、戦線攪乱崩壊に成功した宣伝の様式

(a)大戦中、特に聯合軍は独軍に対し、ビラ、リーフレット、新聞等の印刷物を、飛行機に依り或は特殊装置の軽気球によつて直接戦線又は国内に撒布し、又は中立国を経由して密送した。右はリーフレットのみでも数千万部に達したもので、同文書中には独軍の敗北と国内の暴動、混乱、飢餓の通告、捕虜として投降せば聯合国側に於て優遇すべき事、独逸皇帝に対する罵詈讒謗、独逸政府の攻撃、革命に就いての煽動等が載せられてゐた。

(b)中立国から輸入する各種の食糧品の包紙、戦地軍人に対する餞別品の包紙、又は慰問袋等の中に降服誘導、戦争停止、革命煽動の宣伝文が記入され又は封入されてゐた。

(c)戦線兵士及軍需工場の労働者に秘密印刷物を伝播し、或は手紙を捏造して戦線の兵士及其の家族に対し革命、逃亡の煽動を行つた。

(d)停車場、料理店、酒場等の兵卒或は労働者に、平和及革命に関する宣伝ビラを撒布したりスローガンを掲げた。

(ホ)、第三国離反の宣伝

大戦中主として独逸側の工作に観られるもので

(a)英国アイルランドに暴動を起し、アメリカ内のアイルランド系の米人の同情を喚起して、英米を離間せしめんとして失敗した。

(b)印度、アフガニスタン等に暴動を起し、英国から離反せしめやうとして失敗した。

(c)大戦前期に於て米国内に反戦平和運動を起して一時成功を観たが、ルシタニア号撃沈事件を機として失敗した。

(へ)、国内に衝動を与へた宣伝

(a)一九一八年の秋頃からロシア革命の餘波がドイツ国内に侵入しロシア大使ヨッフェの資金供給、多数煽動者のドイツ潜入に依つて一斉にドイツ国内に革命宣伝が展開され独立社会党、スパルタクス団、及左翼労働組合による政治的示威運動、軍需工場のストライキ、暴動が続出した。

(b)伊太利イタリア其他中立国が相次いで聯合軍側に参戦した事を空中から独逸国内に宣伝した為、独逸国民の戦意が急激に低下した。米国参戦の報道も永く独逸政府の手に依つて秘められてゐたが聯合軍の宣伝工作に依り異常な衝激を独逸国民に与へた。

(ト)、大戦中の革命誘導の宣伝

(a)一九一七年三月以降の露西亜革命の煽動

此は独逸側が工作して成功したもので、封印列車を仕立てゝレーニン等を独逸からロシアに送つた事は周知である。

(b)一九一七年五月の仏国々民及軍隊の叛乱

此は露西亜革命の影響と独逸側の工作によるもので、エイヌ会戦に仏軍が大敗北を来した時、独逸側の宣伝に乗ぜられて仏軍帰休兵達が反乱を起し、戦線へ向ふ可き軍隊は巴里に向はんとして一時十数ヶ師団が之に合流し、フランスは危機に陥つた。此の事件は当時のフランス陸軍大臣パンルヴェをして、「当時ソアッソンと巴里の間に全然信頼するに足る軍隊といつては、僅かに二個師団に過ぎなかつた。若し独軍が此の瞬間に大攻撃を開始したならば、事態は極めて危険となつたに違ひない。」と嘆息せしめたものである。

(c)一九一八年八月以降の独逸革命の煽動

八月に於けるフリードリッヒ・デア・グローセ号及ウエストファレン号の水兵暴動、十月キール軍港に於ける水兵の反乱、チューリング号の反乱と降服事件、十一月五日ハンブルグの革命、暴動、同八日のベルリン革命、暴動は終にカイゼルをして亡命せしむるに至つたのである。

(チ)、大戦中に於ける列国の宣伝組織体

(a)英国は世界大戦勃発直後、一九一四年八月、平時から準備されてゐた宣伝機関を拡大して新聞局を設置したが、更に一九一七年一月には別に情報局を増設し、各種宣伝事業を一括して活動強化した。次でノースクリッフ卿外三名を以て成る顧問委員が組織され、卿は自ら宣伝及政略関係の使命を帯びて米国に渡り、大いに活動するところがあつたが、一九一八年の二月に至り情報省が設置せられ、ビーバーブルック氏が情報大臣の椅子を占め、ノースクリッフ卿は対敵宣伝部長の職に就いた。其の後曲折を経てノースクリッフ卿が宣伝政策委員会の全指導を行ふ事になり、大々的宣伝工作の結果終に独逸を内部的に崩壊せしめ、戦勝に一大役割を果したのである。

(b)米国は一九一七年四月世界大戦に参加後、大統領ウィルソンに依り公報委員会が組織せられた。この組織は国務長官、陸、海軍大臣ならびにジョージ・クリール氏を以て編成せられ、クリール氏が公報委員会の議長となつて、対内、対外宣伝事業の一切を統轄したのである。

(c)仏国では外務、陸軍、海軍の各省が夫々それぞれ宣伝機関を持つて、互に協調しつゝ宣伝を実施したが、一九一五年四月には早くも空中宣伝班を設け、一九一七年には新聞局を設置し、同年対外宣伝委員会が結成され、一九一八年には情報宣伝委員会が全力を挙げて対敵宣伝に従事した事が知られてゐる。

(d)独逸側に在つては大戦間の宣伝は、最初不統一のまゝ一つの宣伝用機関紙を利用するに過ぎなかつたが、軍事当局と各省間に幾多の紆餘曲折が繰り返された後、ルーデンドルフ将軍の提唱に依り、一九一八年八月に至り、漸く宣伝組織を設置する事になつたが、時既に遅く、遂に聯合国側の猛烈なる宣伝には対抗する事が出来ず、敗北の一因となつたのである。

以上の如く世界大戦に於ては史上曾て観ざるところの宣伝戦を展開したのであるが、その手段とされたものは、新聞、雑誌、パンフレット、其の他の言論報道機関及飛行機、軽気球の利用、ビラの撒布、ポスターの貼付、電報の利用、活動写真、幻燈器の利用、情報の編緝、演説、示威運動、口伝宣伝、流言の散布等々汎ゆる利用し得る限りのものを採用したものである。その内容も善美なるものから極悪なるものに至る迄、人間のあらゆる知識と感情とを動員したのである。
(註)宣伝で特に注意すべきは、虚偽の宣伝は何時かは必ず曝露するものであつて、常に正しきことを正しく伝へることに留意せねばならぬことである。満洲事変及今次事変に於ける支那側の虚構宣伝が如何に悪結果を齎らしつゝあるかを思へば、此点が十分諒解せられるのである。
世界大戦に於ける思想宣伝戦の展開は、一面戦局の終末を早めたといはれてゐるものゝ、一面恐る可き結果を将来に残したものであつた。それは大戦間に於て思想宣伝の為に利用された革命運動であつて、一は帝制露国を一挙にして革命動乱の巷と化し、一は最近ヒットラー総統の出現に至る迄続けられたドイツ革命運動を扶植した事である。而して右の大戦を機として一斉に擡頭した共産主義革命運動は、昔日の帝政ロシアを覆滅したソヴィエート勢力を中心にして、爾来世界赤化運動となつて現はれ、世界の癌となり益々その陰謀は深められつゝあるのである。

(『近代戦と思想宣伝戦』、内閣情報局、昭和12年)

近代戦と思想宣伝戦――(1)近代戦の特性と思想宣伝戦

一、近代戦の特性と思想宣伝戦


昔の戦争は宣戦布告によつて開始せられたもので、武力戦が殆んど其の全部を占めて居り、しかも其の態様も比較的に小規模であり又単純であつた。

然しながら近代に至るや、平時戦時の明確なる区別は全く失はれ、戦争状態は既に平時より始まり、経済、外交、思想等各方面に亘る広汎にして深刻且執拗な抗争、葛藤となつて現はるゝに至つたのである。

されば如何なる局部的な国際間の事情も、極度に発達した交通、通信機関に依つて全世界人の目に映じ、耳に達する事になり、国民は深刻且迅速に国際間の政治、経済、外交、思想戦の渦中に投ぜらるゝに至つたのである。

彼の世界大戦に於ける聯合国側及同盟国側の宣伝謀略戦は、既に人の知る通りであるが、最近のスペイン内乱に於ては、思想宣伝戦の偉力が単に同国を左右両翼に分裂交争せしめたばかりでなく、コミンテルンの宣伝謀略によつて、事態は遂に人民戦線対国民戦線の交戦となり、勢の赴く所第二世界大戦勃発の危機をすら孕むに至つてゐる。

以上は近代戦の特性たる思想宣伝戦の登場を特記したのであるが、宣伝戦は単に思想戦のみならず各種各様の分野に於て戦はれつゝある事を知らねばならない。

(イ)、外交戦と宣伝戦

近時各国に於ける生産工業及一般産業の発展は国家間の相互依存関係を著しく密接化すると共に、世界に於ける産業経済上の競争ならびに排他的な動向は国際紛争を直ちに戦争にまで拡大する原因となつてゐる。従つて、かゝる複雑微妙な関係にある国際情勢に処し、戦争を未然に防ぎ或は戦争の拡大を防止し、より多くの同盟国、友邦を保有する事が今後に於ては一層必要となつて来た。即ち外交戦としての宣伝作業が重要になつて来たのである。

(ロ)、戦時経済と宣伝戦

更にまた、一国内の産業経済も複雑を加へ、高度に発展して来た為、戦時に於て国力の最大限度の動員を行ひ戦争を維持強化する為には、之等これら産業経済組織及能力を有機的に統制し、同時に国民の生活維持を確立しなければならぬ事になつたのである。かくの如き工作を遂行する為に世界大戦に於ては、各国政府が戦時経済促進の為の宣伝工作を行ひ、国民が能く之に順応した事は衆知の事実であらう。

(ハ)、国民精神と宣伝戦

更に近代戦は国運を賭して遂行される国力戦であるから、戦線、後方の区別なく一般国民は戦争に直接、或は間接に参与し、戦線兵士とは別個な労苦、困難に直面することゝなつた。さればかゝる国難を克服し苦痛に打ち勝つて戦争を遂行する為には、平時から強力な精神的訓練が必要である事は自明の理である。従つて国民精神の統一強化を行ひ、国民自らがその目的に向つて積極的に働きかける様にならねばならぬのである。

特に、輓近ばんきんに至り、自由主義、個人主義、物質主義の思想が国民の間に侵入し、就中なかんづく、共産主義及その亜流の破壊的革命思想は、戦時に於ける国民の精神動揺を好機として、反軍思想、反戦主義、革命運動、暴動、ストライキ等凡ゆる悪辣な手段を弄して道義心を破壊し、階級闘争意識の激発に努め、遂に之を内乱に導き、戦争半ばにして脆くも戦敗の悲運を満喫せしめんとする策動を行ふので、之に対する防衛の工作が必要となり、国民全般が一致協力して之等の悪思想、反逆行為、破壊運動を根絶し、教化善導の為に尽力しなければならぬ事になつたのである。

以上を考察すると、近代戦は大規模であると同時に複雑且機微な特性を有し、武力戦自体が昔日とは全くその内容を異にしたのみでなく、之を中心とする国際的な経済戦、外交戦及思想宣伝戦が平時は固より戦時には更に決定的な役割を演ずる一部門として展開せらるゝに至つた事を知るのである。

就中なかんづく思想宣伝戦に関して世界大戦当時遂行された主要点は次の如き分野を有してゐた。

(二)、世界大戦時に於て経済戦に協力した思想宣伝戦

(a)自国内経済をして戦時に備ふく、之が動員、統制(労働力の整備、物価調節、食糧調達、配給等)の為に活動した(特に独、仏、英に於て工作した)。

(b)最大限度の金融、資源を得る為にあらゆる方法に依り工作した(金、銀、宝石、鉄、銅、アルミニウム、鉛等を各家庭から寄附を仰ぐ為にも宣伝工作を行つたのである)(特に独逸が行つた)。

(c)他国から充分に資材、原料、食糧、軍需品を輸入し得る様に他国に於て工作をした(特に独逸)。

(d)自国商品の市場、投資地域の確保、拡大、安定化を計る為に活動した(特に独逸)。

(e)他国に於ける自国公債の応募、借款を最大限度に効果的ならしむる為努力した(特に米国に対する英仏の工作)。

(f)敵国内に於ける経済の統制、動員を妨害し、敵国の戦時経済を破壊するため、又は金融の遮断、恐怖の誘導を行ひ、敵国民の経済生活にも不安を与へる為に策動した(特に独逸)。

(g)敵国の同盟国及同情国に対しては、極力之を自国側に引き入れる工作を行ひ、軍需資源を敵国へ供給する事を防止し、或は之を自国に供給せしめる為努力した(特に独逸が工作す)。

(h)敵国市場の攪乱、奪取の為、経済的工作を行ふと共に宣伝作業を遂行した(特に独逸)。

(ホ)、世界大戦時に於ける外交政策上其の他の思想宣伝工作

(a)戦前及戦時に於て、軍事上有形無形の利益を保証する同盟国を得る為に工作した(英、仏、独共に行ふ)。

(b)戦時に於ける軍需品、食糧、生活必需品の供給を可能ならしむる協商国を得る事に努力した(特に英、仏)。

(c)敵国の同盟国、協商国、密約国をして敵国と離反せしめる工作を行つた(特に独逸)。

(d)敵国及その同盟国内に内乱、革命、暴動を煽動し、政治、経済機関の破壊、混乱化を計つた(特に聯合軍側が独逸に対して行つた)。

(e)敵国の軍事的機密を探知する為に、敵国内の反政府分子、不平分子等を操縦した(交戦国何れも行ふ)。

以上は軍事的工作を除いた二方面の活動に就いて略説したのであるが、近代戦に於てはかゝる大規模の工作が見えざる力として作用するのである。これは堂々勝負を争ふ武力工作に対し搦手からめてよりする政略工作であつて、其巧妙なる指導が相手国に如何に痛痒を与ふるかは想像に難くない。

世界大戦に於ては、以上の工作の為にも官民総ての機関を動員して、国民全体の力を以て戦争に参加したのである。

例へば、米国内に於いては思想宣伝戦の為に、七万五千人の義勇奉仕者が五千二百の団体を動かして七十五万五千五百九十回の講演会を開き、七百人の翻訳者が米国内に在る外人に読ませる新聞の記事を書き、三十種を超えるパンフレットを七ヶ国語に印刷して七千五百万冊の複写物を国内に散布し、ポスター、ウインドウカードの如きものも一千四百三十八ヶ所で印刷され、毎月十万部の宣伝用新聞を印刷配布し、二十万の幻燈器を製造して毎月七百種の軍事写真を上映した。国内宣伝の為に動員された人員及器材、所要製作所等は無数に及んだのである。

特に大戦時に於ける食糧問題に就いて、米国の主婦達が、自発的に食糧節約運動を起して其の主旨を徹底させ、銃後の任を全うせるが如きは特筆す可きものであつた。銃後の婦人達があらゆる男子の職業戦線に立つて活動した事は勿論である。かくの如く、大戦に於ては老若男女こぞつて或は思想戦に或は経済戦に何等かの役割を負つて活動し悉く戦争の労苦を共にし、国家の為犠牲的に奉仕したのである。

(『近代戦と思想宣伝戦』、内閣情報局、昭和12年)