2016年2月10日水曜日

紀元節

紀 元 節


紀元節とは、每年二月十一日を以て御擧行遊ばさるゝ、我が大日本皇國紀元の大祝日にして、すなはち 皇祖神武天皇と稱し奉る所の、 神日本かむやまと磐余彥いはれびこのみことが、天子の御位みくらゐに即き給ひし御歲おんとしなり、

初め 天皇、日向國ひむかのくになる高千穗の宮にましまして、天下を治め給ひしかど、西隅せいぐうへんせるの故を以て、東國とうごく中國ちうごく等には未だ皇化に服せざる者あるを憂へ給ひ、諸皇子と謀り、舟師しうしを率ゐて、幾多の諸賊を滅ぼし、遂に大和國に入り給ひ、辛酉かのととりの春正月を以て、畝傍うねび橿原かしはらの宮に於て御即位の大禮を擧行せられ、あらたに元年をしるし給ひし、我が日本國民には最も印象深き尊き日なるにより、 明治天皇の大御代おほみよ知食しろしめすに當り、明治五年十一月十五日太陽曆御頒布の節、始めて之を祝日と定め給ひ、こゝに今年大正十二年は、乃ち二千五百八十三年なり、

されば宮中に於て畏くも 天皇陛下御親祭あらせられて、寶祚ほうそ天壤てんじやうと共にきはまり無からん事を祈祝きしゆくし給ふの御儀おんぎにして、正午よりは、皇族殿下、文武百官及び外國使臣等を豐明殿に御召出おんめしだしになり、御宴ぎよえんを賜ひ、優渥いうあくなる勅語を下し給へば、此時、總理大臣は群臣を代表して寶祚の無窮むきうを祝し、外國使臣もまた同樣、祝詞しゆくしを奉るので、まこと慶祥けいしやう比類なき、いとも目出度めでたき大典なり、

紀元節御親祭

さればわが 皇國の民たる者は、其國體の尊嚴なる、其紀元の悠久なる、其日章旗の神聖なる、廣き萬邦に對し、眞に超然として誇稱こしようき一大美點に在らずや、むべなり世界列强の民衆といへども、等しく瞻望せんばう欽羨きんせんして措かざること、

故宮內省御歌所おんうたどころ長、男爵高崎正風まさかぜ翁の「紀元節」と云ふ長歌はまことく此の理由を歌ひつくしあれば左に之を揭載せん、

仰げあふげ天壤あめつちの  あらん限りは榮えんと
あま御神みかみのたまひし  みことのままに高御座たかみくら
動かぬもとゐ建初たてそめし  神武のみかど智仁勇ちじんいう
そなはせる君にして  皇祖瓊瓊杵尊ににぎのみことより
日向ひむかの國の高千穗に  宮居みやゐ定めてまつりごと
しき給へれど恩澤おんたくに  まだうるほはぬ國多し
邑長いうちやうたがひに爭ひて  罪なき民のくるしむを
すくひ助けて天業てんげふを  おし弘めんと雄々しくも
おぼしたゝして皇子達みこたちと  大御軍おほみいくさをひきゐまし
西のはてより遙々と  ひむかしさしていでたたす
稜威みいつの風に草も木も  なびきしたがひ丹敷戶畔にしきとべ
兄猾えうかしはじめ兄磯城えしき等も  長髓彥ながすねひこもほろびけり
大和國やまとのくに橿原かしはらに  都をさだめ宮柱みやはしら
ふとしくたてゝ御位みくらゐに  のぼらせ給ふもろもろの
つかさを定め天下あめのした  鎭めたまへば大八洲おほやしま
また波風のさはぎなし  國民くにたみ喜びまつろひて
はつ國しらす天皇すめろぎと  あがめたふとみ天地あめつち
わかれし如く明かに  君臣くんしんの分さだまりぬ
地球のうちに國といふ  國はあれども浦安うらやす
國の名おひて外國とつくにの  人もうらやむたぐひなき
國をたてたる天皇すめろぎの  大御勳功おほみいさをに較べては
畝傍うねびの山も高からず  增田ますだの池も深からず
七千餘萬の皇國人みくにびと  もとを忘れず紀元節
祝ふ今日社けふこそ樂しけれ  祝ふ今日社けふこそ樂しけれ

ひとあやしむ、百年を以て一世紀とすれば、我が二千五百八十三年の紀元は、乃ち二十六世紀にして、西洋耶蘇やそ降生かうせいの紀元たる一千九百二十三年は、二十世紀なり、

今日世界國際上、時と場合とによりては、あるひは此の世紀を使用するのむを得ざる事あるしと雖ども、儼然世界の一等國として、獨立せし我が帝國國民が、奇を好むのきよく、自己の世紀を捨てすゝみて呼稱す可き事ならむや、

されば彼が二十世紀と唱ふる場合は、我は宜しく二十六世紀を以てす可し、何の足らざる所あり、何を苦しみて、我が神聖無比の世紀を捨てゝ、彼にならふ事をこれせんや、

試みに思へ、吾人の世に處する、固より傲慢不遜の態度ある可からずと雖ども、しかも更に自己尊重の氣節なく屈辱卑下して、他に盲從するが如き、そもそもこれ人間の能事のうじならんや、況や外に對しいよいよますます奮つて、國權を伸長せざる可からざるの時に於てをや、かくの如きは所謂、喬木を下りて幽谷に入る、尊外卑內の徒のみ、苟くも國家的の觀念に富める愛國人士の口にする事ならんや、

されば將來國家を形つくる所の、重任ある學生諸君、た國家の干城かんじやうたる軍人諸君に於ては、尤も深く愼まざる可からざる所なり、故に今紀元節の理由を序述するに當り、特記して迷夢を警醒する事しかり、


唱歌 紀元節

高崎正風 作詞
伊澤修二 作曲

   第一章
  雲にそびゆる高千穗の  高根たかねをろしに草も木も
  なびき伏しけむ大御代おほみよを  仰ぐ今日こそたのしけれ

   第二章
  海原なせる埴安はにやすの  池のおもよりなほひろき
  めぐみの波にあみし世を  仰ぐけふこそたのしけれ

   第三章
  天つ日嗣ひつぎ高御座たかみくら  千代萬代よろづよに動きなき
  もとゐさだめしその神を  仰ぐ今日こそたのしけれ

   第四章
  空にかがやく日のもとの  よろづの國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を  あふぐけふこそたのしけれ



(八雲都留麻『大祭祝日略説:国民宝典』、八重垣書院、大正12年)より

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