紀 元 節
紀元節とは、每年二月十一日を以て御擧行遊ばさるゝ、我が大日本皇國紀元の大祝日にして、
初め 天皇、日向國 なる高千穗の宮に坐 まして、天下を治め給ひしかど、西隅 に偏 せるの故を以て、東國 中國 等には未だ皇化に服せざる者あるを憂へ給ひ、諸皇子と謀り、舟師 を率ゐて、幾多の諸賊を滅ぼし、遂に大和國に入り給ひ、辛酉 の春正月を以て、畝傍 の橿原 の宮に於て御即位の大禮を擧行せられ、新 に元年を紀 し給ひし、我が日本國民には最も印象深き尊き日なるにより、 明治天皇の大御代 を知食 すに當り、明治五年十一月十五日太陽曆御頒布の節、始めて之を祝日と定め給ひ、玆 に今年大正十二年は、乃ち二千五百八十三年なり、
されば宮中に於て畏くも 天皇陛下御親祭あらせられて、寶祚 の天壤 と共に窮 り無からん事を祈祝 し給ふの御儀 にして、正午よりは、皇族殿下、文武百官及び外國使臣等を豐明殿に御召出 になり、御宴 を賜ひ、優渥 なる勅語を下し給へば、此時、總理大臣は群臣を代表して寶祚の無窮 を祝し、外國使臣も亦 同樣、祝詞 を奉るので、寔 に慶祥 比類なき、いとも目出度 大典なり、
紀元節御親祭 |
されば我 皇國の民たる者は、其國體の尊嚴なる、其紀元の悠久なる、其日章旗の神聖なる、廣き萬邦に對し、眞に超然として誇稱 す可 き一大美點に在らずや、宜 なり世界列强の民衆と雖 も、等しく瞻望 欽羨 して措かざること、
故宮內省御歌所 長、男爵高崎正風 翁の「紀元節」と云ふ長歌は洵 に能 く此の理由を歌ひ盡 しあれば左に之を揭載せん、
仰げあふげ天壤 の あらん限りは榮えんと
動かぬ基 建初 めし 神武の帝 は智仁勇
しき給へれど恩澤 に まだ潤 ほはぬ國多し
すくひ助けて天業 を おし弘めんと雄々しくも
西のはてより遙々と 東 さしていでたたす
つかさを定め天下 鎭めたまへば大八洲
また波風のさはぎなし 國民 喜びまつろひて
はつ國しらす天皇 と あがめたふとみ天地 の
わかれし如く明かに 君臣 の分さだまりぬ
地球のうちに國といふ 國はあれども浦安 の
國の名おひて外國 の 人もうらやむ類 なき
國をたてたる天皇 の 大御勳功 に較べては
七千餘萬の皇國人 もとを忘れず紀元節
祝ふ今日社 樂しけれ 祝ふ今日社 樂しけれ
今日世界國際上、時と場合とによりては、
されば彼が二十世紀と唱ふる場合は、我は宜しく二十六世紀を以てす可し、何の足らざる所あり、何を苦しみて、我が神聖無比の世紀を捨てゝ、彼に
試みに思へ、吾人の世に處する、固より傲慢不遜の態度ある可からずと雖ども、
されば將來國家を形つくる所の、重任ある學生諸君、
唱歌 紀元節
高崎正風 作詞
伊澤修二 作曲
伊澤修二 作曲
第一章
雲に聳 ゆる高千穗の 高根 をろしに草も木も
なびき伏しけむ大御代 を 仰ぐ今日こそたのしけれ
第二章
海原なせる埴安 の 池のおもより猶 ひろき
めぐみの波に浴 し世を 仰ぐけふこそたのしけれ
第三章
天つ
第四章
空にかがやく日のもとの 萬 の國にたぐひなき
國のみはしらたてし世を 仰 ぐけふこそたのしけれ
(八雲都留麻『大祭祝日略説:国民宝典』、八重垣書院、大正12年)より
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