2017年2月9日木曜日

万世一系の皇位とは

我が国の皇位といふのは、万世一系の 天皇の御位であり、これは神代からたゞ一すぢにつゞいて来た御継承の御位であります。皇位は皇祖天照大御神の御子孫にましまし、御先祖の肇め給ふた国を承け継ぎ、泰平に統治することを大御業おほみわざとなさせ給ふ「すめらぎ」、即ち、天皇の御位であります。本文に見える「しろしめす」、即ち、「しらす」といふことは今日統治といふ文字があてられますが、これは君民一体となつて、了解の政治を行ふといふことであり、前にも説かれてゐましたやうに、皇祖天照大御神と御一体となつてその大御神の大御心を今にあらはし給ひ、国家を隆盛ならしめ、しも万民を慈しみ給ふ 天皇の御地位に他ならないのであります。

日本国民は、現御神あきつみかみにまします 天皇を仰ぐことに於て同時に皇祖皇宗を崇拝し、その深い御恵みの下に我が帝国の臣民となつてゐるのであります。かくの如き皇位は、尊厳きはまりなき高御座たかみくらであり、永遠に変ることなき我が国の大本であります。高御座と申すのは、天皇の御即位のときお坐りになる御座所のことで、つまり 天皇の御位のことであります。

この高御座に即き給ふ 天皇が万代たゞ一本の御血筋より出でさせ給ふ事は我が肇国の大本であり、天照大御神の神勅にも明かに示し給ふところであります。即ち、大御神の御子孫がひきつゞいてこの御位に即かせ給ふことは、永久に変ることのない我が国の正しい掟であります。

我が国は前にも申したやうに家族国家とも称すべきもので、国家全体が一つの大きな家族となつてゐて、君臣の関係はまた父子の関係の如き深いものがあるのですが、外国はさうでありません。多くの家族が集つて出来てゐる国家であります。つまり個人の集団によつて国家は成立なりたつてゐます。さういふ外国に於ては、君主は智とか、徳とか、力とかを標準にして、徳あるものはその位に即き、徳なきものはその位を去らねばなりません。また、権力によつて自由に支配者の位置に上ることが出来るのでありますから、その代りに権力を失つたものはその地位を逐はれるといふことになります。更に又、民衆の意のまゝになつて、その地位は選挙によつて決定せられるといふやうなのもあります。かやうに外国に於ける君主の地位といふものは、人間の行為や権力によつて自由勝手にこれを定めるといふことになるのであります。

ところが、この徳といひ、力といふが如きものは相対的のものであります。徳あるものが君主の地位についてゐたとしても、それ以上徳のあるものが現はれゝばどうなりますか。又、力あるものが君主の地位についてゐたとしても、なほその上に力のあるものが出ればどうなりますか。そこにはおのづから権勢や利害に動かされてみにくい争闘が生じ、君主の地位の奪ひ合ひといふやうな浅猿あさましいことになつて、血腥ちなまぐさい革命騒ぎなどが演じられるのであります。

然るに、我が国の場合は全然これと異つてゐます。我が国に於ては、皇位は万世一系の皇統に出でさせられる御方、即ち皇祖天照大御神からのたゞ一筋の御子孫によつてのみ継承せられることに定まつてゐて、それは如何なることがあつても絶対に動かないのであります。されば、かゝる絶対不動の皇位にまします 天皇は畏れ多くも自然にすぐれたる御徳をそなへさせられ、従つてその御位は益々鞏固で、又、まことに神聖なものであります。帝国憲法のことは、本文にも後になると出て来ますが、その第一条に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、又、第三条に、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあります。これは、天皇の御位は絶対不動のものであり、その御位にまします天皇は、又、最高絶対に神聖なものであることをはつきりと法律的条文によつて国民に示されたものであります。だが、かういふ法律的条文のあるなしに拘らず、私共日本国民にとつて、皇位は絶対不動のものであり、天皇は絶対神聖なものであります

我が国に於て臣民が天皇に仕へ奉るのはいはゆる義務ではありません。又、その権力に服するのでもありません。自然の心のあらはれであり、天皇陛下に対し奉る自らなる渇仰であります。たゞひたすらにしたがしたがひ奉らんとする心であります。神を崇敬する気持とも等しいものとも云へませうか、学者の中には、これを宗教的信仰と申してゐる者もあるやうです。私共国民は、この皇統の弥々いよいよ栄えます所以と、その外国に類例のない尊厳とに深く感激し、景仰し、万世一系の 天皇を奉戴することに対しての矜持ほこりと感謝とを覚えずにはゐられないのであります。

熱心なる日本主義者であり、我が国憲法学の権威であつた故上杉慎吉博士は、常々、「我が国に於て何物を失ふとも、失ふべからざるものは、万世一系の天皇である。天皇のおはします一事は、これ日本の日本たる所以である」と高唱してゐられたといふことでありますが、たしかに日本の日本たる所以は、世界に絶対に比類のないところの万世一系の 天皇を奉戴する一事であります。日本の特質はこゝに発し、日本の國體はこゝに基づき、日本精神もこゝに発揮され、皇道もこゝに生動すると申されませう。

なほ上杉博士は、わが 天皇と西洋の国王君主との歴史を比較して、わが 天皇の本質を述べてゐられますから、本文の解説を補ふ参考として述べておきませう。

わが国の 天皇は臣民を慈しみ給ふをもつて統治目的とし、かつ大御業の目的とせられるのであります。されば、国民和合といふことは日本国の誇るべき美点となつてゐます。然るに、ヨーロッパの歴史を見るに、国王と人民とが絶えず争闘をしてゐます。即ち、ヨーロッパ諸国では、国王の専制は極端に達し、暴虐無道を極めた、これに対して、人民の反抗心もたかまつて、遂には国王と人民との間に浅猿あさましい争闘を現出し、或は倒れ、或は起ち、争闘の歴史を繰返してゐるのであります。

然るに、我が国では、歴代の 天皇は臣民を愛撫慈養したまふをもつて、その目的とせられ、君民の間には美しい和合があるばかりで、ヨーロッパの歴史に見られる如き君民の争闘は、我が国民の夢にだに思ひ及ばぬことであります。我国に於ては、昔より臣民は陛下の大切な宝物だとされてゐます。そして、臣民の利益は 天皇の御利益であり、天皇の御利益は臣民の利益であつて、一致して離れることがないのであります。かくて、天皇は臣民を子の如く慈しみ給ひ、臣民はまた 天皇を神の如く崇敬し、奉仕するところに、我が國體の万邦に比類ない美しさが見られるのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)

天壌無窮といふこと

先に天壌てんじやう無窮むきうの神勅に就て述べられましたが、こゝでは天壌無窮といふ言葉の意味についてもうすこしくはしい説明がしてあります。天壌無窮とはその言葉の通りに解すれば、天地と共にきはまりのないといふことであります。しかし、この無窮といふことをたゞ単に文字の上のみで永久とか、無限とかに解して、時間的につゞくといふことにのみ考へるのは、未だその意味を充分に解しつくしたものとは云へないのであります。

大体、普通の解釈による永遠とか、無限とかいふ言葉は、単なる時間的の連続における永久性を意味してゐるのでありますが、いはゆる天壌無窮は、勿論さういつたやうな永遠とか、無限とかいふ時間的連続の意味をも持つてゐますが、なほそれよりも更に一層深い意義のあることを考へねばならないのであります。即ち、この言葉は過去から将来にわたるところの永遠をあらはすと同時に現在を意味してゐます。永久性と同時に現在性をも含んでゐるのであります。これはどういふことかと申しますと、現御神あきつみかみにまします 天皇の大御心や大御業おほみわざの中には、畏くも皇祖皇宗の御精神、御霊魂が拝せられますし又、この中に我が日本帝国の限りなき将来が生きてゐるのであります。

それで、天皇の御位が天壌無窮であるといふ意味は、天皇の御位は永遠のものであり、無限のものであるといふだけの説明ではいさゝか物足りないので、実に過去も未来も現在に於て一つになつてゐて、そこに我が国が永遠の生命を有し、無窮に発展すると解すべきであります。即ち、時間的連続に於ける永久性といつたものを超越して、もつともつと深い意味があるのです。そして、我が国の歴史は永遠の現在の展開であり、我が国の歴史の根柢にはいつも永遠の現在が流れてゐるのであります。こゝに、我が國體の現実性と積極性が見られます。

「教育ニ関スル勅語」の中に、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼フヨクスベシ」と仰せられてゐますが、これは、日本国民の各自が皇祖皇宗の御遺訓をよく承けつぎ給ふ 天皇に奉仕し、その大御心を奉戴し、日本臣民としての正しい道を踏み行ふところに実現せられるのであります。これによつて君民は一体となつて、国家は益々成長発展し、天皇の御位はいやが上にも栄え給ふのであります。畏くも日本国民の御親であらせられる 天皇は、その御一生を悉くその大御業のために奉仕遊ばされるのであります。

天皇には「わたくし」といふものがなく、すべては「おほやけ」であります。天皇の御位、それが御献身を意味します。されば、天皇は文字通り一切をその大御業にさゝげておいでになるのであります。かゝる世界に比類なきところの君主たる 天皇を奉戴する私共国民は又一切を 天皇にさゝげ奉つてゐるのであります。国民一致して君主に一切をさゝげる心を持てる国、それは世界に日本だけしかありません。日本の國體上さういふ国家になつてゐるのであつて、これは他国の模倣し得ざるところであります。こゝに日本帝国の絶大なる特質があります。

説明がすこしわきへ外れましたが、まことに天壌無窮の 天皇の御位は我が國體の根本でありまして、これを神代の昔、肇国の初めに当つて、我が國體の宣言として、万古不易に確立し給ふたのが天壌無窮の神勅であります。この天壌無窮といつた言葉には実にさういつたやうな深い意味があるのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)

2017年2月8日水曜日

神勅と皇孫の降臨

天照大御神は、「和魂にぎみたま」(平和の心)の神であらせられると共に「荒魂あらみたま」(戦闘の心)の神であらせられ、発展向上の精神と調和統一の精神とを合せ持つておいでになつて、その宏大無辺の大御心で国家創成の大事業を益々繁栄せしめ、発展せしめるために、こゝに皇孫を降臨せしめられ、有名な神勅を下し給ひ、それによつて君臣の大道を定め、我が国の祭祀と政治と教育に就ての根本を確立し給ふたので、我が大日本帝国の國體の基礎はこゝに出来上つたのであります。我が國體はかくの如き意味深い肇国の事実に始まつて、天地と共に亡びることなく成長発展するものであつて、万国に比類ないところの万世一系の 天皇を奉戴する國體の盛観は、すでにこの神勅の中に示されてゐるのであります。

て、天照大御神は皇孫瓊瓊杵尊ににぎのみことを降し給ふに先立つて、御弟素戔鳴尊すさのをのみことの御子孫であらせられる大国主神おほくにぬしのかみを中心とする出雲の神々が大命をかしこんで恭順せられたのであります。このことを今すこしくはしく説明して置きませう。

御姉君おんあねぎみ天照大御神の平和を好み給ふ御心に反対して、非常に争闘心の強かつた素戔鳴尊はとかく乱暴がすぎて、そのために大御神は天の岩戸に身をかくし給ひ世の中が暗黒になつたやうなこともありましたが、遂に八百万の神々から高天原たかまのはらを追ひ出され給ひ、その後、素戔鳴尊は出雲にお降りになつて、の川上で哀れな老夫婦のために高志こし八俣大蛇やまたのをろちを退治なされ、老夫婦の娘の櫛名田比売命くしなだひめのみことを妃として出雲の須賀といふところに宮居みやゐを作られ、御夫婦でお住ひになりました。その時お詠みになつたのが有名な
八雲やくも起つ 出雲八重垣やへがき 夫妻隠つまごみに 八重垣造る その八重垣を
といふ歌であります。

この素戔鳴尊の御子孫に大国主神(大国主命)といふ方があります。例の因幡いなばの兎をお助けになつたことで小学生にも知られてゐる有名なお方です。「古事記」には素戔鳴尊六世の子孫とあり、「日本書紀」には素戔鳴尊の御子とあります。どちらが正しいのか、そんなことをこゝで詮索する必要はありません。かく、この大国主神は大変偉いお方で、仲の悪い御兄弟の八十神からいろいろの迫害のあつたにも拘らず、忽ちのうちに出雲地方を平定して国土の経営につとめられたのであります。

当時、高天原では、天照大御神及び高木神(高御産巣日神たかみむすびのかみ)の命を受けて、天菩比神あめのほひのかみといふ方が出雲に降つておいでになりましたが、強大なる大国主神の勢力になびき、三年間も出雲に留まつたまゝ高天原に帰つておいでになりません。つゞいて出雲へお降りになつた天若日子あめのわかひこも大国主神の御女おんむすめ下照比売命したてるひめのみことを妻として、八年たつてもお戻りにならず、高天原への消息が全く消えました。そこで、今度は雉名鳴女きゞしななきめを遣はされましたところ、雉は天若日子の射た矢のために殺されてしまひました。かくして、天之安河原あまのやすがはらで出雲へ遣はすべき適任者に就て大会議が開かれ、その結果選ばれたのが建御雷神たけみかづちのかみであります。

建御雷神は、布都魂剣ふつのみたまのつるぎ(経津霊剣とも書く)を提げ、天鳥船神あめのとりふねのかみを従へ、高天原を出発して、出雲の伊那佐之いなさの小濱をばまに降り、波の上に剣をさかさに突き立てゝ、剣先にあぐらをかきながら、大国主神に向つて談判をなされました。
「自分は天照大御神と高木神(高御産巣日神)との命を奉じて来たのであるが、御身の支配してゐる葦原あしはらの中国なかつくには、大御神の御子が当然統治せらるべき国である。それについて御身はどう考へられるか」
と問はれました。すると、大国主神はその返答を御子の事代主神ことしろぬしのかみに譲られました。事代主神は大御神の御旨をたゞちに受容うけいれて、「謹んでこの国土を天孫に献上いたしませう」と答へた。ところが、大国主神のもう一人の御子建御名方神たけみなかたのかみは国土献上のことを手強く反対して、「誰だ、俺の国へ来てこそこそと内証話ないしようばなしをしてゐる奴は」と咎め、「さあ力くらべをしよう」と千引の岩を手先に捧げ、建御雷神に向つて戦ひを挑んで来られました。

さて力競べをなさると、建御雷神は非常に強く、建御名方神は大いにおそれて逃げ出されました。どんどん逃げて科野国しなぬのくに(信濃国)の洲羽海すはのうみ(諏訪湖)の在るところまで逃げて行かれました。建御雷神がそこまで追ひつめて行かれますと、「どうか助けてくれ、私は父神や兄神の仰せの通りにする。そして共に皇室のお守りをする」と建御名方神は誓はれました。信濃の官幣大社諏訪神社はこの方を祭神としてゐます。建御雷神はそこで出雲へ引返して来られて、もう一度大国主神に念を押されますと、大国主神は、
「たしかにこの国土は天照大御神の御子に奉ります。たゞ私の住居すまゐを立派に建てゝ下さるならば、私は遠い黄泉国よもつくににかくれてをりませう。また、私の多くの子達も、決して一人もこれに不服を申す者はありますまい」
と仰せになつて、隠退し給ひました。申すまでもなく、出雲の大社の祭神は、この大国主神を祭神とするのであります。かくして、つゝがなく使命を果された建御雷神は高天原に帰つて、そのことを天照大御神に報告なされたのであります。

こゝに於て、皇孫瓊瓊杵尊は豊葦原とよあしはら瑞穂国みづほのくにに降臨遊ばされることになりました。そして、この皇孫降臨に際して天照大御神は有名な天壌てんじやう無窮むきうの神勅を授け給ふたのであります。
豊葦原の千五百秋ちいほあきの瑞穂の国は、是れ吾が子孫うみのこきみたるべきくになり。宜しくいまし皇孫すめみまきてしらせ。行矣さきくませ宝祚あまつひつぎさかえまさむこと、まさ天壌あめつちきはまりなかるべし。
謹んでこの神勅の意味を説明すれば、日本の国はまさしく我が子孫のものが君主たるべき土地であるから、御身が行つてこれを統治しなさい、皇位の盛んなることは、天地と共に弥栄いやさかえるであらうといふのであります。

我が國體の神髄は、申すまでもなく万世一系の 天皇を戴き奉ることでありますが、その根拠はこの神勅にありまして、皇統の一系は神勅によつて定まり、厳たる君臣の道は神勅によつて示されてゐるのであります。かくて、我が日本帝国の基礎は実にこの神勅によつて築かれ、肇国の大精神は皇孫の降臨によつて万代不変の我が帝国に実現せられたのであります。

だが、こゝでちよつと注意しなければならないのは、すでに二三の学者によつて述べられてゐますやうに、この神勅の渙発は日本帝国の創成を語るものでなく、又、この神勅によつて我が國體が定まつたといふわけでもないので、我が国はこれ以前にすでに肇まつてゐたのでありますし、我が國體にしてもすでに神勅に掲げられるやうな事実は厳として存在してゐたのであります。それで、この事実の上に神勅が発せられたといふことは、これによつて、日本の國體を宣言せられ、確立せられたと見るべきであらうと思ひます。と云つて、神勅の尊厳はすこしも減じるものでありません。否、それだから神勅の尊厳は益々加はるのであります。それは、神勅によつて日本の國體が突如として作られたのではなく、あるがまゝの事実を宣言せられたのでありますから、これほど自然であり、確実であり、公正であることはないと云へるのであります。

さて、皇孫瓊瓊杵尊の降臨に際して、天照大御神の三種の神器(この三種の神器に就ては後にくはしい説明が出てゐます)をお授けになつたのでありますが、特に御鏡をお授けになる場合の神勅(これを神鏡奉斎の神勅といふ)には、
此れの鏡は、専ら我が御魂みたまとして、吾がみまへいつくがごと、いつきまつれ。
とあります。即ち、「この鏡をわが御魂として自分を拝むやうに拝めよ」と仰せられてゐるのであります。抑も御鏡は天照大御神の崇高なる御霊魂として皇孫に授けられ、御歴代の 天皇がこれを承け継ぎ給ふのであります。御歴代の 天皇がこの御鏡を承けさせ給ふことは、常に皇祖天照大御神と共にあらせられようといふ、まことに意味深い御心であります。されば、天照大御神の崇高なる御霊魂はこの御鏡と共に今になほましますのであります。天皇は、それで、この神勅の御旨に従ひ、常に御鏡を皇祖として拝し給ひ、大御神の御心を御心とし、大御神と御一体とならせたまふのであります。こゝに我が国に於ける神を敬ひ祖先を崇拝する――敬神けいしん崇祖すうその根本の意味がうかゞはれるのであります。

又、この神勅に次いで、
思金神おもひかねのかみは、みまへの事を取り持ちてまつりごとせよ。
と仰せられてゐるのでありますが、この詔の意味は、思金神が天照大御神の詔に従つて、常に御前の事を取り持ちて行ふべきことを明示し給ふたものであります。なほくはしく説明すれば、大御神の御子孫として現御神あきつみかみであらせられる 天皇と、天皇の御命令によつて我が国の政治を取り行ふものとの関係をはつきりと御示し遊ばされたものであります。即ち、我が国の政治は、いはゆる祭政一致であつて、上は皇祖皇宗の御神霊を祀り、同時に現御神として下万民を率ゐ給ふ 天皇の統治せられるところであります。されば、祭政の事に当るものは天皇の御心をよく奉戴して、至誠まことを以て 天皇を輔佐おたすけしなければならないのであります。かくの如く、我が国の政治は、極めて神聖なる事業であつて、決して勢力のある一方面のものが勝手に行ふべきものではないのであります。

こゝに於て、本書は、天皇の御本質を明らかにし、我が國體の精神をなほ一層はつきりさせるために、神勅の中にうかゞはれる天壌無窮、万世一系の皇位、三種の神器等についてその意義を悉しく説明されてゐるのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)

2016年12月23日金曜日

天長節

十二月二十三日は天長節なり。

天長節は我が 今上天皇陛下の生れさせ給ひし日にして、 聖寿の長久を祝ひ奉る節会せちゑなり。

此の日は、賢所、並びに皇霊殿、神殿の三前に於て祭事を行はせられ、群臣に酺宴ほえんを賜ふ。明治元年、初めて此の儀を行ひ給ひしを、後には兼ねて観兵の式をも挙げさせ給ふ事となりぬ。

天長とは天長地久の語(『老子』)より出づ。則ち 聖寿の長久を祝する義なり。聖誕日を天長節と曰ふ事の起りは 光仁天皇の御世に在り。宝亀六年(皇紀1435年、西暦775年)九月壬寅の勅に
十月十三日ハ是レ朕ガ生日ナリ、此ノ辰ニ至ル毎ニ感慶兼ネ集ル、宜シク諸寺ノ僧尼ヲシテ、毎年是ノ日、転経行道セシムベク、海内諸国ナラビテ屠ヲ断ツベシ、内外百官酺宴ヲ賜フコト一日、仍テ此ノ日ヲナヅケテ天長節ト為ス、ネガハクハ斯ノ功徳ヲ廻ラシ、ツヽシミテ先慈ニ奉ジ、此ノ慶情ヲ以テ、普ク天下ニ被ラシメン
とのりたまひ、『同年十月癸酉、是日天長、大ニ群臣ニ酺シ、翫好グワンカウ酒食ヲ献ゼシム』とあるを以て始めとす。此の時代には、仏法盛に行はれしを以て、各寺に読経などをも仰せられて其の儀甚だ盛なりき。王政復古に及びて、 明治天皇、此の節を定め給ひしは、すなはち 光仁の御制を復し給へるなり。

抑も此等の祝日を定め給ふは、衆庶と歓楽を共にせさせ給はんの大御心より出づ。臣民たるもの誰か感佩かんぱいせざるものあらん。今、甞て酺宴を賜ひし時の 明治天皇の勅語を挙げん。
コヽニ朕ガ誕辰ニアタリ、群臣ヲ会同シ、酺宴ヲ張リ、舞楽ヲ奏セシム、汝群臣、 朕ガトモニ楽ムノ意ヲ体シ、其レク歓ヲ尽セヨ、
時の太政大臣三条実美公、及び従一位中山忠能公等これに奉答せり、その詞に曰はく、
茲ニ天長ノ佳節ニ方リ、 陛下群臣ヲ会同シ、酺宴ヲ賜ヒ、舞楽ヲ奏セシメ、特ニ辱クモ偕楽ノ 寵命ヲ拝ス、群臣感喜ノイタリヘズ、ニ歓ヲ尽クシ楽ミヲ極メザルベケンヤ、乃チウヤウヤシク 陛下ノ聖誕ヲ祝シ、万寿無彊ヲ祈リ奉ル、
此の勅語を奉読せば其意おのづから明かならん。

今上陛下は第百二十四代 昭和天皇の皇子にして御名を 継宮つぐのみや明仁あきひと親王殿下と申し奉り、昭和八年十二月二十三日の御誕生なり。御年十八歳(昭和二十七年)にして太子に立ち給ひ、御年五十五(平成元年)の時、御位に即かせ給へり。

陛下には、 先帝陛下の大御心を御心とし給ひ、 玉体を労し、 叡慮を悩まし給ひ、黎庶に先だちて辛苦を甘んじ、常に苦楽を共にせさせ給ひしかば、国家の鴻基益々固く、君民の紐帯益々強く結ばるゝに至れり。特に災害の度毎に罹災者に寄り添ひ給ひ、また大戦に於ける戦死戦歿者の慰霊の為に国内のみならず世界各地の戦跡を行幸あらせらるゝに及びては、我等国民一同 畏き大御心に感涙せざる者なし。

我等が万世一系の有難き大御国に生れて安楽に暮らし得るは、これ皆偏へに 陛下の御仁恵によるなり。されば天長節に当りて、我等は謹んで 聖寿の万歳を祝し、恭しく宝祚の隆盛を祈り奉らでやはあるべき。



2016年11月25日金曜日

How UNESCO Blackmails Israel and Exploits the Holocaust(ユネスコが如何にイスラエルを恫喝しホロコーストを悪用してゐるか)

元記事:http://www.blogwrath.com/unesco/how-unesco-blackmails-israel-and-exploits-the-holocaust/7851/


Recently, UNESCO, the organization supposed to preserve the world’s cutural heritage and promote peace, made a few political decisions that were against its mandate. As a result, Israel and Japan withdrew their financing and stopped collaborating with UNESCO. The text below is a letter sent by the Canada-Israel Friendship Association to the directors of the organization in Paris:


世界文化遺産を護り平和を促進する筈の組織―ユネスコは近頃、その使命に反する幾つかの政治判断を行ひました。結果として、イスラエルと日本は分担金の拠出を保留し、ユネスコとの協力を停止しました。以下の文章はカナダ・イスラエル友好協会が、パリに在るユネスコ役員等に宛てた手紙です。




Years ago, UNESCO was established with the noble goal to facilitate cultural exchange and mutual understanding among the countries in the world in order to establish peace and harmony. Article 1 of its constitution boldly states:

その昔、ユネスコは、平和と調和を構築する為に、世界の国々の文化交流と相互理解を促進するといふ高潔な理想の下に設立されました。その憲章の第1条は力強く謳ひます。
“The purpose of the Organization is to contribute to peace and security by promoting collaboration among the nations through education, science and culture in order to further universal respect for justice, for the rule of law and for the human rights and fundamental freedoms which are affirmed for the peoples of the world, without distinction of race, sex, language or religion, by the Charter of the United Nations.” 
「この機関の目的は、国際連合憲章が世界の諸人民に対して人種、性、言語又は宗教の差別なく確認してゐる正義、法の支配、人権及び基本的自由に対する普遍的な尊重を助長するために教育、科学及び文化を通じて諸国民の間の協力を促進することによつて、平和及び安全に貢献することである」。
Unfortunately, today the reality is quite different. By betraying its original principles, UNESCO has turned into a tool of imposing the political agenda of its most aggressive members through distortion of the very same cultural issues that it was supposed to protect. Recently, we witnessed a new development in that disturbing trend that affected two of its outstanding members – Israel and Japan. What UNESCO does by misinterpreting cultural issues that concern those two countries is far from creating mutual respect and peace. It creates animosity and confrontation.

残念なことに今日、現実はこれと全く異なります。その当初の原則に背くことによつてユネスコは、保護されるべき正にその文化的論題を歪曲することを通じて、その最も攻撃的な加盟国の政治路線を強要する道具に成り下つてゐます。最近、その不穏な流れに於ける新たな進展が、2ヶ国の傑出した加盟国たるイスラエルと日本を襲ふのを我々は目撃しました。その2ヶ国に関係する文化的論題への誤つた理解の故にユネスコが行つた事は、相互尊重と平和の構築から懸け離れてゐます。それは敵意と対立を醸成するものです。

The recent resolution to strip Israel and the Jews of their heritage in Jerusalem is disturbing. It declared Temple Mount and the Western Wall Arab Muslim heritage sites. Over 3,000 years of Jewish history were wiped out with a simple vote. If UNESCO was guided by science and objectivity, it would have noticed the extensive archaeological, historical and Biblical evidence that links Jews with that part of Jerusalem. Temple Mount was the place were the First and the Second Temples once stood. One of the remaining walls of the Second Temple still is the most revered place of worship in Judaism, visited every year by millions of people.

イスラエルとユダヤ人から、エルサレムに在る彼等の遺産を剝ぎ取るやうな最近の決議は憂慮すべきものです。ユネスコは神殿の丘(テンプルマウント)と西の壁(嘆きの壁)を、アラブ・イスラム教遺産サイトだと宣言しました。3,000年を超えるユダヤ人の歴史が、単なる投票によつて消し去られてしまひました。若しもユネスコが科学と客観性に従ふならば、ユダヤ人がエルサレムのそれらの部分と繋がりを持つことの、考古学的、歴史的、そして聖書に記載された豊富な証拠に気づいた筈です。神殿の丘は嘗て第一神殿と第二神殿のあつた場所です。第二神殿の残存する壁の1つは、いまだに毎年数百万もの人々の訪れる、ユダヤ教に於て最も崇敬される礼拝所です。

It is a sign of utmost cynicism to deny the connection of the Jews with Temple Mount. At the same time, the arguments of the group, which sponsored that anti-Jewish resolution, are beyond questionable. The only link of Islam with the area was the “vision” of its founder, in which he was miraculously transported there, without ever actually visiting the place. If the Koran is used to establish that connection, then the Biblical evidence has much more credibility because it shows the actual Jewish presence in more details, which are confirmed historically.

ユダヤ人と神殿の丘との関係を否定することは最高の皮肉の象徴です。同時に、その反ユダヤ主義の決議を支援するグループの議論はいかゞはしさを通り越してゐます。イスラム教と当該地域の唯一の繋がりは、実際には一度も其処を訪れたことのない教祖が、奇跡的に移動してその場所を「視た」事です。若しもコーランが、その繋がりを立証する為に利用されるならば、聖書に書かれた証拠は、より多くの歴史的に確認可能な細部に於て、実在のユダヤ人の存在を示してゐるが故に、ずつと信頼性があります。

As it is the case in many areas in the world, a decision that affects the interpretation of old historical facts often has tangible negative consequences. The denial of the Jewish heritage by an international organization emboldens various Arab extremist groups, which see it as a justification for their murderous activities.

世界の多くの地域でもさうであるやうに、古い歴史上の事実の解釈に影響する決定は、しばしば有形の負の帰結をもたらします。国際機関によるユダヤ人遺産の否定は、様々なアラブ過激派グループをつけあがらせます。彼等はそれを自分達の流血を伴ふ活動を正当化する根拠と看做します。

People and organizations that hold such views are often hypocritical. On one hand, they promote views that harm the actual Jews, while on the other hand they do not shy away from exploiting past Jewish suffering to promote just as vigorously their political agenda. The event, most frequently used for that purpose, is the Holocaust. The Temple Mount resolution, adopted with the majority of the Muslim members and their supporters, was just the first blow against Israel.

斯様な考へを持つ人々や組織はしばしば偽善的です。彼等は一方で、実在のユダヤ人を傷つける考へを宣伝しながら、他方で、同じくらゐ精力的に自分達の政治路線を宣伝する為に、過去のユダヤ人の苦しみを悪用することに痛痒を感じません。その目的の為に最も頻繁に使はれる事柄がホロコーストなのです。イスラム世界の加盟国とその支援者の大多数によつて採択された神殿の丘の決議は、イスラエルに対して正に最初の一撃でした。

A second blow was delivered in a document against Japan, concerning the so-called “comfort women”, which alleges that between 80,000 and 200,000 Asian women (the presenters are unable to provide a definitive number) have been forced into sex slavery by the Japanese government during World War II. This was stated in the Nomination Form for presenting documents as part of UNESCO’s International Memory of the World Register, under the name “Voices of the ‘Comfort Women’”. Among other things, the nominators stated in section 5.2:

2番目の打撃は、日本に対する所謂「慰安婦」に関する文書でした。80,000~200,000人のアジア人女性(報告者は信頼できる数字を提示することができませんでした)が、第二次世界大戦中に日本政府によつて強制的に性奴隷にされたと主張してゐます。これは「‘慰安婦’の声」といふ名義で、世界の記憶(記憶遺産)の推薦書の中で述べられたものです。とりわけ、推薦者はセクション5.2中で次のやうに述べてゐます。
“The ‘comfort woman’ system, which has become recognized through the gradual accumulation of fragments of evidence, is a wartime tragedy comparable to the Holocaust and the Cambodian genocide, not in terms of the numbers of victims, but in terms of the depth of the victims’ suffering and their enduring humiliation.”
「証拠の断片が徐々に蓄積されることで認知されるやうになつた‘慰安婦’制度は、被害者の数ではなく、被害者の苦しみと終はりのない屈辱の深さといふ点に於て、ホロコーストとカンボジアの大量虐殺に匹敵する戦時中の惨劇である」。
An examination of the facts will clarify the validity of the statement, but even before going there, it is clear how the Holocaust has been exploited irresponsibly. Those who use it here distort and denigrate its meaning. There have been many interpretations of that unique catastrophe that befell on the Jews, but the concise remarks by Eli Cohen, former Israeli Ambassador to Japan, in a letter to a Japanese journalist, summarize the problem quite well:

事実が調査されゝば、この叙述の妥当性は明らかにされるでせうが、それ以前に、ホロコーストが如何に無責任に悪用されてゐるかは明らかです。こゝでそれを使ふ人々は、その意味を歪曲し矮小化してゐます。ユダヤ人に降り懸かつた比類なき大惨事には多くの解釈があるものゝ、エリ・コーヘン氏(前駐日本イスラエル大使)による簡潔な所見は、日本のジャーナリスト宛ての手紙の中で、問題を見事に要約してゐます。
“There was no comparison to the Holocaust. No nation in the world planned with cold heart how to murder a nation systematically. Jewish kids, women, men, even if they were only partially Jewish, like only mother or only father or even if you grandmother or grandfather was a Jew. They built a system to look for every Jew wherever he is and just murder him/her. And the whole German nation was involved. It continued for years when nations like Poland, Austria, Italy and others cooperated in this massacre and only few brave people were ready to help Jewish people and risked their lives to hide or save miserable escaping Jewish people all over Europe. This never happened in the history of human kind and I hope it will never happen with no other nation.”
「ホロコーストと比較できるものは何処にもありません。或る国民を如何に組織的に殺すかを冷血に計画した国は、世界の何処にもありません。ユダヤ人であれば子供、女性、男性の区別なく、母親か父親だけがユダヤ人である、或いは祖母か祖父だけがユダヤ人であるなど、ユダヤ人の血が一部しかなくても関係ないのです。何処に居ようともユダヤ人を一人残らず見つけ出し、たゞ殺す為のシステムを、彼等は作り上げたのです。そして、全ドイツ国民が関与してゐました。何年もの間、ポーランド、オーストリア、イタリア及びその他の国が、この虐殺に協力し、僅かの勇敢な人々だけが、ユダヤ人達を助ける準備をし、ヨーロッパの至る所で悲壮な脱出を試みるユダヤ人達を匿ひ救ふ為に命を危険にさらしました。かういふ事は人類史で前代未聞の事でした。他国で決して起こらないことを望みます」。
For the record, Japan didn’t cooperate in that massacre. On the contrary, it helped Jews. At the San Remo Conference in 1920, Japan co-signed the resolution to create the “Mandate for Palestine” that paved the road to “the establishment in Palestine of a national home for the Jewish people”. Shortly before World War II, Japan promoted the idea of creating a Jewish state on its territories (the so-called Fugu Plan) which didn’t materialize due to the resistance of the Jewish leadership in the USA. Still, Japan managed to save thousands of Jews. Best known is the case of Chiune Sugihara, the Ambassador of Japan to Lithuania, who issued transit visas to about 6,000 Jews. After they arrived in Japan, their visas were periodically renewed by the Japanese government. Japan also hosted thousands of Jews in some of the occupied territories, notably Shanghai, despite the fierce objections of Hitler’s regime.

公式に、日本はその虐殺に協力してゐません。それどころか、日本はユダヤ人を助けました。1920年のサンレモ会議で、「パレスチナに於けるユダヤ人の居住地の建設」への道を拓く「委任統治領パレスチナ」を創設する決議に、日本は共同調印しました。第二次世界大戦の直前、日本は、ユダヤ人の領域にユダヤ人の国家を建設する提案(所謂「河豚計画」)を推進しました。これは米国のユダヤ人指導者の抵抗の為に具体化しませんでしたが。それでも日本は、何とかして数千人のユダヤ人を救つてくれました。通過ビザを約6,000人のユダヤ人に交付した杉原千畝(駐リトアニアの外交官)の事例は最も有名です。彼等が日本に到着した後、それらのビザを日本政府は定期的に更新してくれました。日本はまたヒトラー政権の強烈な反対にも拘らず、占領地の幾つか、特に上海に於て数千人のユダヤ人を受け容れてくれました。

Still, the war record of Japan is a sensitive issue, but when talking about the past, especially when someone is accused, facts are more important than emotions. Considering that point, it is necessary to take into account the facts to determine whether the “comfort women” case equals the Holocaust.


それでも、日本の戦争の記録はデリケートな問題であるけれども、過去に就いて語る時、特に誰かが告発される時に、事実は感情よりも重要です。この点を考へると、「慰安婦」の事案がホロコーストと等しいか否かを判定する際に、事実を勘案することが必要です。


The actions of Japan in the occupied countries were thoroughly investigated after the war. The guilty parties faced an international tribunal in Tokyo. Though one of the judges, Justice R.B. Pal from India, found some of the charges excessive and issued a dissenting opinion, Japan accepted the findings and the verdict in an agreement signed after the end of the American occupation in 1952. At no point during the trial was the alleged government conspiracy to enslave sexually 200,000 women brought to the judges’ attention and it is impossible to assume that they would overlook something so important.


被占領国での日本の行動は、戦後に徹底的に調査されました。戦犯達は東京に於ける国際(軍事)裁判に臨みました。裁判官の1人であるインドのR.B.パル判事が、容疑の幾つかが行き過ぎであると考へて反対意見を出したにも拘らず、日本は結果と判決とを受け容れて、米国による占領終了後の1952年に講和条約に調印しました。裁判中のどの時点に於ても、政府が200,000人の女性を性的奴隷にするやう共謀したと申し立てられ、それが判事達の注意を惹いたことはなく、また判事達がそんな重要な事柄を見過ごすであらうと仮定することも不可能です。

The American authorities, which occupied Japan for nearly eight years, practically ruled the country and had unobstructed access to its archives. They were interested in bringing down the Japanese politicians of the war period and didn’t hide that, as we can see it in the infamous photograph of General Douglas MacArthur with the Emperor of Japan, where the General stands next to the Emperor with hands in his pockets. Most government ministries were purged of the old bureaucracy. A notable victim of that “downsizing” became the Holocaust hero Chiune Sugihara, who was fired and forced to make a living as a door-to-door light bulbs salesman.


8年近く日本を占領した米当局は、事実上日本国を支配し、何ら妨碍を受けずに日本の文書記録を閲覧することができました。彼等は、戦時中の日本の政治家達を打倒することに関心があり、またそれを隠さうともしませんでした。それは天皇陛下とダグラス・マッカーサー元帥の悪名高き写真(元帥はポケットに手を突つ込んで陛下の隣に立つてゐる)を見れば解る通りです。殆どの省庁から旧官僚が追放されました。その「人員削減」の著名な犠牲者が、電球の訪問販売で生計を立てることを強ひられた、ホロコーストのヒーロー杉原千畝です。

The issue of the army brothels was investigated by the American authorities. Declassified documents show that the conclusion was that in most cases they employed paid prostitutes. Again, there was no sex slave conspiracy uncovered.

軍の売春宿(慰安所)の問題は、米当局によつて調査されました。機密解除された文書は、結論として殆どの場合、報酬付き売春婦を雇用したことを示してゐます。繰り返しますが、性奴隷の共謀が暴露された例などなかつたのです。

In the 1960’s, Japan negotiated a reparations settlement with South Korea, signed in 1965. Consequently, a large sum was paid in full in several installments. During that period, South Korea didn’t raise the “comfort women” issue, and neither did China. That happened only in 1991.


1960年代に日本は、後に1965年に調印された補償問題の解決を、韓国と協議しました。結果、多額の資金が何期かに分けて全額支払はれました。その間、韓国は「慰安婦」問題を提起したことはありません。中国も同じです。それが持ち出されたのは1991年のみです。

According to section 3.4 of the submission form,

申請書類のセクション3.4によると
“until 1991, the issue of the `comfort women’, and the systematic, coercive nature of the sexual slavery that they suffered, was not generally known to the world. Under the strong patriarchal ideology prevailing in many parts of Asia, women’s sexuality was a taboo subject, and women who lost their chastity often had no place even within their family, thereby subjecting the victims to a strong social stigma and pressure not to speak about what had happened to them.”
「1991年まで、‘慰安婦’と、彼女等が被つた性的奴隷制度の組織的・強制的な性質の問題は、世界一般には知られてゐなかつた。アジアの多くの地域で幅をきかす強い家父長主義の下で、女性の性はタブーであり、純潔を失つた女性達はしばしば家族の間にさへ居場所が無く、従つて、被害者は強烈な社会的烙印と抑圧とによつて、自分達の身に起きた出来事を口外しないやう強ひられた」。
This is not a plausible explanation of a delay of nearly fifty years. It fails to mention that in 1949, China was taken over by a totalitarian communist government and transformed into a society with a new morality, where “chastity” and “patriarchy” were obsolete concepts, actively eradicated. The People’s Republic of China had always been involved in a propaganda war against Japan. “Comfort women” would have been a perfect propaganda point and any patriarchal considerations would be out of the question. China has no qualms about attacking its foes, a fact clearly displayed even in the submission discussed here. It was started by China but includes applicants from several countries. One of them is referred to by the derogatory name “Chinese Taipei” but it is actually the “Republic of China,” commonly known as Taiwan. Even in a document intended to “restore” justice, China manages to put down one of its co-applicants, which shows what type of countries dominate UNESCO.

これは半世紀も遅れたことの納得のいく説明ではありません。1949年、支那は全体主義の共産党政府に取つて替はり、新しい倫理の社会、即ち「純潔」と「家長政治」が時代遅れとなり、積極的に根絶される社会に変革されたことが言及されてゐません。中華人民共和国は常に日本を標的にしたプロパガンダ(宣伝戦)に関与してゐました。「慰安婦」はまたと無い宣伝項目であつただらうし、如何なる家父長的な考へもそこでは問題外とされた筈です。支那はその敵への攻撃に就いて良心の呵責を全く感じません。ここで論じてゐる登録申請に於てさへ、その事実ははつきりと示されてゐます。申請は支那が音頭を取つたものですが、申請者には幾つかの国の出身者が含まれます。そのうち1人は屈辱的な「チャイニーズ・タイペイ」と紹介されてゐるけれども、実は通常は台湾として知られてゐる「中華民国」です。正義を「正す」つもりの文書の中でさへ、支那はその共同申請者の1人を何とか貶めようとしてゐるのです。この事は、如何なる類の国がユネスコを支配してゐるかを示してゐます。

The “comfort women” issue became important only after China and South Korea acquired significant local economic power to compete with Japan. It was just one of the tools to create animosity against their competitor. In that sense, the situation is similar to the BDS (Boycott-Divest-Sanction) movement against Israel, whose goal is to discredit and isolate the country over phony “apartheid” issues. Just like the case of Israel, the driving force are various NGO’s and groups, which create the impression of a vast popular movement, even though they will fall apart without government financial support.

「慰安婦」問題が重要視されるのは、支那と韓国が日本と張り合へるだけの重要な地域経済大国になつて以降です。「慰安婦」は、彼等のライバルに対する敵意を醸成する道具の一つに過ぎませんでした。その意味でこの状況は、偽の「アパルトヘイト」問題で信用を貶め孤立させるのが目的の、イスラエルに対するBDS(Boycott-Divest-Sanction)運動に類似してゐます。恰もイスラエルの事例の如く、政府の財政援助なしでは瓦解するであらうけれども、その原動力は、広汎な大衆運動であるかのやうな印象をでッち上げる様々なNGOやグループです。

So far, the proponents of the movement have failed to produce convincing documents about the sex slave conspiracy. Even the documents presented to UNESCO in the submission are kept secret by the organization and the applicants. In 1993, the Japanese government, in the so-called “Kono Statement,” confirmed the existence of the wartime army brothels, but that was nothing different from the information collected by the Americans on the issue. There is nothing good in the existence of such establishments, but that is far from the claim of causing another Holocaust.

今のところ、運動の提唱者は、性奴隷の共謀に就いて説得力のある文書を作成できてゐません。申請の為にユネスコに提出された文書さへも、組織と申請者はこれを機密にしてゐます。1993年に日本政府は、所謂「河野談話」に於て、戦時の軍の売春宿(慰安所)の存在は認めましたが、それは、この問題に於て米国人によつて収集された情報と異なるものではありませんでした。そのやうな施設の存在は決して好いものではありませんが、併しこれをもう一つのホロコーストだと主張できるものでもありません。

Despite the lack of evidence about mass atrocities, the applicants still insist in section 3.4 that a Holocaust has taken place:

大規模残虐行為に就いての証拠が無いにも拘らず、申請者はセクション3.4でホロコーストがあつたと強く主張してゐます。
“The revelation over the last 25 years of the factual truths of the matter has created diplomatic conflicts, including in relation to the demands from the victims, and organizations supporting them, for a formal apology from the Japanese government in the manner of the German government’s apology for the Holocaust.”
「この25年間で、この問題の事実に基づく真相が暴露されたことで、被害者(元慰安婦)と彼女等を支援する組織が、ホロコーストに就いてドイツ政府が謝罪したやうに日本政府も公式に謝罪しろと要求してゐることも含め、外交問題を生起させた」。
Compare this with the real Holocaust, where the facts started to come out in the early 1940’s, despite the reluctance of the Western media to cover them. Visiting Yad Vashem, the Holocaust memorial in Jerusalem, is a haunting experience. The visitors are overwhelmed by all the information, collected since the war. Millions of documents, photos, movies, and recordings tell the horror of the catastrophe. It is not surprising that many are trying to imitate the impact, applying it unsuccessfully to their own agenda.

これを本物のホロコーストと比較して欲しい。ホロコーストは、それを隠蔽する西側メディアの不作為にも拘らず、1940年代の初めに事実が明らかになり始めました。エルサレムのホロコースト記念館ヤド・ヴァシェムを参観すれば忘れ得ぬ体験となります。参観者は、戦時以来収集された全ての情報に圧倒されてしまひます。数百万点の文書、写真、映像及び記録が大惨事の恐怖を物語ります。多くの人がその衝撃を模倣し、自分達のテーマにこじつけようとして失敗することは驚くに値しません。

Though the notion of a “comfort women” Holocaust has no basis in reality, the applicants don’t stop, in section 5.2 they claim that they have opened new frontiers to a wider discussion of sex slavery:

「慰安婦」ホロコーストのイメージは、現実に於て何ら裏づけが無いにも拘らず、申請者はこれをやめようとしません。セクション5.2で、彼等は性奴隷のより広い議論の新たな分野を拓いたと主張してゐます。
“The still pervasive and systematic sexual violence and sexual slavery perpetrated during armed conflicts of today, both internal and inter-state, are similar in nature to the atrocities suffered by the ‘comfort women’. Encouraged by the courage of the ‘comfort women’, victims of rape in places such as the former Yugoslavia, Bangladesh, Myanmar and Cambodia, have spoken about their sufferings in various formats, including their testimonies at the tribunals and hearings relating to the crimes committed against these women. Increased awareness of the ‘comfort women’ issue has also led to new studies being carried out in related areas, for example on the issue of sexual violence and forced prostitution during the Nazi Holocaust.”
「今日の国内や国家間での武力紛争中でも、いまだに蔓延する組織的な性的暴力や性的奴隷制度は、‘慰安婦’の被つた残虐行為に事実上類似してゐる。‘慰安婦’の勇気に励まされて、旧ユーゴスラビア、バングラデシュ、ミャンマー及びカンボジアのレイプ被害者達は、自分達の受けた犯罪と関連した裁判での証言や公聴会を含め、自分達の苦しみに就いて様々な形で語つてきた。‘慰安婦’問題の認知が高まることで、例へばナチスのホロコースト期間の性的暴力や強制売春の問題など、関連した地域で行はれる新しい研究の切欠にもなつた」。
If it follows the logic of that statement, UNESCO may need to consider for condemnation some countries absent from the list. The 1959 invasion of Tibet by the People’s Republic of China ended with the deaths of about 1.2 million Tibetans, rapes of tens of thousands of women and the total destruction of the Tibetan Buddhist culture. That comes much closer to the concept of the Holocaust than what Japan was condemned for. Even worse, the government of Mao Zedong caused the deaths of tens of millions of its own people during the Great Leap Forward in 1957. Unlike Japan, which has become an exemplary peaceful country, China has attacked most of its neighbors at different times and continues to do so. These disastrous policies continue with the repressions against the followers of Falun Gong – thousands of them are arrested and killed and their organs harvested.

この叙述の論理に従ふならば、ユネスコは幾つかの国がリストから漏れてゐると非難を検討する必要があるかもしれません。1959年の中華人民共和国によるチベット侵略は、約120万のチベット人の虐殺、数万の女性のレイプ、及びチベット仏教文化の完全なる破壊を以て終はりを告げました。これは、日本が非難されてゐるものよりも更にホロコーストの概念に近いものです。もつと酷いのは、毛沢東の政府が1957年の「大躍進」の間に数千万の自国民を殺したことです。模範的な平和国家となつた日本と違ひ、中国は別の時代に別の隣国の殆どを攻撃し、それは今も続いてゐます。これらの悪劣な政策は法輪功信者を標的にした弾圧として続いてゐます。数千の信者が逮捕され、殺され、臓器狩りが行はれてゐるのです。

In the 1960’s, the South Korean army fought in the Vietnam War. It was confirmed by the Vietnamese government that Korean soldiers have raped thousands of women, however, there is no information about entering documents of that event into the “Memory of the World” program. The crimes of the North Korean government against its own people are even more bloody.

1960年代に、韓国軍はベトナム戦争で戦ひました。韓国兵が数千の女性を強姦したことがベトナム政府によつて確認されながら、その事例が「世界の記憶」に登録されるといふ話は全くありません。北朝鮮政府の自国民に対する犯罪は、更に血腥いものです。

Other catastrophic events, like the expulsion of 800,000 Jews from Muslim countries in the late 1940’s and the confiscation of their property, still haven’t caught the attention of UNESCO. Right now, thousands of Yezidis are killed by Muslim extremists and their women sold into sex slavery, yet UNESCO doesn’t seem to notice that either.

別の大惨事、例へば1940年代末期にイスラム教国から800,000人のユダヤ人が追放され、彼等の財産が没収されたことは、まだユネスコの注意を惹いてゐません。今現在、数千のヤジディ教徒がイスラム教過激主義者に殺され、女性達が性奴隷として売り飛ばされてゐますが、ユネスコはこれも知らないやうです。

The organization, supposed to promote cultural mutual understanding, has fallen under the control of countries that perpetrate some of the worst abuses in the modern world. It is no wonder that some democratic countries refuse to finance such a betrayal of the principles of mutual respect and cooperation. If UNESCO is to preserve its relevance in the world, it should return to its original principles.

文化的な相互理解を促進する筈の組織が、現代世界でより悪質な残虐行為を働く国の支配下に入りました。幾つかの民主主義国が、相互尊重と協力の原則に対する背信に資金を拠出することを拒むのは当然のことです。ユネスコが世界でその妥当性を維持しようとするなら、当初の原則に立ち戻るべきです。

©2016 Canada-Israel Friendship Association

2016年11月3日木曜日

明治天皇 御遺製

四方よもの海みな同胞はらからとおもふ世に
     など浪風の立ちさわぐらむ

千早ちはやぶる神のかためし我が國を
    民と共にも守らざらめや

國をおもふ道に二つはなかりけり
    いくさのにはに立つもたぬも

敷島の大和心の雄々しさは
    事ある時ぞあらはれにける

事しあらば火にも水にもいりなむと
    思ふがやがてやまとだましひ

敷島のやまと心をみがけ人
    いま世の中に事はなくとも

山を拔く人のちからも敷島の
    やまと心ぞもとゐなるべき

よろづの民よ心をあはせつゝ
    國にちからをつくせとぞおもふ

弓矢もて神のをさめし國ひとは
    ことなき世にも心ゆるぶな

うつせみの世のためすゝむいくさには
    神も力をそへざらめやは

ちよろづの仇にむかひてたわまぬぞ
    日本やまとをのこの心なりける

身をすてゝいさををたてし人の名は
    國のほまれと共に殘さむ

外國とつくににかばねさらしゝますらをの
    たまも都に今日かへるらむ

國のためいのちをすてしものゝふの
    たまや鏡にいまうつるらむ

靖國のやしろにいつくかゞみこそ
    やまと心のひかりなりけり


2016年4月1日金曜日

神武天皇祭

神武天皇祭


我が大日本帝國の皇太宗くわうたいそうと仰ぎ奉る人皇第一代、 神武天皇の崩御あらせ給ひし日は、三月十一日なれど、此れ太陰曆に屬せるを以て、我が 先帝明治天皇 今の太陽曆に改め給ふ時、四月三日とは定め給ひしなり、謹みて按ずるに、

天皇は御諱おんいみなを、神日本かむやまと磐余彥尊いはれひこのみことと申し奉り、 天照皇大神すめおほかみ 五世の孫にして、 天津あまつ日高ひたか日子ひこ波限なぎさ建鵜葺草たけうがや葺不合尊ふきあへずのみことの第四子なり、御母おんはゝは海神豐玉毘賣命とよたまひめのみこと 第二の御女おんむすめ玉依比賣命たまよりひめのみことと申し奉り、御年十五にして皇太子に立ち給ひ、五十一歲にして大和國畝傍うねびの橿原かしはらの宮に於て、始めて 天皇の御位に即かせ給ひ、位にましますこと七十六年、御寶齡ごほうれい百二十七歲にして崩御し給ひしにより、大和國武市郡たかいちのこほり山本村畝傍うねび東北うしとらみさゝぎほうむり奉りしに、人皇五十代、 桓武天皇の御代に、淡路御船あはみのみふねと云ふ人、みことのりを奉じ、おくりなえらみて、 神武天皇と稱し奉る、是より先、天津日高日子ほの邇々藝尊ににぎのみことの、 日向國なる高千穗峰に天降り給ふや、 天祖天照皇大神、御手みてづから三種の神器を授け、しゆくして曰く、葦原千五百秋ちいほあきの瑞穗國は、これ吾子孫のきみたるきの地なり、なんぢ皇孫つい知召しろしめせ、寶祚ほうそさかんならんこと、まさに天壤ときはまり無かる可しと、嗚呼巍々ぎぎたる明敎、昭々せうせうたる神訓、是則ち我が 皇國國體の、萬古にかはらざる基礎を確定し給ひし仰ぎ尊む可き、一大豫言なる、神勅にあらずや、

國語に 天位を、天津日嗣あまつひつぎと云ふ、けだし天日を繼承し給ふの義ならむ、故に我國の皇位たる、の外蕃諸邦の、簒奪弑逆をほしいまゝにし、自立して王とせんする者とは、素より天壤の差違ある者にして、かしこくも 天祖の天胤てんいんたる萬世一系の 帝統に非ざれば、之を繼承し給ふことは斷然あたはざる所なり、追思せよ、往昔 孝謙のてうに、忠臣和氣淸麿が、妖僧道鏡の非望を排斥し、以て上下しやうかの肝膽を寒からしめ、 皇位を汚す事あたはざらしめしを、むべなり、我が帝國憲法を發布せらるゝに際し、大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治すと、其第一條に明記せられし事、而してふる百二十二、年をけみすること實に二千五百八十有餘の久しきに至れる者、宇內廣しと雖ども、萬邦多しと雖ども、果していづれに其類例かある、仰ぎ尊とばざる可からざる、世界の一大君子國ならずや、

今軍人のうちに於て、拔群の勳功ある將士に賜はる、最貴最高なる金鵄きんし勳章の起源たる、當時 神武天皇には、已に中國を平らげ、大和國に入らむとし給ひし時、長髓彥ながすねひこなる者ありて、 皇師に抗しふせぎ戰ひしかば、天皇は非常に御苦戰遊ばされ、大に御心を惱まし給ひし時、一天にはかき曇り、雹を降らし、金色燦然たる一羽の靈鵄れいしが天つ御空より舞ひ來りて、 天皇の弓弭ゆはずに留まりしに、其とびの光り瞱煜かゞやきて、其狀流電いなびかりの如し、之が爲、迷眩まよひくらみて賊は又戰ふ事能はず、終に敗北せしかば、 天皇は御心のまゝに天下を平定して、御位に即き給ひし祥瑞ある事を、 先帝陛下には、思召されて、明治二十三年二月十一日の吉辰きつしんを以て、左の詔を下し、金鵄勳章を創設遊ばされ給ひしは、まことに國運の發展に相應せし目出度めでたき御事なり、
おもんみるに、
神武天皇皇業を恢弘くわいこうし、繼承して朕に及べり、今やはるかに、登極紀元を算すれば、二千五百五十年に達せり、朕此期に際し、 天皇戡定かんていの故事にちやうし、金鵄勳章を創立し、將來武功拔群の者に授與し、永く 天皇の威烈をあきらかにし、以て其忠烈を獎勵せんとす、汝衆庶しうしよ此旨をたいせよ、と
むべなり、 神武天皇の 皇祖天神を祭り給ひし時「我が 皇祖の靈や、天より降鑒かうかんして朕が光助くわうじよす、今諸虜しよりよ已に平らぎ、海內無事なり」云々との御詔勅たる決して捕捉す可からざる空漠くうばくの言に非ずして、 天皇親しく深厚なる、天佑神助を感受し給ひし實例なること、彼と云ひ是と云ひ、 天皇の盛德鴻業を追想し奉れば、我が帝國の民たる者、誰か其 皇恩の萬一を、報謝し奉らずしてならむや、

神武天皇皇祖天神を祭り給ふ


(八雲都留麻『大祭祝日略説:国民宝典』、八重垣書院、大正12年)より