二、新嘗祭の起原
大嘗祭、新嘗祭は、いつの頃から行はれたものであるか、まづ新嘗祭に就いて調べて見ますると、天照大神が始めて、
註
1 『日本書紀』巻第二の天孫降臨のくだりの一書 第二に、《又勅 して曰 はく、「吾が高天原 に所御 す斎庭 の穂 を以て、亦我が児 に御 せまつるべし」とのたまふ。》とある。
ゆにはの穂とは、清浄なる御田にて作り給ひし稲穂であります。即ち天照大神が親ら天狭田長田にて耕種し給ひて、新嘗聞食した稲穂を天孫に御授けになつたのであります。之れは天孫供御の料とせられたのでありますが、また天孫の治め給ふべき国民の食料としても授けられたものでありませう。
それで天孫が之れを植ゑて、初めて新穀を聞食したので、之が新嘗祭の起原であります。それから景行天皇の御代に新嘗祭を行はれた事が、高橋氏文に見え、仁徳天皇、履中天皇以後行はせられた例が日本紀、古事記などに見えて居ります。
新嘗は朝廷ばかりでなく、臣民一般に行うたもので、
(和田英松『國史國文之硏究』、雄山閣、大正十五年)
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