2020年2月23日日曜日

天長節

二月二十三日は天長節なり。

天長節は我が 今上天皇陛下の生れさせ給ひし日にして、 聖寿の長久を祝ひ奉る節会せちゑなり。

此の日は、賢所、並びに皇霊殿、神殿の三前に於て祭事を行はせられ、群臣に酺宴ほえんを賜ふ。明治元年、初めて此の儀を行ひ給ひしを、後には兼ねて観兵の式をも挙げさせ給ふ事となりぬるも、先の敗戦以来、嘗ての御盛典は政府の不作為によりて、久しきに亘り御中断餘儀なく、遂に平成の大御代にも御再興能はざる、之れ全く臣民の不忠の致す所にして、令和の大御代には必ずや再興を誓ひ奉る次第なり。

天長とは天長地久の語(『老子』)より出づ。則ち 聖寿の長久を祝する義なり。聖誕日を天長節と曰ふ事の起りは 光仁天皇の御世に在り。宝亀六年(皇紀1435年、西暦775年)九月壬寅の勅に
十月十三日ハ是レ朕ガ生日ナリ、此ノ辰ニ至ル毎ニ感慶兼ネ集ル、宜シク諸寺ノ僧尼ヲシテ、毎年是ノ日、転経行道セシムベク、海内諸国ナラビテ屠ヲ断ツベシ、内外百官酺宴ヲ賜フコト一日、仍テ此ノ日ヲナヅケテ天長節ト為ス、ネガハクハ斯ノ功徳ヲ廻ラシ、ツヽシミテ先慈ニ奉ジ、此ノ慶情ヲ以テ、普ク天下ニ被ラシメン
とのりたまひ、『同年十月癸酉、是日天長、大ニ群臣ニ酺シ、翫好グワンカウ酒食ヲ献ゼシム』とあるを以て始めとす。此の時代には、仏法盛に行はれしを以て、各寺に読経などをも仰せられて其の儀甚だ盛なりき。王政復古に及びて、 明治天皇、此の節を定め給ひしは、すなはち 光仁の御制を復し給へるなり。

抑も此等の祝日を定め給ふは、衆庶と歓楽を共にせさせ給はんの大御心より出づ。臣民たるもの誰か感佩かんぱいせざるものあらん。今、甞て酺宴を賜ひし時の 明治天皇の勅語を挙げん。
コヽニ朕ガ誕辰ニアタリ、群臣ヲ会同シ、酺宴ヲ張リ、舞楽ヲ奏セシム、汝群臣、 朕ガトモニ楽ムノ意ヲ体シ、其レク歓ヲ尽セヨ、
時の太政大臣三条実美公、及び従一位中山忠能公等これに奉答せり、その詞に曰はく、
茲ニ天長ノ佳節ニ方リ、 陛下群臣ヲ会同シ、酺宴ヲ賜ヒ、舞楽ヲ奏セシメ、特ニ辱クモ偕楽ノ 寵命ヲ拝ス、群臣感喜ノイタリヘズ、ニ歓ヲ尽クシ楽ミヲ極メザルベケンヤ、乃チウヤウヤシク 陛下ノ聖誕ヲ祝シ、万寿無彊ヲ祈リ奉ル、
此の勅語を奉読せば其意おのづから明かならん。

今上陛下は第百二十五代に在らせられた 上皇陛下の皇子にして御名を 浩宮ひろのみや徳仁なるひと親王殿下と申し奉り、昭和三十五年二月二十三日の御誕生なり。御年三十一歳(平成三年)にして太子に立たせ給ひ、御年五十九(令和元年)の時、御位に即かせ給へり。

陛下には、上皇陛下の常に国民の幸せと世界の平和を願はせ給ひ、如何なる時も国民と苦楽を共にせさせ給ひしことに、深く思ひを致しつゝ務めを果し給ふことを誓はせ給ひしかば、新たなる令和の大御代も国家の鴻基益々固く、君民の紐帯益々強く結ばるゝことを信じて疑はず。

我等が万世一系の有難き大御国に生れて安楽に暮らし得るは、これ皆偏へに 陛下の御仁恵によるなり。されば天長節に当りて、我等は謹んで 聖寿の万歳を祝し、恭しく宝祚の隆盛を祈り奉らでやはあるべき。



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