2019年2月12日火曜日

「現代かなづかい」の不合理――2 表音主義と音韻④國語の生理は强し

はつきり申しませう。今までに擧げてきた「現代かなづかい」の矛盾は、ほとんどすべて「表記法は音にではなく、語に隨ふべし」といふ全く異種の原則を導入したために起つたことで、その實情を實際の音聲にあらざる音韻などといふものによつて說明しようとするのはごまかしに過ぎません。例の百五十四人中の百三十一人を代表者とする國民の大多數が考へてゐるやうに、內容の細部には「檢討の餘地」があつても「趣旨」には贊成するなどといふことは言へないのです。それは原則と內容との矛盾ではなく、原則に內在する矛盾で、それは一つの原則が他のもう一つの原則と同居させられたために起つたことなのです。それを、あくまで原則は首尾一貫してゐて、現實への適用においてのみ、種〻の例外が起るかのやうに見せかけてゐることが問題ではないでせうか。

廣田氏はさすがに音韻といふ言葉は用ゐず、表音主義を表立ててはゐるものの、それでも同じごまかしを試みてをります。そこにはかうあります。「現代かなづかい」は表音主義を原則とするが、それはあくまで正書法であるから表音主義と相容れぬ例外が出てくる、と。これは奇妙です。そんなことでは表音主義は正書法の原則には出來ぬといふことになるではありませんか。さらに、さうして例外が出てくるとしても、それがどうして「これまでの書記習慣と妥協して、旧かなづかいの一部が残存している」やうなものとなるのか、その點がごまかしになつてゐるのです。「これまでの書記習慣と妥協して」とは言ひも言つたりです。「習慣と妥協して」と言へば、受けとる側はなんとなく「習慣だから妥協して」と讀んでしまふ。非は習慣にあり、もしその非なる習慣さへなければ、思ひ切つて傳家の寶刀たる表音主義の原則をもつて暴れられるのだがといふ感じです。だが、實情はさうではない。それは「これまでの書記習慣と妥協して」ではなく、歷史的かなづかひの原則に抗しえず、その一部を殘存せしめたのに過ぎません。

中身は竹光たけみつなのに、拔けば拔けるのを拔かずにゐるのは、世間の「習慣」を尊重するから、あるいはそれとの要らざる摩擦を避けたいからと、その理由は專ら世間の「無知」にかづけるのは、まことに男らしくない卑劣な態度といふほかはありますまい。金田一博士の說明にも、終りのはうにその種のお爲ごかしが出てきます。それはどんな立派な理想案も性急に施したのでは、かへつて實現しにくいのが常で、理想は現實をあやしなだめながら徐〻に自己實現を計らねばならぬといふ、親心、大御心そのままの甚だ大人らしい情理かねそなへた考へ方です。しかし、理想は現實をではなく、自己をあやしなだめ、ごまかさねばならないのではないか。たださういふ己れの姿を知りたくないために、理想どほりにいかぬのは現實が惡いため、世間が「無知」であるためと思ひなしたいのではないか。意地わるく勘ぐれば、非は表音主義といふ原則の側にあり、それを明るみに出さぬために必要な「妥協」であつて、そこを見破られずにすんでゐるのは世間の「無知」といふ恩惠あればこその話、さらにそれを利用して、その「無知」と「妥協」してゐるかのごとく見せかける忘恩行爲といふことになります。が、私はさうまで惡質だとは考へない。やはり現在の「妥協」は表音主義といふ理想に到達するまでの暫定的處置と、當事者みづから思ひこんでゐるのでせう。ただ結果としては、時枝博士の指摘のやうに、國民の「無知」で大助りしてゐるといへます。

同時に、「現代かなづかい」の「趣旨」に贊意を表し、一日も早くその「趣旨」に沿つて、細部の矛盾を解決するやうに迫る同調者は、「親の心、子知らず」といふのに似たものがあります。それら幾多の矛盾は暫定的・過渡的なものではありません。歷史的かなづかひにおける單なる「書記習慣」が殘存してゐるのではなく、その原則が殘存してゐるところから生じるものであつて、それは言ひかへれば、國民の心理がではなく、國語の生理が表音主義に謀叛むほんしてゐるからであります。表音主義であらうと、ローマ字であらうと、この國語の生理といふことには勝てません。それを出來うるかぎり生すやうに努めること、それが歷史的かなづかひの原則にほかなりません。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月11日月曜日

「現代かなづかい」の不合理――2 表音主義と音韻③中途半端な現代かなづかいは誰を利するか

表音文字に表音文字たる機能を充分に發揮せしめようといふ考へは、必然的に「表音的かなづかい」を導き出します。それが普通の解釋です。現在の國語改良論者が「現代かなづかい」の原則は戰前の「表音的かなづかい」と異るといふ、その戰前の「表音的かなづかい」の「表音的」もやはりその意味に、あるいはその程度に用ゐられてゐたのに過ぎず、そのことは橋本博士の「表音的假名遣は假名遣にあらず」を見ても明らかであります。次の一節を讀んでいただきたい。
表音的假名遣は、音を基準とし、音を寫すを原則とするものであるとすれば、一種の表音記號と見てよいものである。(中略)さうして、表音記號を制定するについては、實際耳に聞える現實の音(音聲)を忠實に寫すものや、正しい音の觀念(音韻)を代表するものなど、種々の主義があり、又、ローマ字假名など旣成の文字を基礎とするものや、全然新しい符號を工夫するものなど種々の方法があるが、その中、假名に基いて國語の音韻を寫す表音記號は、その主義に於ても方法に於ても、表音的假名遣と全然合致するものである。それ故表音的假名遣はその實質に於ては一種の表音記號による國語の寫し方と見得るものであり、又それ以外にその特質は無いものである。
松坂氏は「音声そのものを写すべきだ」といふかなづかひ論だけを表音主義としてゐるやうですが、橋本博士の言ふやうに、それは「實際耳に聞える現實の音(音聲)を忠實に寫すもの」に限らず、「正しい音の觀念(音韻)を代表するもの」をも含みます。しかも橋本博士は表音記號について述べてゐるので、正書法としてのかなづかひについてはなほさらのことであります。ここに讀者の注意を喚起しておきますが、博士は「正しい音の觀念(音韻)を代表するもの」をも表音符號の一つと考へてをります。すなはち、金田一、松坂、兩氏が音韻に據ると規定した「現代かなづかい」も、その原則論に關する限り、博士の眼には表音符號と映じてゐたので、表音的どころの話ではなく、そもそも「假名遣」とは認められなかつたものなのです。私が「より極端な表音化を目ざす」ものと言つたのはまだ手ぬるいはうでせう。

しかし、私が今とくに强調したいのは、表音主義、表音的といふことについての橋本博士や私の考へが正しいといふことそのことよりも、戰前においてもそれはつねにさういふふうに解釋されてきたといふ事實であります。そして原則はもちろん內容まで現行の「現代かなづかい」とさうは違はぬものを、戰前は「表音的かなづかい」と臆せずに呼んでゐたのです。決して音韻などを持ちだしはしませんでした。たとへば、今の國語審議會の前身である臨時國語調査會が大正十三年に提出した假名遣改定案においても、音韻主義者の松坂氏が不滿とする助詞「は」「へ」は現行の「現代かなづかい」そのままに過去の習慣が溫存されてをります。くどいやうですが、當時はそれを「表音的かなづかい」と呼んでゐたのです。ところで「現代かなづかい」では、戰前のそれとの細部の異同を楯に、なぜ表音的といふ言葉を使はないのか。表音主義といふ言葉が國語改良論者の間でタブーのごとくに恐れられてゐるのはなぜか。そこに彼等の二重三重のごまかしがあるのです。おそらく彼等はかならずしもそれをごまかしとは意識してゐないのでせう。私がかうして詰將棋のやうな手續でそのうそを狩りださうとしてゐるのも、その彼等が意識してゐないらしいといふことのためにほかなりません。

彼等は表音主義といふ言葉をタブーのやうに恐れる。それは橋本博士の警吿に追ひたてられたためといふこともありませうが、同時に、彼等自身、それをさういふものに仕立てあげてしまつたといふこと、しかもそのはうが好都合だといふ事實も看過できますまい。彼等みづから表音主義を敵役、憎まれ役に仕立てあげてしまつたのです。どういふふうにさうしたか。それは松坂氏の「音声そのものを写すべき」といふ言葉でも解ります。もつとあらはには廣田氏の說明に現れてをります。それには「かなを発音符号として、物理的な音声そのままを写すものではなく」とあります。ここで松坂氏の「音声そのもの」が一層嚴密に「物理的な音声そのまま」と規定されてゐる。しかし、誰が「物理的な音声そのまま」の表記を期待しませうか。どんな文字がそんなことを可能としませうか。かな文字の代りにローマ字を使つたにしても、文字はおろか記號をもつてしても、いかに嚴密な發音符號をもつてしても、それは不可能です。百パーセントの表音文字も表音記號もこの世には存在しえない。なぜ存在しえないかは、第四章、第五章でおのづと納得していただけませうが、戰後の國語改良論者は申合せて、その存在しえないものに表音主義といふ名を與へたのです。いはば、表音主義を二階へ追ひあげて梯子はしごをはづしてしまつたのだ。

では、どうしてそんなことをしたのか。少くとも、さうすることにより、結果としてどんな利益が生じたか。それは「現代かなづかい」の內容をして矛盾に滿ちた中途半端なものにとどまらせておくことが出來るといふ利益、また今の程度の矛盾にふみとどまつてゐるかぎり、その中途半端なままでどうやら原則らしいものが造れるといふ利益であります。具體的にいふと、かうなります。現行の「現代かなづかい」にたいして、一方にはそれが充分に表音的でないと非難する急進派があり、他方、それが旣に表音的でありすぎると非難する保守派がある。この兩面からの攻擊を避けるのに、當事者たちはあらかじめ極度に頭を痛めたのに相違ありません。先に引用した金田一博士の說明の初めに、「これほどの大事を思い立つ当局の人でそんなことぐらいわからないはずが無いではないか」とある、「待つてゐました」と言はんばかりの、その得〻とした調子にも、そのことがありありと透けて見えます。かうして、急進派にたいしては、きみたちは表音主義の恐しさを知らないのだ、きみたちの考へてゐるのは表音主義なんてものではない、本當の表音主義といふのは、それ、見ろ、とここで二階を指さし、あそこへ上つたら、二度と降りては來られぬぞ、いや、梯子が無いから昇ることも出來ないものなのだとおどかす。つまり、現狀のままでいいといふことになります。また、保守派にたいしても、二階を指さし、憎むべき表音主義はあそこにゐる、われわれのは表音主義なんてものではなく、ただ音韻準據に過ぎぬとうそぶけるのです。

うまいことを考へたものだ。もちろん油斷はできません。憎まれ役といつても、それはみづからさう仕立てあげただけのことですから、裏で話はついてゐるのです。賴んでなつてもらつた憎まれ役となれば、すなはち身代り役です。古式兵法の藁人形わらにんぎやうです。いくら矢を射こまれても一向痛痒つうやうを感じない。いや、もともとそこへ矢を射こませるための藁人形であり身代り役であります。戰ひが終つたら、手を握るつもりでゐる。そのときが來たら、はづした梯子を持つて來て、表音主義に二階から降りてもらひ、床の間の前の正座に坐つてもらふ。氣がついてみると、それまで奮戰してゐた音韻なるものの姿はいつの間にやら消えてなくなつてゐるといふ仕掛けです。それでは、音韻こそ身代り役だつたのか。さうなのです。音韻もまた同樣に身代り役だつたのです。すなはち、百パーセントの表音主義に惡玉を、音韻に善玉を演じさせて、時機の到來を待つものが、この二役の背後に控へてゐるのです。それは戰前からの、いや、明治以來の「表音的かなづかい」そのものにほかなりません。

しかし、音韻なるものにそれだけの大役を演じおほせる力があるかどうか。本尊の「表音的かなづかい」を首尾よく迎へいれられるほど、靈驗あらたかなものかどうか。私には疑問に思はれます。まづ解せないのは、金田一博士自身、普通は「表音文字」「表音符號」と言ふべきところを、「音韻文字」「音韻符號」と書いてゐることです。これでは音韻などと耳なれぬ學術用語を用ゐても、結局は音韻=表音ではないかと合點せざるをえません。しかし、それよりも大きな問題は、「現代かなづかい」の原則として表音主義をしりぞけ、音韻を持ちだしておきながら、實際にはそれを少しも活用してゐないといふことです。早い話が、助詞の「は」「へ」「を」を「わ」「え」「お」としないのは、決して音韻の法則によるものではなく、文法の法則によるものです。「ぢ」「づ」の溫存を二語連合によつて肯定するのは語の法則によるからです。その表音的不合理を音韻論によつて說明するのは、あたかも大阪から東京まで汽車で來ておいて、現在、羽田空港に立つてゐるから飛行機で來たと言ひくるめるやうなものです。「現代かなづかい」における音韻論はその使はなかつた飛行機に過ぎず、單なるこけおどしの役しか果してゐません。それでも、當事者が音韻準據だと言つてゐるのだから、その言葉こそ音韻準據である何よりの證據と心得ねばならぬのでせうか。國語改良論者は私の「現代かなづかい」攻擊を「レトリック」だとレッテルをつて、それによつて受けた自分の傷を自分にも人にも見せたがらない。しかし、以上のことすべてがそれこそ巧妙な「レトリック」ではないでせうか。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月10日日曜日

「現代かなづかい」の不合理――2 表音主義と音韻②表音主義者のごまかし

以上で、金田一博士の言ひたいことは大體わかつたことと思ひます。つまり、「現代かなづかい」の原則は、同一音聲を同一文字で表記することにはなく、同一音韻を同一文字で表記することにある、言ひかへれば、表音主義ではなく、音韻準據だといふことです。これは「表音主義を原則とする」といふ廣田氏の言葉と明らかに矛盾します。どちらかが間違つてゐるか、ごまかしてゐるかといふことになりませう。ところが、さうではない。兩方ともごまかしてゐるのです。ただ廣田氏のいかにも官僚らしい用心ぶかさにくらべて、金田一博士は學士院會員、言語學の權威といふ世間的評價によりかかつてゐるためでせうか、自信滿〻の高壓的な調子がうかがへますが、それはいはば防禦的攻擊にすぎず、そのためのすきが隨所にあらはれてをります。

そこに引かれてゐる橋本博士の「表音的假名遣は假名遣にあらず」といふ有名な警吿は、同博士著作集(岩波書店刊)第三册『文字及び假名遣の硏究』に收められてゐる論文の標題でもあり、またその內容をそのままに示してゐるものですが、その引用につづく金田一博士の言ひぶんがふざけてゐる。「当否はとにかくとして」なら、「だから」と言ふことはありますまい。さういふ不承不承の微妙なる「だから」であればこそ、あとに「今回」「言ってはいない」などといふごまかしが出てくるのです。この「今回」には「今囘は」「いまのところ」の意があり、「將來はいざ知らず」の含み充分といふべく、日本語の助詞「は」の陰翳いんえいが巧みに利用されてをります。その氣もちが「言ってはいない」でいよいよ露骨になります。要するに、はつきり口にだして「言ってはいない」といふ、ただそれだけのことで、腹は別だといふことです。將來、實は表音主義だと言ひなほす餘地を殘してあるわけです。同樣、前のはうに「一言もうたっていない」とあります。しかも呆れたことに、「新かなづかい」が「表音式かなづかい」でないことの證據は、みづからさうだと「うたっていない」ことにあるといふ。開いた口がふさがらぬとはこのことです。常識では、事實を「證據」として、あることを言つたり言はなかつたりするものです。が、金田一博士はその反對に、聲明を「證據」として、ある事實が存在したり存在しなかつたりするといふ「觀念論」の信奉者らしい。少くとも文部省にだけはさういふ考へかたを許すつもりなのでせうか。すべてが法廷辯論的であり、政治的であります。事實はどうあらうと、法廷や議會のやうな公の場所で、それを認めさへしなければいいといふわけです。

廣田氏の說明にも同樣のごまかしがありますが、いちわうそこには表音主義を原則とすると大膽に言つてのけてありますので、それを檢討するまへに、もう一つ、金田一博士と同じく表音主義といふ言葉をいたづらに恐れるはうの例について報吿しておきませう。昭和三十三年に「言語政策を話し合う会」といふのが誕生しました。それは現代中國が漢字の讀みの難關を克服するために、ルビとしてのローマ字の倂用を實施したのを、あわててローマ字化と早合點して、さうなると漢字の使用は日本だけになるといふ不安に襲はれた人たちがこしらへた寄りあひです。目的はかな文字かローマ字か、いづれかの採用を目ざしての漢字廢止であります。私はその不可なることを「讀賣新聞」に書き、「現代かなづかい」の問題にも觸れて、現狀のそれは「より極端な表音化を目ざす」傾向に抗しえぬことを指摘し、その代表者の一人としてかな文字論者の松坂忠則氏の名を擧げました。同氏が國語審議會の委員であり、また「言語政策を話し合う会」の委員でもあつたからです。それにたいして、氏は同じ「讀賣新聞」紙上で、自分の考へが決して私の非難するやうな「より極端な表音化を目ざす」ものではないことを强調し、次のやうに答へてをります。
わたしのカナヅカイ論は、表音化論ではない。音声そのものを写すべきだなどと言っているのではない。現代のコトバの単位として認識されている「現代語音」(音韻ともいう。心理的なエレメント)を書くべきだとの点において、わたしの主張は、金田一博士の主張と一致している。
なほ、松坂氏に言はせれば、私は「表音文字を用いる」といふことと、「表音化を目ざす」といふこととを混同してゐるのであつて、氏はただ前者について考へてゐるだけなのださうであります。「表音文字を用いる」といふ點では、歷史的かなづかひも同じである、なぜなら、かな文字は表音文字であるから、と松坂氏はいふ。したがつて、「表音文字を用いる」と言つたからといつて、それはなにも「音声そのものを写すという意味にはならない」といふのです。この妙な理窟のあとに右の引用文が來て、そのあとに、「現代かなづかい」にたいする氏の不滿は、助詞の「は」「へ」その他、「現代語音と違う部分がある」ことだと述べてをります。全く支離滅裂です。歷史的かなづかひも「表音文字を用いる」ものであることは、たしかにそのとほりですが、それなら、「表音文字を用いる」といふことだけからは、「現代かなづかい」の原則も內容も出て來ませんし、さらにその助詞「は」「へ」その他の處理にたいする不滿に至つては、どうにも生じようはずがない。歷史的かなづかひが「表音文字を用いる」ものであるにもかかはらず、なほ氏にとつておもしろくない理由は、氏が「表音文字を用いる」だけでは氣がすまぬ何かがあるからでせう。その何かは、今かりに表音文字といふ言葉を生して言へば、それが表音文字を用ゐながら、表音文字としての機能を充分に發揮してゐないといふことではありますまいか。そのこと、すなはち、表音文字としての機能を充分に發揮せしめようといふ考へかたが、とりもなほさず表音主義であり、その方向への試みを表音化といひ、その體系を表音式といふ、私はさう心得てをります。

ところで、さらに呆れたことに、その後「言語政策を話し合う会」から私のところへも宣傳文書が送られて來たのですが、その挨拶あいさつ狀を讀んでみましたら、そこには麗〻しくかう書いてあるではありませんか。
げんざいのこの混乱している日本語を、やさしく美しいものにしようというのでありまして、一足飛びにカナモジあるいはローマ字にしてしまおうというのではありません。もちろん文字の表音化が究極の目的ではありますけれども……。
全く人をなめてをります。はつきり「文字の表音化」とあるではありませんか。世間向けの挨拶狀には「無知」な人たちを誘ひこむのに都合のいい表音主義を旗印にし、少しこみいつた理窟づけの場では顧みて他を言ふ。かうして彼等の態度はつねに政治的であります。それとも「文字の表音化」は「かなづかいの表音化」とは異るといふのでせうか。前者は後者を導き出さぬとでもいふのでせうか。もしそれほどに無智なら、國語國字問題の指導に手を出す資格はないはずです。それでは國民一般が迷惑する。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月9日土曜日

「現代かなづかい」の不合理――2 表音主義と音韻①現代かなづかいは表音主義ではない?

二 表音主義と音韻


本章一の冒頭に廣田氏の言葉を引用して、「現代かなづかい」の原則が表音主義にあることを明らかにしました。表音主義とは一音一字にして一字一音といふことであります。それが可能ならば、これほど簡便容易なことはない。しかし、一の細則で見たとほり、「現代かなづかい」は決してこの原則をそのまま適用したものではありません。そこで廣田氏は次のやうに但書をほどこしてをります。
このように、現代かなづかいは、一音一字、一字一音の表音主義を原則とはするが、かなを発音符号として物理的な音声をそのまま写すものではなく、どこまでも正書法として、ことばをかなで書き表わすためのきまりである。したがって、表音主義の立場から見て、そこにはいくつかの例外を認めざるを得ない。それは、これまでの書記習慣と妥協して、旧かなづかいの一部が残存している点である。
が、これほどあいまいで、意味をなさぬ文句も珍しい。なぜなら、そこには明らかなごまかしがあるからです。そのごまかしは議會における政治家の答辯のそれに似てをります。つまり、人は何かをごまかさうとして語る言葉において、そのごまかしの存在をもつともよく裏切り示すといふことになりませう。右の一段は、「現代かなづかい」や「当用漢字」の制定に、それよりもなほ國語國字改良論の根本精神に、最初から無批判的にれこんでゐる人ならいざ知らず、少しでも頭を働かせる習慣をもつてゐるものには、到底すなほに讀みくだせる文章ではありません。

一體、表音主義とは何か。いや、その前に表音文字とは何か。解りきつたことのやうですが、その意味があいまいであるために、「現代かなづかい」にたいする誤解が生じてゐるので、いちわうだめを押しておく必要がありませう。いふまでもなく、表音文字は表意文字の對であります。日本のかなやヨーロッパ語のローマ字は前者であり、漢字は後者であります。もちろん、文字である以上、音だけしか表さぬ文字はあつても、音聲を伴はずに意味だけしか表さぬ文字といふものはまづない。なるほど太古の象形文字は鳥や人型の組合せによつて書き手の意思を表現してはゐますが、それぞれに音聲があつたとは言へません。しかしその段階の象形文字は、文字とはいふものの、嚴密には文字ではないのです。一方、漢字は象形文字から出發したのですが、それはすでに文字としてしやべる言葉をそのまま表現しえます。すなはち、一字一字、音を伴つてゐます。ただ、その文字から音だけを抽象して意味と無關係に用ゐることは出來ません。その文字を用ゐれば、かならずその意味が生じる。音が同じだからといつて、「物」を「佛」とは書けない。表意文字においては、意味が主であつて、音は從であります。これに反して、ローマ字は一字一字に意味がなく、その意味のない音だけを表示する文字が二つ以上つづりあはされて、初めて語をなし、意味を生じる。それが表音文字であります。

表音文字と表意文字との差については、右の定義で充分とは言へませんが、ここではその程度にして先に進みませう。さて、表音主義といふことですが、これは表音文字の使用によつてのみ可能であるといへませう。同じ「後」といふ文字を「ゴ」と發音したり「コウ」と發音したり、また同じ「コウ」の音に「後」「光」その他たくさんの文字がある漢字の場合、それは不可能です。表音主義といふのは「音を表す」といふことではなく、同一音はつねに同一文字によつて表され、同一文字はつねに同一音を表すといふこと、すなはち一音一字にして一字一音であることを意味します。それは表音文字の場合にのみ可能であります。が、現實では表音文字かならずしも表音主義を守つてはをりません。たとへば、ローマ字を用ゐる英語でも、smart・cousin・shallの三語において、sは三樣に發音しわけられる。音聲記號で示せば、それぞれ〔s〕・〔z〕・〔∫〕となります。のみならず、smartのaとshallのaとは同一文字でありながら、音は前者の場合、次のrと一緖になつて二重母音を形成し、〔ɑə〕となり、後者では〔æ〕となるといふ違ひがあります。したがつて、smartのrも本來のr音ではない。cousinのiは無いにひとしく發音されません。shallのlは二つですが、一つの場合と同じ發音です。

この三語はでたらめに選んだのに過ぎず、その種の例は英語の場合ほとんど無限にあると言へませう。表音文字の使用、かならずしも表音主義にならず、またさうなしうるものでもありません。かな文字の場合も同樣であります。のみならず、かな文字は音節文字であつて、「あ行」のほかは、大體において一子音と一母音との組合せによる兩者未分の音を表してゐるため、單音文字であるローマ字に較べて嚴密な表音主義に徹することが出來ません。いちわう、さう言へませう。もつとも旣に述べた「現代かなづかい」の矛盾なるものは、なにも音節文字としての限界によつて生じたものではなく、表音主義を原則とする氣さへあれば、まだいくらでも原則どほりに表音化しうる程度のものなのであります。そこに問題があるわけです。そのやうに、表音化しうるものを表音化してゐないといふことについて、旣に見たごとく「現代かなづかい」に、少くともその「趣旨」ないし原則には贊成すると稱する人たちから、文句が出るのは當然でありますが、この身方の激勵こそ、實は當事者にとつてまさにひいきの引きたふしとも言ふべきものなのです。

なぜなら、表音主義といふものは、いはば革命のためのスローガンのやうなもので、舊政權たる歷史的かなづかひを打倒する前にこそ便利必要であれ、革命成就ののちもなほ新政權「現代かなづかい」を正當化するには、いや、いかなる表記法にもせよ、それが表記法であるかぎり、それを保證するには、權威ある不動の原理とはなりかねるものなのです。それは亂にあつて攻擊を事とする狙擊兵そげきへいであつて、治において秩序を守る任には堪へられない。戰後の國語國字改良論者は旣にそのことを見とほしてをりました。したがつて、彼等は表音主義反對者こそ、かへつて好都合な存在であつて、彼等を困らせるものは、むしろ表音主義贊成者なのであります。たとへば金田一博士の『国語の変遷』(創元社刊)に出てゐる「新かなづかい法の学的根拠」の冒頭を讀むと、その感じがよく出てをります。少し長いが、それを引用しておきませう。
今回の新かなづかい反対の声を聞いてみると、まず第一に新かなづかいの明らかな誤解から来るものがある。曰わく、新かなづかいは、表音式にすると言って、その実、表音式になっていないではないか。孝行は、コオコオと発音するのに、こうこうと書く、「私は」「私を」「私へ」なども、表音式なら、「私わ」「私お」「私え」であるべきである。少しも表音式ではないじゃないか。こう言って、反対される人々のあることである。
これは、反対論の一番単純な声である。それぐらいのことを、新かなづかいの発案者たちが気がつかないとでも思うものらしい。しかし、これほどの大事を思い立つ当局の人でそんなことぐらいわからないはずが無いではないか。
では、わかっていて、そういうことをするのはなぜか。ほかではない。「新かなづかい」は、決して「表音式かなづかい」ではないからである。
その証拠に、今度の新かなづかいの趣意書のどこにも、「表音式にするのだ」とは一言もうたっていない。
「歴史的かなづかいを廃して、表音式かなづかいにするのだ」とは、以前によく言われたことである。明治三十三年度以来、久しくなった声ではある。「音声」と「音韻」との区別のまだはっきりしなかった時代の言い分である。その時代からみると、考え方も言い方も遥かに進んで来て、今は「仮名づかい」と「発音表記」とをはっきり区別するのである。「仮名づかい」は正字法オーソグラフィであり、仮名は音標文字だが、どこの国だって、正字法はあるが、音韻符号をつらねて正字法にしている国はない。故橋本進吉博士が「表音式かなづかいは、かなづかいにあらず」と言い切ったのは、著名なことばである。その言葉の当否はとにかくとして、だから、今回どこにも、表音式かなづかいにするのだと言ってはいない。言っているのは「現代〇〇かなづかいは、現代〇〇語音に基づく」と、あたり前のことを言っているだけである。その意味は、いわゆる歴史的かなづかいは、古代語丶丶丶の語音に基づいている。すなわち、旧かなづかいは、古代語を書いていたものであるが、現代かなづかい丶丶丶丶丶丶丶は、現代語丶丶丶を書くことにするということである。
あえて「現代の音声〇〇」と言わずに「現代語音(にもとづく)」と言ってるのは、「かなづかい」は発音記号ではなくして正字法だからである。仮名は音韻文字だから一々の仮名は、音韻を代表させるが、一から十まで、決して発音どおりにしようとしてはいない。それは、すべての改革は、急激であってはいけないから。殊に、言語に関したことでは。なぜなら、言語は、国民全体が毎日関係することであって、決して役所の人たち少数者だけのたまに用いるものではないから。国民の大勢が、すぐついて来れるような改革でなければ、改革が企図に終って、実現はされない。実現されるような改革は、無理のない程度に落ち合わなければいけない。いくらよい理想的な案でも、皆がついて来なかったら、その案は机上の空論でしかない。
ここに私たちは「現代かなづかい」の原則も論據も決して表音主義にはないことを知らされる。このどんでん返しに讀者はさぞかし面くらふでありませう。それなら、戰後の國語改良論者があたかも救ひの神のやうにすがりつく音韻とは、一體なにを意味するのか。門外漢には解りにくい言葉でありますが、それはまた專門家の間でもはつきりせず、二樣三樣の意味で用ゐられてゐるやうです。しかし、ここではその一つの意味をとつて、次のやうに理解しておけばいいと思ひます。すなはち、音韻とは、私たちが實際に發音してゐる、あるいは發音しうる生理的・物理的な音聲ではなく、たださう發音してゐるのだと思ひこんでゐる、もしくはさう發音しようと思つてゐる、いはば言語主體の心理のうちにある音の單位を意味する。

たとへば、「行きま」「本で」の「す」は「い(椅子)」の「す」とは違ふ。後者は問題なく普通の〔su〕ですが、前者ではその母音の〔u〕が無聲化してしまひ、ただ息だけの音になつてをります。しかし、それは私たちが實際に發音してゐる生理的・物理的音聲についての話に過ぎません。それを發音する言語主體である私たち日本人は、喋る場合にも聽く場合にも、その差を意識せず、同じ「す」だと思つてゐる。旣に述べたやうに、私たち日本人には一般に母音とか子音とかいふ單音の意識がなく、すべての音をその兩者の結合による音節の意識でとらへてゐるからです。また、「本が」「本も」「本の」における〔n〕が、音聲としてはそれぞれ〔ŋ〕〔m〕〔n〕と發音してゐても、私たちの意識においては、いづれも同じく〔n〕であります。その主觀的意識を、客觀的實在である音聲にたいして、音韻、あるいは音韻觀念といふのです。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月8日金曜日

「現代かなづかい」の不合理――1「現代かなづかい」の實態④おめでとう、とけい、きゅうり、がっこう

以上で、「現代かなづかい」の內容、卽「例外」づくしは大體あきらかになつたわけですが、さらに二三の附帶事項があります。それについて述べておきませう。「言ふ」は、發音どほりといふことになると、「う」と書くべきかもしれぬが、「う」と書かねばならぬ。理由は「その語幹が動かないという意識があるとして」ださうであります。すなはち「う」と書くことにすると、否定のときは「わない」ですから、「ゆ」が「い」に變り、語幹が變化する。變化してしまつたのでは語幹とはいへぬので、これは「當然」の處置といへませう。それなら「おめでう」「たうございます」はどう說明するのか。「おめでう」は歷史的かなづかひでは「おめでう」であり、接頭語「お」と動詞「めでる」と助動詞「たい」との合成語であります。あるいは「めでたい」といふ形容詞と考へてもいいでせう。「たい」「めでたい」の活用は「〇・(めで)く・(めで)い・(めで)い・(めで)けれ・〇」となり、「おめでう」は「おめでく」の音便形で、語尾の「く」にのみ變化が起つたことを示し、「た」は語幹あるいは語幹の一部として不變です。それが「現代かなづかい」では「めでう」と書きますから、「たい」を助動詞として分析すれば、語幹が變つたことになり、「めでたい」の一語と考へても語幹の一部が變つたことになります。「たこうございます」でも同樣、語幹の「高」は「た」「た」と變つてしまふ。しかも、この變化を活用語尾のはうへ繰りこんでしまつて、語幹をそれぞれ「めで」「た」だけだとすると、文法上「活用の種類ははなはだ複雑になるので、語幹にも変化を起すものがあるとだけ説いておくべきであろう」と言ふ。「言ふ」は「語幹が動かないという意識」のもとに「う」と書いて「う」とは書かぬといふ說明と全く正反對ではありませんか。しらふの人間の言葉とは考へられません。
〔引用者註〕「有難う」も「ありがたく」の音便なので正しくは「ありがたう」なのである。「お早う」も「おはやく」の音便だから「おはやう」が正しいのである。でも「ご機嫌好う」は「ごきげんよく」の音便なので、こちらは「ごきげんよう」で好いのである。
次に「時計」は「とけい」と書いて、「とけえ」と書いては誤りだといふ。さきに私は馬鹿正直に「お列」長音以外は、それぞれ該當音の下に同音の母音「あ行」文字を附けて表すのを「本則」とすると書きました。じじつどこにもさう明記してあります。「現代かなづかい」は昭和二十一年十一月十六日內閣吿示第三十三號をもつて吿示されたのですが、その細則第十一にも「エ列長音は、エ列のかなに〈え〉をつけて書く」とあり、その例として、先に私が擧げたのと同じく「ねえさん」の一語を示してゐます。金田一博士の「明解国語辞典」(昭和二十七年發行新版)もそれをそのまま採用し、ただ例として、應答のさいの「ええ」を加へてゐる。しかし、驚くべきことに、この原則に當てはまる言葉は精〻その程度なのです。その他の「え列」長音は全部が例外で、該當音の下に「え」ではなく「い」を附けて書くことになつてゐる。しかも、その「え列」長音としては、「衞生」「經營」「生命」「丁寧」「平靜」等の漢語が無數にあります。したがつて、「い」を附けるとするのを「本則」とし、「え」を附けるのこそ「例外」とすべきです。ただし「い」を用ゐるのを「本則」とすると、遡つて該當音の下に同音の母音「あ行」文字を附けて表すといふ「本則」に牴觸し、前述の「お列」長音のほかに、もう一つ「例外」が出來てしまひます。しかし、さうしておけば、そのまた「例外」は「ねえさん」「ええ」(ねえ・へえ)くらゐで食ひとめられるものを、その二語の顏をたてたため、他のほとんどすべてを「例外」に追ひこんでしまはなければならなくなつたのです。なぜそんな苦しいことをせねばならぬのか、それもあとで考へることにしませう。

次が「胡瓜」の書きかたです。「胡瓜」は宛字で、語源的には「黃瓜」であり、地方によつては「キ・ウリ」とはつきり二語連合を發音しわけるさうですが、一般には「キューリ」ですから、この標準的發音に隨ひ「きゆうり」と書かねばならぬといふ。「狩人」も「かりゆうど」であつて、「かりうど」は誤りとなつてをります。ここで注意しなければならないことは、連濁の「けづめ」「こづくり」の場合、二語の連合を分析する語意識をたてに「つめ」「つくり」を生した原理に隨つて、同樣「胡瓜」においても「うり」を生し、「き・うり」とすべきで「きゆう・り」としてはならぬはずなのに、どういふわけか、ここにふたたび表音主義といふ大原則の登場を見るのであります。

最後に、「學校」「速記」「敵機」などは「がこう」「そき」「てき」では誤りで、「がこう」「そき」「てき」と書けといふ。「無學」のときは「むが」で「學校」となると「がこう」と書かねばならず、ここでも二語の連合を分析する語意識は無視、あるいは死を宣吿されたわけですが、表音主義の大義のためとあらば、それも仕方ないとしませう。が、一方、「適格」「敵艦」「益軒」などは「てかく」「てかん」「えけん」と書かねばならぬといふのです。つまり「敵機」と「敵艦」とでは違ふのです。前者は「てき」で後者は「てかん」です。なぜさうなるのか、神のみぞ知る、などと手を擧げたら最後、その神である國語改良論者の手により、あなたがたは標準的現代人としての資格を剝奪はくだつされてしまひませう。さうされぬため、めいめいに正しい解答を考へていただくことにして、しばらく「宿題」といふことにしておきませう。
〔引用者註〕ほかに學科がくか學区がくく學期がくき學級がくきふ學硏がくけん等も「がつか」「がつく」「がつき」「がつきゆう」「がつけん」と書かせられるのである。國旗こくき國歌こくかも「こつき」「こつか」としなければならない。ついでに言へば、敵機、敵艦は「てきき」「てきかん」と書くが「テッキ」「テッカン」と讀み、益軒も「えきけん」と書いて「エッケン」と讀むのが正しいのである。これに從へば、いま話題の『日本国紀』も「にほんこくき」と書いて「ニホンコッキ」と讀むのが國語の正しい作法、と言ふより自然にさうなるのである。それが國語の生理だからである。
ここに讀者は、ことに「現代かなづかい」に贊成の立場にある人たちは、次のことを反省してみる必要があります。かつて金田一博士と論爭したときのことですが、私が「歷史的かなづかひ」は一向むつかしくないと言つたのにたいして、博士はその表音的でない多くの例をあげて、これをお前は正しく使ひわけることが出來るか、出來ると思つてゐるのは漢字を代用してゐるからではないか、つまり漢字のかげに隱れて、「免れて恥じなきを得ている」のではないかと反問したことがあります。たとへば「あふる」「あは」「あわ」など、そのかなづかひを知らなくても、「煽る」「粟」「泡」の漢字を用ゐてゐるので、過ちをせずにすませられるのだらうといふ意味です。それなら、同樣にこちらも反問いたしませう。「扇」「奧義」「大きい」が前二者が「おぎ」最後が「おきい」と書き分ける「現代かなづかい」においても、やはり漢字のかげに隱れて免れて恥ぢなきを得てゐるのではないでせうか。したがつて「現代かなづかい」を支持し、それなら書ける、あるいはそれでなければ書けぬと言ふ人たちに、改めて本章に述べたその內容を熟讀していただいて、これなら書けるかどうか再省してもらひたいと思ひます。

さらに、その矛盾はよく承知してゐる、ローマは一日にしてなるものではない、まづ第一步を踏みだして、あとは徐〻に本來の「趣旨」ないしは原則への一致を目ざしたらいいのだと考へる人〻、すなはち例の百五十四人中の百三十一人に入る人〻にたいしては、私は次のやうな反問を呈します。廣田氏のいふ表音主義といふ原則の實踐は、なにもローマ建設ほどの難事ではなく、今まで見てきた現行の「現代かなづかい」に較べれば、遙かに容易ではないか。普通、一擧に理想實現を計ることの不可が强調されるのは、元來、理想といふものが守るのに困難なものだからでせう。ところが、「現代かなづかい」は歷史的かなづかひのさういふ困難な理想性を否定するために考へられたものであり、したがつてその理想すなはち「趣旨」は容易といふことにあるはずです。このローマは一日にして成ることを目やすとしてゐる。それをなぜ成らせないのか。理想をわざわざ容易にしておきながら、それにお預けをくはせておいて、現實に困難を課するといふ罪な眞似をなぜするのか。まさか、「ローマは一日にして成らず」といふ古めかしい格言に忠實であらうといふ苦行主義のためではありますまい。

そこから必然的に出てくる疑ひは、なるほどその理想は容易といふことにあるのだが、やはりそれが容易に達成されてしまつたのでは困るのではないかといふことです。「現代かなづかい」には多くの矛盾がありますが、そして多くの人はいづれその矛盾を解消しようと考へてをりますが、しかし、それを解消して、原則どほりにするといふことになると、なにか困ることが生じるのではないか。おそらくその點で誰よりも困るのは、當の「現代かなづかい」を主張實施した國語改良論者なのであります。その間の事情を知るために、次に「現代かなづかい」の原則について綿密に檢討してみませう。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月7日木曜日

「現代かなづかい」の不合理――1「現代かなづかい」の實態③「じ」「ぢ」「ず」「づ」

第三の例外は、「じ」と「ぢ」および「ず」と「づ」の使ひ分けです。この場合の本則は、一音一字の原則からいつて、「ぢ」「づ」をやめ、すべて「じ」「ず」にするとなつてをります。問題はその「例外」です。やはり「ぢ」「づ」を用ゐなければならぬ場合があるのです。しかも、かなりたくさんある。原則的に槪括すれば、次の二つになります。

一 二語の連合によつて生じた「ぢ」「づ」
二 同音の連呼によつて生じた「ぢ」「づ」

前者に相當するのは、たとへば、「鼻」と「血」、「三日」と「月」、それぞれ二語を連ねて出來てゐる言葉である「鼻血」「三日月」のやうなものです。これらは「はな」「みかき」と書き、「はな」「みかき」と書いては誤りになります。それに準ずるものとして、國語審議會は次のやうな例を擧げてゐます(昭和三十一年七月の案)
あいそづかし かたづく ことづて ひとづて たづな けづめ ひづめ こぢんまり こづく こづかい こづつみ こづくり くにづくし こころづくし むしづくし
さらに廣田氏は「いれぢえ」「ちやのみぢやわん」「てぢか」「ばかぢから」「ほおづえ」「かいづか」「いきづかい」等〻數十語を列擧してゐますが、おそらくその種の例は無數にあり、かつ今後もふえてゆくことでせう。それはいいとして、次のやうな場合には、同じ二語連合でも、「ぢ」「づ」を用ゐず「じ」「ず」と書かねばならぬことになつてをります。
うなずく ぬかずく つまずく ひざまずく かしずく かたず みみずく いなずま きずな さかずき おとずれ さしずめ なかんずく あせみずく うでずく かねずく ちからずく きぬずくめ おのずから くちずから しおじ たびじ いえじゆう いちにちじゆう せかいじゆう
では、何を根據にしてその差を識別し書き分けるのか。それはもちろん語源であります。現在一語をなしてゐるそれぞれの語を語源にさかのぼつて二語の連合であると分析しうる語意識であります。それだけに語意識が今日もなほ生きてゐると認められる場合は、「じ」「ず」か「ぢ」「づ」かを嚴密に書き分けねばならぬといふのです。「小さなつつみ」だから「こつみ」、「小さな造り」だから「こくり」で、さて、「口ずから」は……となると、この「ずから」は一般に語源が解らないから、解らぬ場合は「す」の濁り、すなはち「口から」でいい。かういふふうに書き分けるわけです。早い話が問題の「現代かなかい」は「かな」を「つかう」といふ語意識が生きてゐるから、「づ」でなければならない。もちろん、語意識が生きてゐるのは「ぢ」「づ」の場合だけではなく、「じ」「ず」の場合も生きてゐる。「帳尻」は「帳面の尻」といふ意味だから「ちようり」でなければならない。「手漉きの紙」は「手ですいた紙」の意味で、「變な手つき」の「手つき」とは無關係だから、「てきの紙」でなければならない。もつとも「機械的」記憶法からいへば、「じ」「ず」の場合は、たとへ語意識が生きてゐて語源をしかと認めうるときでも、そんなことは無視して、單純に「ぢ」「づ」以外は「じ」「ず」とおおぼえておけばいいといふことになりませう。

それにしても解せないのは、語意識が生きてゐるかゐないかの判定はどこにあるのか、それを誰がくだすのかといふことです。「たな(手綱)」には「綱」の語意識があり、「きな(絆・生綱)」にはそれがないといふ。「おおめ(大詰)」や「すしめ(すし詰め)」では「詰め」が生きてゐて、「さしめ(さし詰め)」では死んでゐるといふ。「むしくし(蟲盡し)」では「づ」で、「きぬくめ」では「ず」になる。しかし「蟲くし」と同樣に「絹くし」といふ言葉も當然あるわけですが、さうなると「絹くし」では「づ」で「絹くめ」では「ず」になるといふ、まことに奇妙づくめな話になります。

そもそも語意識が生きてゐるかゐないかなどといふことは、誰にも判定できることではない。また判定の目やすなどどこにもない。言葉は生き物です。今日、使はれる言葉はすべて生きてゐるのだし、過去に使はれた言葉もすべて生きてゐるのです。したがつて語意識も生きてゐる。人がみづからそれと氣づかぬ場合にも生きてゐる。さういふことに國語改良論者はもつと謙虛にならなければいけません。第一、他人の、この私の語意識を勝手に判定し、藪醫者やぶいしやではあるまいし、生きてゐるのゐないのと無責任な診斷を下すなど、もつてのほかの僭越せんゑつであります。さうではありませんか、「ひざまく」は「膝」と「突く」だと意識してゐるものにたいして「ひざまく」と書けといふのは、その生きてゐる語意識に死を宣吿、あるいは暗示、命令するやうなものです。

しかも右の「ぢ」「づ」と「じ」「ず」の二表を較べてみれば、それだけでもなんの根據もないことが明らかですが、さらに「じ」「ず」の表のうち「ぬかずく」「きずな」には星印がついてゐて、「*印の語については、語構成の分析的意識において個人差があるので、そこに見解の相違もあろうといっている」さうであります。かういふことを言ふやうでは、國語審議會など一日も早く解散してしまふにしくはありません。なぜ「ぬかずく」「きずな」の二語だけに「個人差」があるのですか。どの言葉にも「個人差」はある。問題は程度でせう。が、この場合、右二語と同程度に、あるいはそれ以上に「個人差」のはげしい言葉がたくさんあるではありませんか。のみならず、この國語審議會案の表は昭和三十一年七月のものです。私が金田一博士と論爭したのはその前年です。そして、そのころは「けめ」「こんまり」はいづれも「けめ」「こんまり」となつてゐて、その矛盾を私は指摘しておいた。もちろん「ぬかずく」「きずな」も、やはり同表の他の例と一緖に矛盾を指摘しておいたものです。なるほど、たとへ「けづめ」「こぢんまり」の二語だけでもこちらの言ひぶんが通れば、國語審議會にもまだ脈があるといへるかもしれません。が、私はさうは思はない。それは妥協に過ぎず、機構いぢりと同じく整理のための整理でしかありますまい。第一、困るのは、その無定見、無責任です。が、このやうに變ることそのことが、語意識に「個人差」どころか「時期差」があることを、したがつて怱卒に語意識の死など判定できぬことを、審議會みづから證明したものと言へませう。

さらに、それが彼等の妥協にすぎず、したがつてその改正になんの筋も通つてゐないことは、次の事實によつて明らかです。二語連合において生ずる濁音「ぢ」「づ」の扱ひの矛盾として私が指摘した他の例に「心中」「意地」等があります。前者の「中」は「曾根崎心中」では濁つて、「心中を察する」では澄んで發音します。ところが、右の三十一年七月案にも、「世界中」「家中」「一日中」等すべて「――ゆう」と書けと指定し、御丁寧にも「〈ゆう〉と書く場合はない」と頑固な註を施してある。しかし、「世界中」「心中」の「――ゆう」が「中心」や「中學校」の「ゆう」であるといふ程度の語意識は、「個人差」も何もない、どんな子供でももつてゐるでせう。それをしも「――ゆう」とせよとは、全く理解に苦しみます。なほ後者の「意地」ですが、「地」はつねに「じ」と書けといふ。なぜなら「地面」「地震」のごとく、語頭においてもなほかつ濁つて發音する場合があり、「意地」「生地」等の「地」を二語連合のための濁音とは考へないことにしたからだと述べてをります。かうなると、あきれてものもいへない。それなら「田地」を「デン」とも「デン」とも兩樣に發音してゐる事實についてはなんと說明するのか。

次に、同音の連呼によつて生じる「ぢ」「づ」の場合ですが、これは「ちむ」「つく」のやうなもので、さらに「つれれ」「つくく」などにも適用され、いづれも「ぢ」「づ」をそのまま生して書きます。ただし「いちるしい」「いちく」では元來、「じ」なので「ぢ」とはしない。また「五人つ」などは歷史的かなづかひでは「つ」ですが、これは同音の連呼とは言へないといふ理由で「つ」と書かなければいけません。「つ」なら同音連呼で、「つ」ならさうではないといふ根據がどこにあるのか疑問ですが、それよりも同音連呼とは何か、ほとんど意味をなさぬ言葉だと思ひます。國語の性格上、これは大事な問題ですから、あとでゆつくり考へてみませう。

ところで、連濁について、もう一つ附則があります。「舞鶴」「沼津」のやうな固有名詞の場合です。これらの地名は漢字とどれだけの關係があるか解らないから、「まいる」「ぬま」と書いてもいいわけだが、ただ漢字と倂記することが多いので、鐵道方面では「ず」とせず「づ」としてをり、それは昭和二十二年に文部省と運輸省・建設省地理調査部との話しあひの結果だといふことです。ここで私たちはもう一度あきれかへらなければならない。「漢字とどれだけの関係があるか解らない」とは何事か。もともと訓よみの漢字はすべて宛字あてじです。ですから、ここは好意的に解釋して「漢字で表示された意味とどれだけの関係があるか解らない」のつもりと見なします。むしろ「意味とどれだけの関係があるか解らない」といへばよろしい。漢字との倂記が氣になるといふことなら、「津」も「こく△△づ」すくなくとも「づ」と書かねばならなくなるでせう。後者では、歷史的かなづかひと同じになります。しかも、「國府津」の場合は明らかに「意味」と關係があります。昔、この近くに國府があつて、その門戶としての津(港)といふことから、この名が起つたといふ、その種の起源說は總じてあてにはならぬといふ懷疑主義をとつたにしても、後人がそこに「意味」を假託する氣もちは否定しえません。「沼津」の「津」にはもちろん、「舞鶴」の「鶴」にも、ちやんと「意味」があるのです。それが「解らない」とか「無い」とか言ふのは、「さしづめ」や「きぬづくめ」では「づ」の語意識が死んでゐると診斷したのと同じ僭越であります。
〔引用者註〕海上自衞隊の護衞艦「いずも」は、歷史的に本當は「いづも」と書くべきなのである。間違つた表記にしてゐると、出雲大社の御加護を賜はれないのではないかと心配になるのである。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月6日水曜日

「現代かなづかい」の不合理――1「現代かなづかい」の實態②長音の書きかた

第二の例外は、「お列」長音の書きかたであります。「現代かなづかい」では、この「お列」を除いて、「あ・い・う・え」四列の長音は、それぞれ該當音の下に、それと同音の母音の「あ行」文字、すなはち「あ」「い」「う」「え」を附けて表し、「おかさん」「しの木」「つしん」「ねさん」と書くことになつてゐます。この筆法でゆけば、「お列」長音は該當音の下に「お」を附けるべきですが、それがさうはゆかない。「お」の場合と「う」の場合と二つあるのです。しかも、その二つのうち「う」を附ける場合を「本則」としてゐるのです。じつは「本則」も何もあつたものではない。「本則」といふなら、むしろ「お」を附ける場合をさう呼ぶべきですが、そのはうが數が少く、「う」を附ける場合のはうが數が多いので、それを「本則」と呼んでゐるだけです。國語改良論の立場からは、質より量を重視すべしと言ふことでもありませう。

ところで、「う」と「お」の差別はどうなつてゐるか。まづ例をあげませう。「う」を附けるのは「扇(おぎ)」「おとさん」「行こ」の類で、「お」を附けるのは「氷(こり)」「狼(おかみ)」「大きい(おきい)」「通る(とる)」の類です。前者が「本則」なら、なぜ後者の「例外」を設けなければならないのか。廣田氏の說明ではかうなつてゐます。後者は歷史的かなづかひではすべて「ほ」であり、「こり」「おかみ」「おきい」「とる」と書いてきた。その「ほ」が「お」に變つただけで、それを長音とは考へず、母音が二つ重つたものと考へるといふのです。事ごとにいいかげんな理窟づけで、默つて見すごすのは容易なことではありませんが、もう暫く我慢しませう。とにかく右の例は歷史的かなづかひで「ほ」と書かれてゐたものに限るわけですが、かうなると、「現代かなづかい」を正しく書き分けるために歷史的かなづかひの知識を必要とするといふことになります。その弱點は當事者にもさすがにうしろめたいと見えて、廣田氏は「さいわいに実際問題としては、この種のことばは次に掲げるように少ないので、それらを機械的に覚えておけばいい」と辯じてをります。「機械的」におぼえておけとは言ひ得て妙であります。「現代かなづかい」「当用漢字」の制定に現れた國語改良論の精神を一言にして盡してゐるからです。それはさておき、その「機械的」記憶を必要とする「例外」は次の十八語です。
おおやけ(公) こおり(氷) ほのお(炎) おおせ(仰せ) おおきい(大きい) とおい(遠い) おおい(多い) とおる(通る) こおる(凍る) とどこおる(滯る) もよおす(催す) いきどおる(憤る) おおかみ(狼) ほおずき おおよそ おおむね おおう しおおす (以下福田追加、「おおかた」「ほおかぶり」等〻)
右以外の「お列」長音はすべて「う」を附けて書くことを本則とすると申します。したがつて「王子」「往時」は「おじ」で、「都大路」は「都おじ」、「高利」「行李」は「こり」で、「氷」は「こり」となる。さらに「大阪」は舊「おほさか」なるがゆゑに「おおさか」と書き、「逢坂山」は舊「あふさかやま」なるがゆゑに、すなはち「ほ」ではなく「ふ」であり、かつそれに先だつ文字は「あ」でも、「お列」の「オ」であるがゆゑに、本則どほりに「おうさかやま」と書かねばなりません。しかし「逢ふ」「會ふ」だけなら、前出「は行」音の項で申しましたとほり、「現代かなづかい」では「あう」でなければならない。それが發音どほりといふものです。したがつて「逢坂山」は「あうさかやま」でなければならない。さうなると、「逢ふ」を「大」と同じに發音した古人はけしからんといふことになる。なんだか頭が變になつてきました。なんでもいいから「機械的」におぼえておけといふのでせうが、「機械的」記憶もここまで要求されると、もともと「機械的」に出來てゐない頭腦の場合、下手をすると「生理的」變調を來しかねません。
〔引用者註〕テニスの大坂選手は現代假名遣で「おおさか・なおみ」、歷史的假名遣で「おほさか・なほみ」となり、レッツゴー三匹の逢坂じゅんさんの場合は現代假名遣「おうさか・じゅん」、歷史的假名遣「あふさか・じゆん」となるのである。
なほ、以上のほかに「お列」長音の「例外」がもう一つあります。これまた全然別種の「例外」で、「ほ」ではなく「を」の場合です。すなはち「十」は舊「とを」であるから、「現代かなづかい」では「と」ではなく「と」と書かねばならない。「を」はすべて「お」だといふ原則があるからです。これも歷史的かなづかひを知らないと納得できぬ一例です。
〔引用者註〕「申す」は元々「まをす」なのであるが、それが早い時期に「モース」と發音されるやうになつたので歷史的に「まうす」と書かれてきたらしいのである。この時點で旣にこれは表音的なのであるが、今度はその「まうす」を歷史的假名遣と看做して、現代假名遣で「もうす」にしたことで、最初の「まをす」と全く關係が切れてしまつてゐて、どうなのかと思ふのである。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月5日火曜日

「現代かなづかい」の不合理――1「現代かなづかい」の實態①表音主義の原則

一 「現代かなづかい」の實態


昭和三十一年の春、文藝家協會が「現代かなづかい」と「当用漢字」について、その意見を會員に求めたことがあります。その項目の一つに「現代かなづかいの內容についてどう思ふか」といふのがあり、囘答者百五十四名中、「全面的に支持」が二十五人、「全面的に反對」が二十一人、「舊かなづかひ改訂の趣旨には基本的に贊成だが、內容と適用には檢討の餘地がある」といふのが百六人、「その他」が二人となつてゐます。このうち「全面的に支持」といふのは、原則や目的についての支持を積極的に强調しただけのことで、その細部については「內容と適用には檢討の餘地がある」とした百六人とさう違ふはずはありますまい。なぜなら、當事者である國語審議會や文部省にしたところで、現狀をそのまま「全面的に支持」してゐるわけではないからです。すなはち、どんな案を持ちだしたところで、かういふ問題に「全面的に支持」などありえぬ、さういふことを前提とした上で、「全面的に支持」と答へたのに相違ありません。したがつて、百五十四人中百三十一人が「舊かなづかひ改訂の趣旨には基本的に贊成」といふことになります。

そこで私は一つの疑問をもつ。多くの人〻が「基本的には贊成」としてゐる「舊かなづかひ改訂の趣旨」とは何かといふことです。それがどういふものであるか、彼等ははつきり諒解してゐるのでせうか。その「趣旨」ないしはそれを成りたたせるための原則について、彼等と國語改良論者との間に、どこか話の食ひちがひがありはしないか。私はさういふ疑ひをもつのです。さらに、私は疑ふ、もし彼等の側に誤解があるとすれば、國語改良論者はその彼等の誤解をこそ、むしろ德とすべき事情がありはしないかと。これは單なる私の勘ぐりではありますまい。その誤解は、そもそも協會側が質問箇條として右のやうな一項目を設けたことのうちに示されてゐると言へませう。私に言はせれば、この問ひそのものが矛盾を含んでゐる。「現代かなづかい」について、その內容の具體的な細部に疑問をいだきながら、同時に一方ではその「趣旨」や原則を「基本的に」受け入れるなどといふことは、一見もつともらしい現實論であるかのやうでゐて、じつは全く不可能なことなのです。なぜなら、その內容の細部に現れたうべなひがたい矛盾は、いづれもその「趣旨」が無理であることから、またその原則それ自身に內在する矛盾から生じたものにほかならないからであります。

「現代かなづかい」のいはゆる內容、すなはちその細部を檢討するまへに、それがいかなる原則によつてゐるかをあらかじめ知つておかねばなりません。文部省國語課の廣田榮太郞氏は國語審議會の意を受けて、次のやうに書いてをります。
現代かなづかいは、より所を現代の発音に求め、だいたい現代の標準的発音(厳密にいえば音韻)をかなで書き表わす場合の準則である。その根本方針ないし原則は、表音主義である。同じ発音はいつも同じかなで書き表わし、また、一つのかなはいつも同じ読み方をする、ことばをかえていえば、一音一字、一字一音を原則としている。(かなづかひ原文のまま。以下同樣)
この原則については、なほ徹底的な考察を要しますが、それは本章の二に讓ることにして、この一音一字、一字一音の表音主義といふ原則がそのまま適用できぬ例外のあることを、まづ私たちは知らなければならない。それらを一つ一つ克明に檢討してゆきませう。

第一の例外は、助詞の「は」「へ」「を」であります。表音主義を原則とするなら、「私」「東京」「水」と書くのはをかしい。どうしても「私」「東京」「水」と書かねばならぬはずだ。さもないと、「は」「へ」は文字どほりに「ハ」「ヘ」と發音する場合と、「ワ」「エ」と發音する場合と二通りになつてしまふ。それでは一字一音ではなくて、一字二音です。また、「オ」の音に「を」を用ゐなければならぬとすると、同じ「オ」の音に「お」の字があり、したがつて一音一字ではなくて、一音二字になつてしまひます。もちろんそのほかの場合は、たとへば、舊「にとり(鷄)」「かる(代)」も「にとり」「かる」と書くことになつてをり、舊「かる(歸)」「たとば」も「かる」「たとば」となつてゐる。「は」「へ」だけでなく、すべての「は行」音がさうなつてゐて、「こ(戀)」は「こ」、「あ(會)」は「あ」、「か(顏)」は「か」と書きます。それが表音主義、すなはち發音どほりといふことでせう。それなのに、「私は」「東京へ」などの場合に限り、發音に隨はぬのは、どういふ理由からか。しかし、文句はあとまはしにしませう。

さて、この助詞「は」「へ」の項には、次のやうな附則がついてゐます。「は」「へ」は、たださう書くことを「本則」とするといふだけのことで、「わ」「え」と書いても「誤りとはしない」といふのです。「例外」にまた「例外」を認めてくれるとは、まさに寬大なる親心といふべきものでせうが、それで安心してゐるわけにはゆかない。なぜなら、助詞「は」「へ」は「わ」「え」と書いても誤りではないが、助詞「を」だけは「お」と書いては誤りとされてゐるからです。「を」は間違つても「お」と書いてはならず、「を」と書かねばならない。一體、これはどういふわけか。その理由が解りますか。それも、文句はあとまはしにしませう。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

2019年2月4日月曜日

表音的假名遣は假名遣にあらず⑥

  六


以上述べたやうに、假名遣と表音的假名遣とはその根本の性格を異にしたものであつて、假名遣に於ては假名を語を寫すものとし、表音的假名遣に於ては之を專ら音を寫すものとして取扱ふのである。語は意味があるが、個々の音には意味無く、しかも實際の言語に於ては個々の音は獨立して存するものでなく、或る意味を表はす一續きの音の構成要素としてのみ用ゐられるものであり、その上、我々が言語を用ゐるのは、その意味を他人に知らせる爲であつて、主とする所は意味に在つて音には無いのであるから、實用上、語が個々の音に對して遙に優位を占めるのは當然である。さすれば、假名のやうな、個々の音を表はす表音文字であつても、之を語を表はすものとして取扱ふのは決して不當でないばかりでなく、むしろ實用上利便を與へるものであつて、文字に書かれた語の形は、一度慣用されると、全體が一體となつてその語を表はし、その音が變化しても、文字の形は容易にかへ難いものである事は、表音文字なるラテン文字を用ゐる歐洲諸國語の例を見ても明白である。かやうな意味に於て語を基準とする假名遣は十分存在の理由をもつものである。

しかしながら、假名遣では十分明瞭に實際の發音を示し得ない場合がある故、私は、別に假名に基づく表音記號を制定して、音聲言語や文字言語の音を示す場合に使用する必要ある事を主張した事がある(昭和十五年十二月「國語と國文學」所載拙稿「國語の表音符號と假名遣」)。然るに右のやうな表音記號としては、一二の試案は作られたけれども、まだ廣く世に知られるに至らないが、表音的假名遣は、前述の如く、その實質に於て假名を以てする國語の表音記號と同樣なものであり、表音記號としてはまだ不十分な點があつても、それは必要な場合には多少の工夫を加へればもつと精密なものともなし得るものであり、その上、臨時國語調査會の案の如き、多くの發音引國語辭書に於て發音を表はす爲に用ゐられて比較的よく世間に知られてゐるものもある故、之を簡易な表音記號に代用するのも一便法であらう。但しその爲には、表音主義を徹底させて、假名遣による規定を混入した部分は全部除去する事が必須であり、又名稱も假名遣の名は不當である故、明かに表音記號と稱するか、少くとも簡易假名表記法とでも改むべきである。

表音的假名遣に於て見る如き、假名遣を否定する考は、古く我國にも全くないではなかつたが、今世間に行はれてゐる、歷史的假名遣及び表音的假名遣の名は、英語に於ける歷史的綴字法ヒストリカルスペリング及び表音的綴字法フオネテイクスペリングから出たもので、假名遣を綴字法と同樣なものと見て、かく名づけたのである。然るに綴字法は歷史的のものも表音的のものも、共に語の書き方としてのきまりであつて、かやうな點に於て、語を基準とする假名遣とは通ずる所があつても、音を基準とする表音的假名遣とは性質を異にするものといはなければならない。私は從來世間普通の稱呼に隨つて表音的假名遣をも假名遣の一種として取扱つて來たのであるが、今囘新に表音的假名遣に對する考察を試みて、その本質を明かにした次第である。

(『國語國字敎育史料總覽』、國語敎育硏究會、昭和44年)

2019年2月3日日曜日

表音的假名遣は假名遣にあらず⑤

  五


かやうに、假名遣に於ては、その發生の當初から、假名を單に音を寫すものとせずして、語を寫すものとして取扱つてゐるのである。さうして假名遣のかやうな性質は現今に至るまでかはらない事は最初に述べた所によつて明かである。然るに今の表音的假名遣は、專ら國語の音を寫すのを原則とするもので、假名を出來るだけ發音に一致させ、同じ音はいつでも同じ假名で表はし、異る音は異る假名で表はすのを根本方針とする。卽ち假名を定めるものは語ではなく音にあるのである。これは、假名の見方取扱方に於て假名遣とは根本的に違つたものである。かやうに全く性質の異るものを、同じ假名遣の名を以て呼ぶのは誠に不當であるといはなければならない。これは發生の當初から現今に至るまで一貫して變ずる事なき假名遣の本質に對する正當な認識を缺く所から起つたものと斷ぜざるを得ない。

表音的假名遣は、音を基準とし、音を寫すを原則とするものであるとすれば、一種の表音記號と見てよいものである。表音記號は、言語の音を目に見える符號によつて代表させたもので、同じ音はいつも同じ記號で、違つた音はいつも違つた記號で示すのを趣旨とする。さうして、表音記號を制定するについては、實際耳に聞える現實の音(音聲)を忠實に寫すものや、正しい音の觀念(音韻)を代表するものなど、種々の主義があり、又、ローマ字假名など旣成の文字を基礎とするものや、全然新しい符號を工夫するものなど種々の方法があるが、その中、假名に基いて國語の音韻を寫す表音記號は、その主義に於ても方法に於ても、表音的假名遣と全然合致するものである。それ故表音的假名遣はその實質に於ては一種の表音記號による國語の寫し方と見得るものであり、又それ以外にその特質は無いものである。勿論表音的假名遣は、實用を旨とするものである故、必ずしも精細に國語の音を寫さず、又その寫し方に於ても多少曖昧な所もあつて、表音記號としては不完全であるが、表音記號でも、實用を主とした簡易なものもあるのであるから、かやうな故を以て表音記號とは全然別のものであるといふ事は出來ない。しかし表音的假名遣を實際に行ひ世間通用のものとする爲には、從來の假名遣と妥協しなければ不便多く、その目的を達し難い憂がある爲に、これまで提出された表音的假名遣には、從來の假名遣に於ける用法を加味したものがある。例へば大正十三年十二月臨時國語調査會決定の假名遣改定案に於ては、助詞のハ・ヘ・ヲに限り從來の假名遣を保存した如きはその例であつて、この場合には、その音によらず、如何なる語であるかによつて假名を定めたのである。それ故、この部分だけは假名遣といふ事が出來ようが、これは二三の語のみに限つた例外的のものである。これだけが假名遣であるからといつて、全部を假名遣といふのは勿論不當である

右のやうな論に對して或はかういふ說を立てるものがあるかも知れない。

表音的假名遣は、例へば同音の假名「い」「ゐ」「ひ」に對してその中の「い」を用ゐ、「え」「ゑ」「へ」に對してその中の「え」を用ゐるなど、同音の假名がいくつかある中でその一つに一定したものであつて、假名遣に於て、同音の假名の中、この假名はどの語に用ゐるといふやうに、その假名の用法を一定したのと同樣である。それ故、これも假名遣と呼んで、差支ないではないかと。
〔引用者註〕これが正に現行の「現代假名遣」の論理なのである。
この說は當らない。表音的假名遣に於ては、いくつかの同音の假名の中、一つだけを用ゐて他は用ゐないのを原則とする(これは同じ音はいつも同じ假名で書くといふ主義からいへば當然である)。然るに假名遣では、同音の假名はすべて之を用ゐて、それぞれいかなる場合に用ゐるかをきめたのである。この事は實に兩者の間の重大な相違であつて、假名遣といふ問題の起ると起らないとの岐れるのは懸つて此處にあるのである。前にも述べた通り假名は最初から、同音の文字ならばどんな文字でもその音を表はす爲に區別なく用ゐられた。もしこの主義がいつまでも引續いて行はれたならば、「い」も「ゐ」も「ひ」も同じイ音になつてしまつた時代では、「い」「ゐ」「ひ」は同音異體の同じ假名として區別なく用ゐられ、それ等の假名の用法については何等の疑問も起らず、假名遣といふ事が問題になる事はなかつたであらう。右のやうな假名の用法は、表音的假名遣に於ける假名の用法に近いものではあるが、まだ之と全く同じではない。何となれば「い」「ゐ」「ひ」をイ音を表はす同じ假名とみとめてその中の何れを用ゐてもよいといふのは、表音的假名遣に於てイ音を表はすに「い」を用ゐて「ゐ」「ひ」を用ゐないといふのと同じくないからである。しかし、かやうな假名の用法を整理して、一つの音にはいつも同じ一つの假名を用ゐる事にすれば、イ音を表はす「い」「ゐ」「ひ」は「い」で書く事になつて、表音的假名遣と全然同一になる。かやうな整理は、普通の假名に於て、同音の變體假名を整理して唯一つのものに定めると全く同性質のもので(カ音には「か」を、キ音には「き」を用ゐて、他の變體假名を用ゐないのと同樣である)假名遣に於ける假名の取扱方とは全然別種のものである。もし、實際に於て假名の用法がこんな方向に進んだのであつたならば、今普通いふやうな意味に於ける假名遣といふ事は起らなかつたであらう。然るに事實に於ては、前述の如く「い」「ゐ」「ひ」等の假名が同音になつた後も、猶これ等の假名は文字としては別の假名と考へられてゐたのであつて、そこで、それらの假名をどう用ゐるべきかといふ疑問がおこり、こゝにはじめてこれらの假名の用法卽ち假名遣が問題になつたのである。もしこの場合に、これ等の假名はすべて同音であつて、その中の一つさへあれば音を表はすには十分である故、一つだけを殘して其他のものを廢棄したとしたならば、假名はどこまでも音を表はすものとして存續したであらう。然るに、當時に於ては、國語の音をいかなる假名によつて表はすかといふ事が問題となつたのでなく、もとから別々の假名として傳はつて來た多くの假名の中に同音のものが出來た爲、それを如何に區別して用ゐるかといふ事が問題となつたのである。それ故、同音のものを廢棄するといふやうな事は思ひも及ばなかつたであらう。卽ち假名遣は最初から同音の假名のつかひわけといふ問題がその本質をなしてゐるのであり、從つて之を定める基準としては語によらざるを得なかつたのである。さすれば、同音の他の假名を廢して、音と假名とを一致させようとする表音的假名遣は、假名遣とはその根本理念に於て非常な差異があるもので、決して之を同視する事は出來ないのである

かやうに考へて來ると假名遣と表音的假名遣とは互に相容れぬ別個の理念の上に立つものである。假名遣に於ては、違つた假名は、それぞれ違つた用途があるべきものとし、たとひ同音であつても別の假名は區別して用ゐるべきものとするに對して、表音的假名遣に於ては假名は正しく言語の音に一致すべきものとして、同音に對して一つ以上の假名の存在を許さないのである。もし同音の假名の存在を許さないとすれば、假名遣はその存立の基礎を失ひ雲散霧消する外ない。卽ち、表音的假名遣は畢竟假名遣の解消を意圖するものといふべきである。然るに之を假名遣と稱するのは、徒に人を迷はせ、假名遣に對する正當なる理解を妨げるものである

(『國語國字敎育史料總覽』、國語敎育硏究會、昭和44年)

2019年2月2日土曜日

表音的假名遣は假名遣にあらず④

  四


前にも述べた通り、萬葉假名專用時代に於ても、片假名平假名發生後に於ても、假名は音を寫す文字として用ゐられた。當時の假名の遣ひ方は、同音の文字であればどんな文字を用ゐてもよいといふ點で現代の表音的假名遣とは違つてゐるが、音を寫すといふ主義に於ては之と同一である。しかるに、もと違つた音を表はしてゐたいくつかの假名が同音となつてしまつた鎌倉時代に於て、それらの假名がやはり假名としては別々のものであり、隨つて區別して用ゐるべきものであるといふ考の下に、その用法を定めようとしたのが假名遣であるが、この場合に、その假名を定める基準たるべきものは音そのものに求める事は絕對に不可能であつて(音としてはこれらの假名は全く同一であつて、區別がないからである)、之を他に求めなければならない。そこで、新に基準として取り上げられたのが語であつて、音は言語に於ては、それぞれ違つた意味を有する語の外形として、或は外形の一部分として、常にあらはれるものである故に、その一々の語について、同音の假名の何れを用ゐるかをきめれば、一定の語には常に一定の假名が用ゐられて、假名の用法が一定するのである。かやうに假名遣に於て假名の用法を決定する基準が語であつた事は、下官集に於ても假名文字遣に於ても、各の假名の下に、之を用ゐるべき語を擧げてゐるによつても知られるが、また、源親行が父光行と共に作つた源氏の註釋書「水原抄」の中の左の文によつても了解せられる。
眞字は文字定者也。假字は文字づかひたがひぬれは義かはる事あるなり水原(河海抄卷十二梅枝「まむなのすゝみたるほどにかなはしとけなきもじこそまじるめれとて」の條に引用したものによる)
これは、「漢字は語每に用ゐる文字がきまつてゐる。假名は音に從つて書けばよいやうに思はれるけれども、その文字遣、卽ち假名遣を誤るとちがつた意味になる事がある」と解すべきであらう(源氏の原文の意味はさうではあるまいが、光行はさう解釋したと見られる)。假名遣を誤つた爲に他の意味になるといふのは、同音の假名でも違つた假名を用ゐれば、別の語となつて、誤解を來す事がある事を指していふのであつて、かやうに、假名遣を意味との關聯に於て說いてゐる事は、假名は語によつて定まるもの、卽ち假名の用法は語を基準とすると考へてゐた事を示すものである
〔引用者註〕《十世紀以前の「古典かなづかい」の時期は発音するように仮名を使う時期であった。右に述べた音韻変化の後も、使わなくなった発音にかつて対応していた仮名の使用はやめて、使っている発音にかつて対応していた仮名を残せば、「古典かなづかい」の時期と同じように、発音するように仮名を使うことができた。そうすれば、同じ原理で仮名を使っていくことができた。発音するように仮名を使うという原理を「表音的表記」と名付けておく。音韻が変化し、音韻が減ったら仮名も減らすことにすれば、音韻と仮名との一対一の対応はずっと保たれ、つねに発音するように仮名を使えばよいことになり、「表音的表記」という表記原理が継続していくことになる。しかし日本語の表記システムはそうはしなかった。選択された原理は「発音するように仮名を使う」ではなく、「かつて書いていたように仮名を使う」であった。》(今野真二『かなづかいの歴史 日本語を書くということ』、中公新書、平成26年)
今野氏の言はれる「表音的表記」卽ち「発音するように仮名を使う」やり方を「假名遣」とは呼ばないことは國語學に於いて一貫した見解のやうである。何故なら、音韻が變化した後も「かつて書いていたように仮名を使う」爲に同音異體の假名の遣ひ分けを學ぶ必要が生じて初めて「假名遣」が人々の觀念に上つてきたからである。今野氏は終始「古典かなづかい」期は音韻と假名が一對一で對應してゐたと書いてをられるが、これは先にも指摘したやうに事實と異なるのである。古典假名遣の時代、卽ち表音的表記の時代にも「同音の文字であればどんな文字を用ゐてもよ」かつたのであり(=變體假名)、明治以降の表音主義者の主張するが如き「一音一字」の狀態は嘗て存在したことがなかつたといふのが歷史的事實なのである。平安朝初期のア行とヤ行の[エ]の違ひがなくなつた時に「使わなくなった発音にかつて対応していた仮名の使用はやめ」ずに𛀁を[エ]を表す假名グループに包攝してしまつたことからもさう言へるし、が問題となつた時でさへ夫々どちらかの使用をやめようとはしなかつた事實からも亦さう言ふことができるのである。不要な假名を廢して「一音一字」に統一しようなどといふ思想は、古來わが國語の世界には存在した例しがないのであり、謂はば「一音多字」の狀態が一貫した自然なあり方だと謂ふべきなのである
それでは、假名遣に於けるかやうな主義は定家などが全く新しく考へ出したものかといふに、必ずしもさうであるまいと思はれる。全體、當時の假名遣が、何を據り所として定められたかについては、假名文字遣は何事をも語つてゐないが、下官集には、「見舊草子見之」とあつて、假名文學の古寫本に基づいてゐる事を示してゐる。古寫本といつても何時代のものか明かに知る由もないが、平安朝中期以後、國語の音變化の結果として、もと區別のあつた二つ以上の音が同音となり、之をあらはした別の假名が同音に讀まれるやうになつたが、音と文字とは別のものである故、かやうに音がかはつた後も、假名(ことに假名ばかりで書く平假名)はもとのものを用ゐる傾向が顯著であつて、時としては同音の他の假名を用ゐる事があつても、大體に於て古い時代の書き方が保存せられてゐた時代がかなり永くつゞいたものと考へられる。しかるに時代が下つて鎌倉時代に入ると、その實際の發音が同じである爲、同音の假名を混じ用ゐる事が多くなり、同じ語が人によつて違つた假名で書かれて統一のない場合が少くなかつたので、古寫本に親しんだ定家は、前代にくらべて當時の假名の用法の混亂甚しきを見て、これが統一を期して假名遣を定めようとしたものと思はれる。

さて、右の如く、もと異音の假名が同音になつた後も、なほ書いた形としてはもとの假名が保存せられて、他の同音の假名を用ゐる事が稀であつたのは、何に基づくのであらうか。これは、もと違つてゐた音が、同音になつた後にもなほ記憶せられてゐた爲とはどうしても考へられない。旣に音韻變化が生じてしまつた後にはもとの音は全然忘れられてしまふのが一般の例であるからである。これは、古寫本の殘存又はその轉寫本の存在などによつて假名で寫した語の古い時代の形が之を讀む人の記憶にとゞまつてゐた爲であるとしか考へられない。卽ち、古く假名で書いた或語の形は、後に同音になつた假名でも、その中の或一つのものに定まつてゐた爲、その語とその假名との間に離れがたき聯關を生じて、自分が新に書く場合にも、その語にはその假名を用ゐるといふ慣習がかなり强かつたのであると解すべきであらう。さすれば、明瞭な自覺はなかつたにせよ、旣にその時分から、語によつて假名がきまるといふ傾向があつたとしなければならないのである

一般に文字を以て言語を寫す場合に、いかなる語であるかに從つて(たとひ同音の語でも意味の異るに從つて)之に用ゐる文字がきまるのは決して珍らしい事ではなく、表意文字たる漢字に於てはむしろその方が正しい用法である。漢語を表はす場合は勿論のこと(同じコーの音でも、「工」「幸」「甲」「功」「江」「行」「孝」「效」「候」など)漢字を以て純粹の國語を表はす場合にもさうである。(「皮」と「河」、「橋」と「箸」、「琴」と「事」と「言」など)唯、漢字を假りて國語の音を表はす場合(萬葉假名)はさうでなく、同じ語を種々の違つた文字で表はす事上述の如くであるが、この場合には漢字が語を表はさず音を表はすからであつて、しかも、さういふ場合にも、或特殊の語(地名、姓、人名など)に於ては語によつて之を表はす文字が一定する傾向があつた事、これも上に述べた通りである。假名の場合は漢字とは多少趣を異にし、同音の假名は、文字としては違つたものであつても同じ假名と見做す故、同じ語をあらはす文字の形は必しも常に一定したものではないけれども、或語のオ音には常に「を」(又は之と同じ假名))を用ゐて、「お」又は「ほ」の假名(又はそれらと同じ假名)を用ゐないといふ事になれば、その語と「を」(及び之と同じ假名)との間には密接な關係を生じて、その假名でなければ直にその語と認めるに困難を感じ、又は他の語と誤解するやうになるのは自然である。

かやうに一方に於て漢字が語によつて定まるといふ事實があり、又一方に於て、假名で書く場合にも、同音でありながら違つたものと認められた假名は、語によつてその何れか一つを用ゐる傾向があつたとすれば、新に假名遣の問題が起り、かやうな同音の假名の用法の制定が企てられた場合に、語を基準とするのは最自然なことといはなければならない(音を基準にしようとしても不可能な事は前述の通りである)。

以上述べ來つた如き事情と理由とによつて、假名遣といふものは、それが問題となつた當初から、問題の假名を、語を表はすものとして取扱つて來たのであり、その場合に假名を定める基準となつたものは、單にどんな音を表はすかでなく、更にそれより一步を進めた、どんな語を表はすかに在つたのである

かやうにして、萬葉假名の時代から平假名片假名發生後に至るまで、純粹に音をあらはす文字としてのみ用ゐられて來た假名は、少くとも假名遣といふ事が起つてからは、單なる音を表はす文字としてでなく、語を表はす文字として用ゐられ、明かにその性格を變じたのである。(但し、この時からはじめて語を表はす文字となつたか、又はもつと前からさうなつてゐたかは問題であつて、前に述べた所によれば、少くとも假名遣に關係ある問題の假名については以前よりそんな傾向はあつたとするのが妥當なやうであり、その他の假名については明瞭な證據が無いからわからないが、やはりそんな性質のものと考へられるやうになつてゐたかも知れない。同じ音の假名ならどんな假名を用ゐてもよいからといつて、それ故、音を表はすだけのものであると速斷するのは危險である。何となれば、萬葉假名の時代と違つて「天地」の詞や「伊呂波」のやうなものが行はれてゐた時代には、それの中に現れた假名だけが代表的のものと認められ、これと違つた假名は今の變體假名と同じく、代表的の假名と全く同樣なものと考へられ、從つて、假名で書いた語は、たとひ假名としての形は違つてゐても、或一定の假名で書かれてゐると考へた事もあり得べきであるからである)。

(『國語國字敎育史料總覽』、國語敎育硏究會、昭和44年)

2019年2月1日金曜日

表音的假名遣は假名遣にあらず③

  三


然るに鎌倉時代に入ると、はじめて假名遣といふことが問題になつたのである。假名文字遣の最初にある行阿(源知行。吉野時代の人)の序によれば、假名遣の濫觴は行阿の祖父源親行が書いて藤原定家の合意を得たものであるといつてをり、藤原定家の作らしく思はれる下官集の中にも假名遣に關する個條があつて、先達の間にも沙汰するものが無かつたのを、私見によつて之を定めた由が見えてゐるのであつて、鎌倉初期に定家などがはじめて之を問題として取り上げて、假名遣を定めたものと考へられる

この假名遣は、「を」と「お」、「ゐ」と「い」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」の如き同音の假名の用ゐ方に關するものであつて、それらの假名をいかなる語に於て用ゐるかを示してをり、今日いふ所の假名遣と全然同じ性質のものである

この時代になつてどうして假名遣の問題が起つたかといふに、それは平安中期以後の國語の音の變化によつて、もと互に異る音を表はしてゐたこれらの假名が同音に歸した爲である事は言ふまでもない。しかし、以前の如く、同音の假名は區別なく用ゐるといふ主義が守られてゐたならば、これ等の假名が同音に歸した以上は、「を」でも「お」でも、又「い」でも「ゐ」でも「ひ」でも同じやうに用ゐた筈であつて、之を違つた假名として、區別して用ゐるといふ考が起るべき理由はないのである。もつとも、「を」と「お」、「い」と「ゐ」と「ひ」はそれぞれ違つた文字であるけれども、當時、一般にどんな假名にも同音の假名としていろいろの違つた文字(異體の假名)があつて、區別なく用ゐられてゐたのである故、これらの假名も同音になつた以上は同音の假名として用ゐて差支なかつた筈である。然るにこれらの假名に限つて、同音になつた後も假名としては互に違つたものと考へられたのは、特別の理由がなければならない。私は、この理由を當時一般に行はれてゐた「伊呂波歌」に求むべきだと考へる。卽ち、これらは、伊呂波歌に於て別の假名として敎へられてゐた爲に、最初から別の假名だと考へられ、それが同音になつた後もさうした考はかはらなかつたので、同音に對して二つ以上の違つた假名がある事となり、それ等の假名を如何なる場合に用ゐるかが問題となつて、こゝに假名遣といふ事が生じたものと思はれる
〔引用者註〕《「ハ行転呼音現象」が起こったのと同じ西暦一〇〇〇年頃、ア行の「オ」とワ行の「ヲ」とが一つになった。また、一一〇〇年頃にはア行の「イ」とワ行の「ヰ」とが一つになり、同じ頃、さらにア行の「エ」とワ行の「ヱ」とが一つになったと考えられている。こうして、日本語で使っている音は四十七から三つ減って、四十四になった。
この時に、「お・を」「い・ゐ」「え・ゑ」のどちらかの仮名を使うことをやめて、「お・い・え」のみを使うとか、「を・ゐ・ゑ」のみを使うということにすれば、音韻と仮名との一対一の対応は保たれる。そうすることもできなくはなかったが、そうはしなかった。「できなくはなかった」「そうはしなかった」と表現すると、意思をもった人間が関与しているように感じられてしまうかもしれないが、そういうことではなくて、日本語の表記システムがそういう選択をしなかったということである。》(今野真二『かなづかいの歴史 日本語を書くということ』、中公新書、平成26年)
今野氏の言はれる「日本語の表記システムがそういう選択をしなかった」ではやはり說明としては充分ではないのである。
《「ワラハ」と発音する語を「わらは」と書く場合は、仮名の使い方に迷うことはない。自分が発音しているとおりに仮名を使えばよい。仮名は日本語を書く文字としてうまれてきた。だから、「ア」と発音する音節(母音を中心とした発音のひとまとまり)があって、それにあてる仮名「あ・ア」がある。「カ」と発音する音節があって、それにあたる仮名「か・カ」があるというように、日本語で使っている音=音韻と一対一の対応を形成していた。仮名の使い方に迷わないのだから、「かなづかい」ということそのものがなかった。……それで、「かなづかい」という現象がなかった時期、つまり十世紀以前の仮名の使い方を「古典かなづかい」と呼ぶことにしたい。「古典かなづかい」とは、音韻と仮名とが一対一の対応を保っていた時期における仮名の使い方のことを指す。》(今野真二『かなづかいの歴史 日本語を書くということ』、中公新書、平成26年)
この今野氏の指摘する「古典かなづかい」の時代、卽ち假名遣が問題にならなかつた時代には、自分が話す音をそのまま假名で寫せばよかつた、といふのはその通りであらう。つまり表音主義の時代だつたと謂へなくもないのであるが、但しその表音主義とは、音と文字とが一對一の關係ではなく、橋本博士が何度も觸れられてゐる如く、萬葉假名の時代から變らず一對多の關係なのである。だからこそ前章で見たやうに、ア行とヤ行の[エ]が合流して一つになつた時には、ア行の[エ]を表す假名グループに「𛀁」を包攝することで、一對多の關係のまま表音主義も崩れることなく自然に矛盾が解消されたのである。ところが、オとヲ、イとヰ、エとヱがそれぞれ一つの音になつた時には、我々の祖先はこれらの區別をどうするかと惱んだのである。平安朝初期の時とでは、對應の仕方が異なるのである。そこで橋本博士は、何かそれまでになかつた特別な原因がないと之は說明がつかないといふことで「伊呂波歌」の存在を指摘せられたのである。

(『國語國字敎育史料總覽』、國語敎育硏究會、昭和44年)