2019年2月5日火曜日

「現代かなづかい」の不合理――1「現代かなづかい」の實態①表音主義の原則

一 「現代かなづかい」の實態


昭和三十一年の春、文藝家協會が「現代かなづかい」と「当用漢字」について、その意見を會員に求めたことがあります。その項目の一つに「現代かなづかいの內容についてどう思ふか」といふのがあり、囘答者百五十四名中、「全面的に支持」が二十五人、「全面的に反對」が二十一人、「舊かなづかひ改訂の趣旨には基本的に贊成だが、內容と適用には檢討の餘地がある」といふのが百六人、「その他」が二人となつてゐます。このうち「全面的に支持」といふのは、原則や目的についての支持を積極的に强調しただけのことで、その細部については「內容と適用には檢討の餘地がある」とした百六人とさう違ふはずはありますまい。なぜなら、當事者である國語審議會や文部省にしたところで、現狀をそのまま「全面的に支持」してゐるわけではないからです。すなはち、どんな案を持ちだしたところで、かういふ問題に「全面的に支持」などありえぬ、さういふことを前提とした上で、「全面的に支持」と答へたのに相違ありません。したがつて、百五十四人中百三十一人が「舊かなづかひ改訂の趣旨には基本的に贊成」といふことになります。

そこで私は一つの疑問をもつ。多くの人〻が「基本的には贊成」としてゐる「舊かなづかひ改訂の趣旨」とは何かといふことです。それがどういふものであるか、彼等ははつきり諒解してゐるのでせうか。その「趣旨」ないしはそれを成りたたせるための原則について、彼等と國語改良論者との間に、どこか話の食ひちがひがありはしないか。私はさういふ疑ひをもつのです。さらに、私は疑ふ、もし彼等の側に誤解があるとすれば、國語改良論者はその彼等の誤解をこそ、むしろ德とすべき事情がありはしないかと。これは單なる私の勘ぐりではありますまい。その誤解は、そもそも協會側が質問箇條として右のやうな一項目を設けたことのうちに示されてゐると言へませう。私に言はせれば、この問ひそのものが矛盾を含んでゐる。「現代かなづかい」について、その內容の具體的な細部に疑問をいだきながら、同時に一方ではその「趣旨」や原則を「基本的に」受け入れるなどといふことは、一見もつともらしい現實論であるかのやうでゐて、じつは全く不可能なことなのです。なぜなら、その內容の細部に現れたうべなひがたい矛盾は、いづれもその「趣旨」が無理であることから、またその原則それ自身に內在する矛盾から生じたものにほかならないからであります。

「現代かなづかい」のいはゆる內容、すなはちその細部を檢討するまへに、それがいかなる原則によつてゐるかをあらかじめ知つておかねばなりません。文部省國語課の廣田榮太郞氏は國語審議會の意を受けて、次のやうに書いてをります。
現代かなづかいは、より所を現代の発音に求め、だいたい現代の標準的発音(厳密にいえば音韻)をかなで書き表わす場合の準則である。その根本方針ないし原則は、表音主義である。同じ発音はいつも同じかなで書き表わし、また、一つのかなはいつも同じ読み方をする、ことばをかえていえば、一音一字、一字一音を原則としている。(かなづかひ原文のまま。以下同樣)
この原則については、なほ徹底的な考察を要しますが、それは本章の二に讓ることにして、この一音一字、一字一音の表音主義といふ原則がそのまま適用できぬ例外のあることを、まづ私たちは知らなければならない。それらを一つ一つ克明に檢討してゆきませう。

第一の例外は、助詞の「は」「へ」「を」であります。表音主義を原則とするなら、「私」「東京」「水」と書くのはをかしい。どうしても「私」「東京」「水」と書かねばならぬはずだ。さもないと、「は」「へ」は文字どほりに「ハ」「ヘ」と發音する場合と、「ワ」「エ」と發音する場合と二通りになつてしまふ。それでは一字一音ではなくて、一字二音です。また、「オ」の音に「を」を用ゐなければならぬとすると、同じ「オ」の音に「お」の字があり、したがつて一音一字ではなくて、一音二字になつてしまひます。もちろんそのほかの場合は、たとへば、舊「にとり(鷄)」「かる(代)」も「にとり」「かる」と書くことになつてをり、舊「かる(歸)」「たとば」も「かる」「たとば」となつてゐる。「は」「へ」だけでなく、すべての「は行」音がさうなつてゐて、「こ(戀)」は「こ」、「あ(會)」は「あ」、「か(顏)」は「か」と書きます。それが表音主義、すなはち發音どほりといふことでせう。それなのに、「私は」「東京へ」などの場合に限り、發音に隨はぬのは、どういふ理由からか。しかし、文句はあとまはしにしませう。

さて、この助詞「は」「へ」の項には、次のやうな附則がついてゐます。「は」「へ」は、たださう書くことを「本則」とするといふだけのことで、「わ」「え」と書いても「誤りとはしない」といふのです。「例外」にまた「例外」を認めてくれるとは、まさに寬大なる親心といふべきものでせうが、それで安心してゐるわけにはゆかない。なぜなら、助詞「は」「へ」は「わ」「え」と書いても誤りではないが、助詞「を」だけは「お」と書いては誤りとされてゐるからです。「を」は間違つても「お」と書いてはならず、「を」と書かねばならない。一體、これはどういふわけか。その理由が解りますか。それも、文句はあとまはしにしませう。

(福田恆存『私の國語敎室』、文春文庫、平成14年)

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