2015年1月14日水曜日

パトリオティズム=祖国愛



藤原正彦『祖国とは国語』(平成15年4月、p.90)より
 最近出席した二つの審議会で、愛国心が問題となった。重要性を主張する委員たちと危険性を憂慮する委員たちの間に、深いみぞが見られた。一般の意見も二分されるのだろう。祖国を愛すべきかで国論が割れる様は、おそらく世界に類例がなく、外から見れば喜劇であり、内から見れば悲劇である。
 英語で愛国心にあたるものに、ナショナリズムパトリオティズムがあるが、二つはまったく異なる。ナショナリズムとは通常、他国を押しのけてでも自国の国益を追求する姿勢である。私はこれを国益主義と表現する。
 パトリオティズムの方は、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもち、またそれらをこよなく愛する精神である。私はこれを祖国愛と表現する。家族愛、郷土愛の延長にあたるものである。
 英米人が「彼はナショナリストだ」と言ったら批判である。一方「あなたはパトリオットですか」と英米人に尋ねたら、怪訝けげんな顔をされるか、怒鳴られるだろう。「あなたは正直者ですか」と尋ねるようなものだからである。
 我が国では明治の頃から、この二つを愛国心という一つの言葉でくくってきた。江戸時代まで、祖国を意識することはさほどなかったから、明治の人々もそういうことに大雑把おおざつぱだったのだろう。これが不幸の始まりだった。愛国心の掛け声で列強との利権争奪に加わり、ついには破滅に至るまで狂奔したのだった。
 戦後は一転し、愛国心こそ軍国主義の生みの親とあっさり捨てられた。かくしてその一部分である祖国愛も運命を共にしたのである。心棒をなくした国家が半世紀たつとどうなるか、が今日の日本である。言語がいかに決定的かを示す好例でもある。
 祖国愛はどの国の国民にとっても絶対不可欠の精神である。正直や誠実などと同じ倫理であり、これなくしてどんな主張も空虚である。これは宗教と無関係である。偉大なるキリスト者であり祖国愛の人でもある内村鑑三は「二つのJ」を愛すと言った。キリスト(JESUS)と日本(JAPAN)である。戦争とも無関係である。日露戦争を支持する圧倒的世論に抗し、断固反対したのもまた内村だった。日露戦争に勝てば、そのおごりがより大きな戦争へ祖国を導く、という理由だった。その通りになった。
 一方、国益主義は一般人にとって不必要なばかりか危険でもある。良識ある人の嫌悪けんおすべきものと言ってよい。ただし外国と折衝する政治家や官僚はこれをもたねばならない必要悪である。他国のそういった人々がそれに凝り固まっているからである。イラク問題で発言する、イラク、米英、独仏中露などの首脳の腹にあるのは、露骨な国益追求のみである。よくぞ臆面おくめんもなくあのような美辞麗句を、とあきれるほどの厚顔無恥である。このような人々に対処し、平和、安全、繁栄を確保するには、こちらにも国益を貫く強い意思が必要である。
 指導層が国益を追うのは当然だが、追い過ぎると、肝心の祖国を傷つける。戦前のように祖国を壊しさえする。国益主義は暴走し、国益を守るに足る祖国そのものを台無しにしやすいから、それを担ぐ指導層は、それが祖国の品格を傷つけぬよう節度をもつ必要がある。国民がそれを冷静に監視すべきことは言うまでもない。
 祖国愛という視座を欠いた言説や行為は、どんなものも無意味である。これの薄弱な左翼や右翼は、日本より日中関係や日米関係を大事にする。これの薄弱な政治家やエコノミストや財界人は、軽々しくグローバリズムに乗ったり、市場原理などという歴史的誤りに浮かれたりして、祖国の経済ばかりか、文化、伝統、自然を損なって恥じない。これの薄弱な教師や父母は、地球市民などという、世界のどこでも相手にされない根無し草を作ろうとする。これの薄弱な文部官僚は、小学校の国語や算数を減らし英語やパソコンを導入する。
 情報化とともに世界の一様化が進んでいる。ボーダーレス社会とはやされる。各国、各民族、各地方に美しく開花した文化や伝統の花は、確固たる祖国愛や郷土愛なしには風前の灯である。この地球をチューリップ一色にしてはいけない。一面の菜の花も野に咲く一輪のすみれもあって地球は美しい。世界の人々の郷土愛、祖国愛こそが美しい地球を守る。
 愛国心という言葉がまったく異質な二つのものを含んでいたことで、この一世紀、我が国はいかに巨大な損失をこうむったことか。戦後はそのおかげで祖国愛まで失った。現在、我が国の直面する困難の大半は、祖国愛の欠如に帰因すると言ってよいだろう。祖国愛と国益主義を峻別しゅんべつし、すべての子供にゆるぎない祖国愛をはぐくむことは、国家再生の急所と考える。

入 浴 時 報ニューヨークタイムス』などが「安倍晋三はナショナリストだ」といふ時は、「奴は国益主義者、排外主義者だ」と非難してゐる、と云はれる意味がやつと解つた気がします。しかしこの文章からすれば、どの国の政治家も国益主義者であることに変はりはない筈なので、『入浴』等が殊更に安倍晋三だけを叩かうとするのには、もつと別の深い意味があると考へねばなりません。



改めて辞書(『ハイブリッド新辞林』、三省堂、1998年)を引いてみますと、

  • パトリオティズム【patriotism】 愛国主義。

やはり「愛国」としか出てきませんでした。たゞヒントになりさうなのは、

  • パトリズム【patrism】 父親を手本とする行動規範。父親第一主義。

「パトリ」は英語の「father」、独語の「vater」、伊語の「padre」等の語源、「父」といふ意味らしい。つまり「パトリオティズム」とは、何か行動を起こす時に先づ第一に「父祖」を手本にする事、即ち長い歴史をもつ伝統を重んじる事がその原義なのでせう。


因みに同辞書の同じ頁には
【鳩山威一郎】(1918―1993)政治家。東京出身。東大卒。一郎の子……
【鳩山一郎】(1883―1959)政治家。東京生まれ。東大卒。和夫の長男……
【鳩山和夫】(1856―1911)政治家・弁護士。美作(みまさか)の人。東大教授。一郎の父……
【鳩山春子】(1863―1938)明治・大正・昭和期の教育者。長野県生まれ。東京女子師範卒。和夫の妻……
と、鳩山家の人々が載つてゐます。さすが、みな父親に習つて東大を卒業してゐる、素晴らしいパトリオティズムだ。由紀夫も将来同じ頁に載れば親子4代見事なパトリオティズムとなります。
【鳩山由紀夫】(1947―2015)政治家。宇宙出身。東大卒。一郎の孫、威一郎の長男。弟の邦夫と全然似ていない。「最低でも県外」「トラスト・ミー」「日本列島は日本人だけのものじゃない」など数々の迷言を遺した末、北京で歿……
絶対に笑つてはいけない

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