2017年2月8日水曜日

神勅と皇孫の降臨

天照大御神は、「和魂にぎみたま」(平和の心)の神であらせられると共に「荒魂あらみたま」(戦闘の心)の神であらせられ、発展向上の精神と調和統一の精神とを合せ持つておいでになつて、その宏大無辺の大御心で国家創成の大事業を益々繁栄せしめ、発展せしめるために、こゝに皇孫を降臨せしめられ、有名な神勅を下し給ひ、それによつて君臣の大道を定め、我が国の祭祀と政治と教育に就ての根本を確立し給ふたので、我が大日本帝国の國體の基礎はこゝに出来上つたのであります。我が國體はかくの如き意味深い肇国の事実に始まつて、天地と共に亡びることなく成長発展するものであつて、万国に比類ないところの万世一系の 天皇を奉戴する國體の盛観は、すでにこの神勅の中に示されてゐるのであります。

て、天照大御神は皇孫瓊瓊杵尊ににぎのみことを降し給ふに先立つて、御弟素戔鳴尊すさのをのみことの御子孫であらせられる大国主神おほくにぬしのかみを中心とする出雲の神々が大命をかしこんで恭順せられたのであります。このことを今すこしくはしく説明して置きませう。

御姉君おんあねぎみ天照大御神の平和を好み給ふ御心に反対して、非常に争闘心の強かつた素戔鳴尊はとかく乱暴がすぎて、そのために大御神は天の岩戸に身をかくし給ひ世の中が暗黒になつたやうなこともありましたが、遂に八百万の神々から高天原たかまのはらを追ひ出され給ひ、その後、素戔鳴尊は出雲にお降りになつて、の川上で哀れな老夫婦のために高志こし八俣大蛇やまたのをろちを退治なされ、老夫婦の娘の櫛名田比売命くしなだひめのみことを妃として出雲の須賀といふところに宮居みやゐを作られ、御夫婦でお住ひになりました。その時お詠みになつたのが有名な
八雲やくも起つ 出雲八重垣やへがき 夫妻隠つまごみに 八重垣造る その八重垣を
といふ歌であります。

この素戔鳴尊の御子孫に大国主神(大国主命)といふ方があります。例の因幡いなばの兎をお助けになつたことで小学生にも知られてゐる有名なお方です。「古事記」には素戔鳴尊六世の子孫とあり、「日本書紀」には素戔鳴尊の御子とあります。どちらが正しいのか、そんなことをこゝで詮索する必要はありません。かく、この大国主神は大変偉いお方で、仲の悪い御兄弟の八十神からいろいろの迫害のあつたにも拘らず、忽ちのうちに出雲地方を平定して国土の経営につとめられたのであります。

当時、高天原では、天照大御神及び高木神(高御産巣日神たかみむすびのかみ)の命を受けて、天菩比神あめのほひのかみといふ方が出雲に降つておいでになりましたが、強大なる大国主神の勢力になびき、三年間も出雲に留まつたまゝ高天原に帰つておいでになりません。つゞいて出雲へお降りになつた天若日子あめのわかひこも大国主神の御女おんむすめ下照比売命したてるひめのみことを妻として、八年たつてもお戻りにならず、高天原への消息が全く消えました。そこで、今度は雉名鳴女きゞしななきめを遣はされましたところ、雉は天若日子の射た矢のために殺されてしまひました。かくして、天之安河原あまのやすがはらで出雲へ遣はすべき適任者に就て大会議が開かれ、その結果選ばれたのが建御雷神たけみかづちのかみであります。

建御雷神は、布都魂剣ふつのみたまのつるぎ(経津霊剣とも書く)を提げ、天鳥船神あめのとりふねのかみを従へ、高天原を出発して、出雲の伊那佐之いなさの小濱をばまに降り、波の上に剣をさかさに突き立てゝ、剣先にあぐらをかきながら、大国主神に向つて談判をなされました。
「自分は天照大御神と高木神(高御産巣日神)との命を奉じて来たのであるが、御身の支配してゐる葦原あしはらの中国なかつくには、大御神の御子が当然統治せらるべき国である。それについて御身はどう考へられるか」
と問はれました。すると、大国主神はその返答を御子の事代主神ことしろぬしのかみに譲られました。事代主神は大御神の御旨をたゞちに受容うけいれて、「謹んでこの国土を天孫に献上いたしませう」と答へた。ところが、大国主神のもう一人の御子建御名方神たけみなかたのかみは国土献上のことを手強く反対して、「誰だ、俺の国へ来てこそこそと内証話ないしようばなしをしてゐる奴は」と咎め、「さあ力くらべをしよう」と千引の岩を手先に捧げ、建御雷神に向つて戦ひを挑んで来られました。

さて力競べをなさると、建御雷神は非常に強く、建御名方神は大いにおそれて逃げ出されました。どんどん逃げて科野国しなぬのくに(信濃国)の洲羽海すはのうみ(諏訪湖)の在るところまで逃げて行かれました。建御雷神がそこまで追ひつめて行かれますと、「どうか助けてくれ、私は父神や兄神の仰せの通りにする。そして共に皇室のお守りをする」と建御名方神は誓はれました。信濃の官幣大社諏訪神社はこの方を祭神としてゐます。建御雷神はそこで出雲へ引返して来られて、もう一度大国主神に念を押されますと、大国主神は、
「たしかにこの国土は天照大御神の御子に奉ります。たゞ私の住居すまゐを立派に建てゝ下さるならば、私は遠い黄泉国よもつくににかくれてをりませう。また、私の多くの子達も、決して一人もこれに不服を申す者はありますまい」
と仰せになつて、隠退し給ひました。申すまでもなく、出雲の大社の祭神は、この大国主神を祭神とするのであります。かくして、つゝがなく使命を果された建御雷神は高天原に帰つて、そのことを天照大御神に報告なされたのであります。

こゝに於て、皇孫瓊瓊杵尊は豊葦原とよあしはら瑞穂国みづほのくにに降臨遊ばされることになりました。そして、この皇孫降臨に際して天照大御神は有名な天壌てんじやう無窮むきうの神勅を授け給ふたのであります。
豊葦原の千五百秋ちいほあきの瑞穂の国は、是れ吾が子孫うみのこきみたるべきくになり。宜しくいまし皇孫すめみまきてしらせ。行矣さきくませ宝祚あまつひつぎさかえまさむこと、まさ天壌あめつちきはまりなかるべし。
謹んでこの神勅の意味を説明すれば、日本の国はまさしく我が子孫のものが君主たるべき土地であるから、御身が行つてこれを統治しなさい、皇位の盛んなることは、天地と共に弥栄いやさかえるであらうといふのであります。

我が國體の神髄は、申すまでもなく万世一系の 天皇を戴き奉ることでありますが、その根拠はこの神勅にありまして、皇統の一系は神勅によつて定まり、厳たる君臣の道は神勅によつて示されてゐるのであります。かくて、我が日本帝国の基礎は実にこの神勅によつて築かれ、肇国の大精神は皇孫の降臨によつて万代不変の我が帝国に実現せられたのであります。

だが、こゝでちよつと注意しなければならないのは、すでに二三の学者によつて述べられてゐますやうに、この神勅の渙発は日本帝国の創成を語るものでなく、又、この神勅によつて我が國體が定まつたといふわけでもないので、我が国はこれ以前にすでに肇まつてゐたのでありますし、我が國體にしてもすでに神勅に掲げられるやうな事実は厳として存在してゐたのであります。それで、この事実の上に神勅が発せられたといふことは、これによつて、日本の國體を宣言せられ、確立せられたと見るべきであらうと思ひます。と云つて、神勅の尊厳はすこしも減じるものでありません。否、それだから神勅の尊厳は益々加はるのであります。それは、神勅によつて日本の國體が突如として作られたのではなく、あるがまゝの事実を宣言せられたのでありますから、これほど自然であり、確実であり、公正であることはないと云へるのであります。

さて、皇孫瓊瓊杵尊の降臨に際して、天照大御神の三種の神器(この三種の神器に就ては後にくはしい説明が出てゐます)をお授けになつたのでありますが、特に御鏡をお授けになる場合の神勅(これを神鏡奉斎の神勅といふ)には、
此れの鏡は、専ら我が御魂みたまとして、吾がみまへいつくがごと、いつきまつれ。
とあります。即ち、「この鏡をわが御魂として自分を拝むやうに拝めよ」と仰せられてゐるのであります。抑も御鏡は天照大御神の崇高なる御霊魂として皇孫に授けられ、御歴代の 天皇がこれを承け継ぎ給ふのであります。御歴代の 天皇がこの御鏡を承けさせ給ふことは、常に皇祖天照大御神と共にあらせられようといふ、まことに意味深い御心であります。されば、天照大御神の崇高なる御霊魂はこの御鏡と共に今になほましますのであります。天皇は、それで、この神勅の御旨に従ひ、常に御鏡を皇祖として拝し給ひ、大御神の御心を御心とし、大御神と御一体とならせたまふのであります。こゝに我が国に於ける神を敬ひ祖先を崇拝する――敬神けいしん崇祖すうその根本の意味がうかゞはれるのであります。

又、この神勅に次いで、
思金神おもひかねのかみは、みまへの事を取り持ちてまつりごとせよ。
と仰せられてゐるのでありますが、この詔の意味は、思金神が天照大御神の詔に従つて、常に御前の事を取り持ちて行ふべきことを明示し給ふたものであります。なほくはしく説明すれば、大御神の御子孫として現御神あきつみかみであらせられる 天皇と、天皇の御命令によつて我が国の政治を取り行ふものとの関係をはつきりと御示し遊ばされたものであります。即ち、我が国の政治は、いはゆる祭政一致であつて、上は皇祖皇宗の御神霊を祀り、同時に現御神として下万民を率ゐ給ふ 天皇の統治せられるところであります。されば、祭政の事に当るものは天皇の御心をよく奉戴して、至誠まことを以て 天皇を輔佐おたすけしなければならないのであります。かくの如く、我が国の政治は、極めて神聖なる事業であつて、決して勢力のある一方面のものが勝手に行ふべきものではないのであります。

こゝに於て、本書は、天皇の御本質を明らかにし、我が國體の精神をなほ一層はつきりさせるために、神勅の中にうかゞはれる天壌無窮、万世一系の皇位、三種の神器等についてその意義を悉しく説明されてゐるのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)

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