2017年2月10日金曜日

三種の神器のこと

我が国には、皇位の御しるしとして三種の神器があります。本文はこの三種の神器に就ての説明であります。

「日本書紀」に、「天照大御神は天津あまつ彦彦火ひこひこほの瓊瓊杵尊ににぎのみこと八坂瓊曲玉やさかにのまがたま及び八咫鏡やたのかゞみ草薙剣くさなぎのつるぎの三種の宝物をお授けになつた」とあります。即ち、天孫瓊瓊杵尊が大御神の御命令に従つて、日本の国(豊葦原とよあしはらの瑞穂国)を統治するために高天原たかまのはらをお降りになるとき、大御神からかの神勅と共に賜はつたのがこの三種の神器であります。この時の様子は、「古事記」に次のやうに書かれてあります。

瓊瓊杵尊が高天原からお降りになされる途中、天之八衢あめのやちまた(四通八達の要路を云ふ)に一人の神が立つてゐられた。その神の有様は、上は高天原を照し、下は葦原中国あしはらのなかつくに(日本国のこと)を照すといふ、まことに威風堂々たるものであつた。そこで、女神であるが、しつかりとした天宇受売命あめのうづめのみことを遣はして「何人なんぴとであるか」と問はしめられた。すると、その神は、「自分は国神くにつかみで、名は猿田毘古神さるたびこのかみといふものです。天神あまつかみの御子がお降り遊ばされると承つたので、道を御案内するためにお迎へに参つたのです」と云はれた。かくて、こゝに天児屋命あめのこやねのみこと布刀玉命ふとだまのみこと、天宇受売命、伊斯許理度売命いしこりどめのみこと玉祖命たまのおやのみこと五伴緒神いつとものをのかみを初め、多くの神々が御伴して天降られた。またこの時、神勅と共に三種の神器をお受けになつた。

三種の神器といふのは、八坂瓊曲玉、八咫鏡、天叢雲剣あめのむらくものつるぎ(草薙剣)であります。曲玉と鏡とは天の岩屋の前に於て捧げられたものであります。また、剣は素戔鳴尊が出雲のの川上で高志こしの八俣太蛇を退治なされたとき、その尾より得て、天照大御神に献上されたものであります。最初天叢雲剣と云つたのですが、その後、日本武尊が賊徒のために焼打なされようとされたとき、この宝剣を以て草を薙ぎ払ひ、難をまぬがれ給ふたので、それより草薙剣と申すやうになつたのであります。

皇祖は皇孫の降臨に際して特にこれを授け給ひ、それから後、神器はひきつゞき代々よゝ相伝へ給ふ皇位の御しるしとなつたのであります。従つて、歴代の 天皇は皇位をお承け継ぎになる際には必ずこれを承けさせ給ひ、天照大御神の大御心をそのまゝ伝へさせられ、殊に神鏡は皇祖の御霊代みたましろとして奉斎したまふので、このことは前に神鏡奉斎の神勅のところで説明された通りであります。

畏くも、今上天皇陛下〔註 昭和天皇の御事〕御即位式の勅語には、
朕祖宗ノ威霊ニツツシミテ大統ヲ承ケ恭シク神器ヲ奉シココニ即位ノ礼ヲ行ヒアキラカナンヂ有衆ニ
と仰せられてあります。

この三種の神器に就て、二三の学者の説を参考までに掲げてみますと、田中義能博士は、「この三種の神器は、神勅と共に、天照大御神の後世に垂れられたところの範を示されてゐるのである。一体我が国民は、天照大御神の神勅に従つて、遠大なる思想をもつて、秩序の統一を保ち、快活的現世的であつて、そしてどこまでも発展し、膨脹し、天地と共にきはまる所がないやうにあるべきである。さうするのに必要であるために、この三種の神器といふものが伝へられてゐるのである。従つて三種の神器は我が国に於て最も必要なものとなつてゐる。この三種の神器の中で、鏡は、大御神がこれをお授けになる時に詔されて、『この鏡をわが御魂として吾れを拝むやうに拝め』と仰せになつたことで見ると、鏡が最も重いやうに思はるが、三種の神器として大御神のお授けになつた場合には、決して優劣をつけてお授けになつたのではないと思はれる」といふ意味のことを述べてゐられます。

また、里見岸雄氏は、「天照大御神は、授国じゆこくの神勅を下されると共に、他方に於て、三種の神器を皇位の標示しるしとして、又皇道の表象として、これを天孫に授けられた」と云つてゐられます。また、伊藤武雄氏は神勅と神器との関係を述べて、「神勅はことである。神器は事である。国語に於て言と事とは一致する。共にである。そこに日本の惟神かむながらの道があらはれてゐる。即ち、神器はそれ自らに於て神勅を語る。天照大御神が、三種の神器を賜へるは、皇孫によつて、永久に大御神の神勅の活きんがためである。故にこの神器には、大御神の御精神がこもる」と説いてゐられます。

かくて、この三種の神器については、我が国に於ける政治の要諦を示されたものと解するものがあれば、また、我が道徳の基本を示されたものだと拝するものもあります。何れにしても、三種の神器には、天照大御神の偉大なる御精神がこもつてゐて、これが、万世一系、天壌無窮の皇位の御しるしであり、我が皇道の表象であり、日本国の道を示されたものであります。そして、何れの解釈を下さうとも、我が国民がひとしく神器の尊厳を仰ぎ奉る心に変りはないのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)

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