2017年2月9日木曜日

天壌無窮といふこと

先に天壌てんじやう無窮むきうの神勅に就て述べられましたが、こゝでは天壌無窮といふ言葉の意味についてもうすこしくはしい説明がしてあります。天壌無窮とはその言葉の通りに解すれば、天地と共にきはまりのないといふことであります。しかし、この無窮といふことをたゞ単に文字の上のみで永久とか、無限とかに解して、時間的につゞくといふことにのみ考へるのは、未だその意味を充分に解しつくしたものとは云へないのであります。

大体、普通の解釈による永遠とか、無限とかいふ言葉は、単なる時間的の連続における永久性を意味してゐるのでありますが、いはゆる天壌無窮は、勿論さういつたやうな永遠とか、無限とかいふ時間的連続の意味をも持つてゐますが、なほそれよりも更に一層深い意義のあることを考へねばならないのであります。即ち、この言葉は過去から将来にわたるところの永遠をあらはすと同時に現在を意味してゐます。永久性と同時に現在性をも含んでゐるのであります。これはどういふことかと申しますと、現御神あきつみかみにまします 天皇の大御心や大御業おほみわざの中には、畏くも皇祖皇宗の御精神、御霊魂が拝せられますし又、この中に我が日本帝国の限りなき将来が生きてゐるのであります。

それで、天皇の御位が天壌無窮であるといふ意味は、天皇の御位は永遠のものであり、無限のものであるといふだけの説明ではいさゝか物足りないので、実に過去も未来も現在に於て一つになつてゐて、そこに我が国が永遠の生命を有し、無窮に発展すると解すべきであります。即ち、時間的連続に於ける永久性といつたものを超越して、もつともつと深い意味があるのです。そして、我が国の歴史は永遠の現在の展開であり、我が国の歴史の根柢にはいつも永遠の現在が流れてゐるのであります。こゝに、我が國體の現実性と積極性が見られます。

「教育ニ関スル勅語」の中に、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼フヨクスベシ」と仰せられてゐますが、これは、日本国民の各自が皇祖皇宗の御遺訓をよく承けつぎ給ふ 天皇に奉仕し、その大御心を奉戴し、日本臣民としての正しい道を踏み行ふところに実現せられるのであります。これによつて君民は一体となつて、国家は益々成長発展し、天皇の御位はいやが上にも栄え給ふのであります。畏くも日本国民の御親であらせられる 天皇は、その御一生を悉くその大御業のために奉仕遊ばされるのであります。

天皇には「わたくし」といふものがなく、すべては「おほやけ」であります。天皇の御位、それが御献身を意味します。されば、天皇は文字通り一切をその大御業にさゝげておいでになるのであります。かゝる世界に比類なきところの君主たる 天皇を奉戴する私共国民は又一切を 天皇にさゝげ奉つてゐるのであります。国民一致して君主に一切をさゝげる心を持てる国、それは世界に日本だけしかありません。日本の國體上さういふ国家になつてゐるのであつて、これは他国の模倣し得ざるところであります。こゝに日本帝国の絶大なる特質があります。

説明がすこしわきへ外れましたが、まことに天壌無窮の 天皇の御位は我が國體の根本でありまして、これを神代の昔、肇国の初めに当つて、我が國體の宣言として、万古不易に確立し給ふたのが天壌無窮の神勅であります。この天壌無窮といつた言葉には実にさういつたやうな深い意味があるのであります。

『解説國体の本義』(小島徳彌、創造社、昭和15年)

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