三国干渉と英国
日本全国民は有利な講和条件に歓喜
露国が南岸に不凍港を獲得せんとするのは、ピーター帝以来の大策であつた。露国が先づ手を伸べたのは手近の
クリミヤ戦後土耳其は国政乱れ、耶蘇教徒が迫害を受けたので、一八七七年(明治十年)露国は土耳其国内の教徒保護を名として兵を進め開戦するに至つた。露軍は次第に土軍を圧し、アドリヤノープルを占領して、
露国は当年の恨みを忘るゝことは出来ない。此手を其の
露国は南の出口を二度
日本が折角取つた遼東半島を清国へ還附するのは、大陸へ伸びんとする意慾を粉砕され、戦勝の威厳を損する屈辱であるが、今我が艦隊は台湾占領の為め南遣中であり、且つ既に戦に疲れて、欧洲の三強国を向ふに廻し戦ふ気力はない。芝罘に三国艦隊が集中し、スワといはば何時でも発動する用意は整つてゐる。こゝに至つて血涙を吞んで干渉に応ずる外策なきも、一応英、米、伊諸国の後援を求めることにした。加藤駐英公使は我が政府の訓令により、英国外相を訪問して縷々苦境に立つ現状を説き、英国を動かさんとした。外相即ち曰く、
『此事件につき英国政府は一切干渉せざることに決定してゐる。日本に協力することは、是れ亦一種の干渉に外ならない。英国に取つては露、独、仏も、日本同様友国のことなれば、英国は此際と、英国の立場よりすれば公平な態度であらう。日本は英国の援助を得ることは出来なかつたが、英国の干渉に加はらざりしを寧ろ徳とした。三国干渉に先立ち駐支英国公使オコンナーは、露国公使の賛成を得て日本の大陸進出を阻む為め海軍威嚇政策を進言したが、英国政府は之を許さなかつた。蓋し英国は東洋の権益確守の為め、日本を利用せんと考へたのであらう。米国亦動かず、一旦伊太利は乗出さんとしたが、英米の静観せるを見て手を引き、日本は孤立無援の窮地に陥つた。彼是 酌量して、其の威厳上自己の決断と責任を以て行動すべきである。但し露、独、仏は果して何処まで其の主張を固持するか明かでないが、形勢頗る容易ならざるものあるに依り、日本は之に対して十二分の覚悟を要す』
清国全権李鴻章は講和成立するや即日帰途に就き、船上から日本に向ひ赤い舌をペロリと吐き出し、皮肉な微少を面上に浮べたといふ伝説がある。真偽の程は保証の限りでないが、芝罘に於ける批准交換に先んじ、三国干渉の虎威を借り、其の延期を提言した事実がある。
日本は遼東半島還附の条件として、第三国に不割譲不租借を交渉したが、清国は之を拒絶して日本を
柴田俊三『日英外交裏面史』(昭和16年、 秀文閣)より
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