1 バルチック艦隊の遠征
バルチック海より
ロジェストウェンスキー少将 |
出発前より、日本軍は
十一月初旬、艦隊はモロッコのタンジールに達し、喜望峰迂回部隊とスエズ運河通過部隊とにわかれた。これは吃水の深い艦がスエズ運河を通過するためには、弾薬石炭等をおろさなければならぬので、それを避けるためであつて両隊はマダガスカル島で会合することに定められ、スエズ通過枝隊は十二月末、喜望峰迂回の本隊は翌年一月九日、豫定の地点に達して両隊合同した。また艦隊が本国出発当時残留した巡洋艦二隻及び仮装巡洋艦、駆逐艦数隻も二月十八日に本隊に合した。これより先、本国では戦艦一隻、装甲巡洋艦一隻、海防艦三隻より成る第三艦隊が編成せられ、第二艦隊の後を追つて二月十五日リバウを出発したが、満洲における情勢が逼迫して来たので、本隊は第三艦隊を待たず、三月十六日マダガスカル発、四月五日マラッカ海峡を通過、十四日仏領カムラン湾に到着し、以後、五月九日に第三艦隊と合同するまで、二十餘日をこの附近で過した。第三艦隊の合同により、いよいよ最後の航程に上つたが、その編成は左表の通りであつた。
第一戦艦隊 (戦艦 四隻) | クニヤージ・スウォーロフ(司令長官旗艦)、イムペラートル・アレクサンドル三世、ボロヂノ、アリヨール |
第二戦艦隊 (戦艦 三隻/装甲巡洋艦 一隻) | オスラビヤ(司令官旗艦)、シソイ・ウェリキー、ナワリン、アドミラル・ナヒーモフ(装巡) |
第三戦艦隊 (戦艦 一隻/装甲海防艦 三隻) | イムペラートル・ニコライ一世(戦艦)、ゲネラル・アドミラル・アプラクシン、アドミラル・セニャーウヰン、アドミラル・ウシヤーコフ(以上第三艦隊の四隻) |
第一巡洋艦隊 (装甲巡洋艦 二隻/巡洋艦 二隻) | オレーグ(後発隊、巡)、アウロラ(巡)、ドミトリー・ドンスコイ(装巡)、ウラヂーミル・モノマーフ(第三艦隊、装巡) |
第二巡洋艦隊 (巡洋艦 四隻) | ウェストラーナ、アルマーズ、ジェムチウグ、イズムルード(後発隊) |
駆逐隊 | 駆逐艦九隻(内、後発隊二隻) |
運送船隊 | 仮装巡洋艦五隻、工作船二隻、病院船二隻、運送船十数隻 |
以上の勢力を要約すれば、戦艦八隻、装甲巡洋艦三隻、巡洋艦六隻、装甲海防艦三隻、駆逐艦九隻、合計二十九隻、総排水量十六万二百餘噸 (運送船隊を除く)であつた。
第三艦隊と合同した露国艦隊は総数五十隻、朝鮮海峡に向つて北上した。途中運送船数隻を上海に放つたが、これは露艦隊としては大失敗であつた。それはカムラン湾出航後杳 として知れなかつた露国艦隊の所在を判断する絶好の資料をわが軍に与へたからであつた。
第三艦隊と合同した露国艦隊は総数五十隻、朝鮮海峡に向つて北上した。途中運送船数隻を上海に放つたが、これは露艦隊としては大失敗であつた。それはカムラン湾出航後
佐藤市郎『海軍五十年史』(昭和18年、鱒書房)より
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