斯くて聯合軍は在北京外交団及在留外国人救援の目的を首尾よく達したので、舞台は再び外交に戻つた。第一に起つた問題は支那政府の責任であつたが、
此時進むで良心を発揮したものは日本代表小村寿太郎氏であつた。彼は本国政府より受領せる調書に依つて日本の要求額を五千万円と切り出した。是より米英仏露独以下の諸国相次で掌中の
露国 (日本貨換算) 約 一八〇、〇〇〇、〇〇〇 円 独逸 〃 〃 一三〇、〇〇〇、〇〇〇 仏国 〃 〃 一〇〇、〇〇〇、〇〇〇 英国 〃 〃 七〇、〇〇〇、〇〇〇 日本 〃 〃 五〇、〇〇〇、〇〇〇 米国 〃 〃 四五、〇〇〇、〇〇〇 伊国 〃 〃 三八、〇〇〇、〇〇〇 白国 〃 〃 一二、〇〇〇、〇〇〇
以下墺、蘭、西、瑞典 、葡 等合せて四億五千万両即ち六億三千万餘円の額に上つた。前述の始末だから此額は其儘 清国政府に提出し、先方の承諾を取り付けたのであつた。転じて救援聯合軍の組織如何と言ふに我輩の記憶に依れば
日本 一〇、〇〇〇 人 砲 五十四門 露国 四、〇〇〇 〃 十六門 英国 三、〇〇〇 〃 十二門 米国 二、〇〇〇 〃 六門 仏国 八〇〇 〃 十二門 独国 二〇〇 墺国 伊国 一〇〇 総計 二万一百 人 砲 一百門
以上列国の対清賠償要求額と列国が提供したる救援軍隊の人数砲数とを対照すれば其所に顕著なる矛盾が見える。日本に次で比較的穏当に見ゆるは米英両国の要求額である。英米両国は其軍人に対する実際支給額が他国に比し遥かに多額なるがためヴェルサイユ条約に因る萊因 占領軍費に於ても独逸は少数の英米軍隊に対し、多数の仏白軍よりも却つて多額の支払を為さしめられたる位である。其事情を斟酌すれば上掲英米両国の要求額は無謀に多過ぎるとは思はれない。其他は日本に比し不当に多額であつたことは一見して分る。露国は満洲各要所に多数の軍隊を配置したが救援隊としては我国の半数にも達しない。而して満洲の配兵は露国の野心に基く行動に属すべきものだから其軍費は清国に要求すべからざるは勿論であつた。独逸は北京救援の目的が達せられたる後に至り無用の軍隊にヴァルデルズィイ元帥までも附けて送派し、北京着後餘りの無事に苦むで保定遠征と称して軍隊の遠足旅行を敢てしたる外、真に正当防衛の行動としては籠城前に送つた三四十名の陸戦隊と青島よりの追送を併せて二百人であつた。仏国は印度支那より千人足らずの安南兵を派遣したに過ぎない。斯る連中が救援事業の五割以上を負担したる日本に数倍するの賠償金額を受くることとなりたる結果は獅子の分け前と謂はん歟 奇怪千万であつた。要するに無抵抗に陥つた支那を相手とする此賠償要求問題に於て支那に対し十二分の好意を表し謙抑心を発揮したのは日本一国で、米英之に亜 ぎ、其他は全然論外であつた。但し我輩は一概に如上他国要求額を不当過多と謂ふのではない。支那政府を懲罰する意味に於てならば其の要求額は不当に非ずとも謂へよう。而も北京公使会議が対清国政府要求を支那の支払能力を斟酌して軍費及損害の実際額に止むべきことを自制的に決定したる以上他国の要求は支那に対しては兎も角右決定に対して過多なりと謂はざるを得ない。
初 帝国政府は我要求最少限を五千万円と概算して之を小村公使の参考までに電示したのであつたが、北京会議は前述の如く誰とて口を開く者がなかつたから、小村公使は其裁量を以て正義及対支友情の模範を示したのであつた。然るに事は志と違ひ、他国の代表中米英の外には我誠実を感賞するものもなくて遠慮なく膨大なる巨額を申出でた。支那人は乞ふ隗 より始めよと謂ふが斯る場合に列強に先んじて口を開くは考へ物である。日本には「物言へば唇寒し秋の風」といふ誡がある、外交には此誡の方が大事である様だ。欧洲列強は弱国に対する強要事件に幾度か経験を有 つて居たから斯 んな始末となつたのである。若し一九一九年の仏蘭西が明治三十三年の日本であつたとすれば彼はヴェルサイユ条約に於けるが如くに対支要求全額の五割強即ち四億円位を申立てたでもあらう。何と言つても列国は古狸で単り当時の日本は未だ経験に乏かつた。政治問題に関し列国会議に加はつたのは之が初回であつた。此初舞台に於て日本の代表が五千万円の実費賠償を受けた上に我外交の正義一点張を発揮したことは満足と視られないこともない。
石井菊次郎『外交餘録』(昭和5年、岩波書店)より
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