2015年5月24日日曜日

日本海海戦――(4)二十七日夜の戦闘

4 二十七日夜の戦闘


昼間の戦闘により、敵艦隊司令長官ロジェストウェンスキー中将は、開戦後三十分にしてきずつき、沈没に瀕した旗艦スウォーロフから、駆逐艦ブイヌイに移されたが、ほとんど人事不省に陥つたので、艦隊の指揮をニコライ一世に坐乗せるネボガトフ司令官に譲つた。ネボガトフ司令官は敗残のニコライ一世、アリヨール、アプラクシン、シニヤーウン、ウシャーコフ、ナワリン、シソイ・ウェリキー、ナヒーモフ、モノマフ、イズムルードを率ゐ、ロジェストウェンスキーの最後の命令を奉じて、一意浦塩斯徳ウラジウォストクへと急いだ。

二十七日午後七時三十分頃、第一、第二駆逐隊は北方より、第三、第四、第五駆逐隊は東方より、第一、第十、第十五、第十七、第十八、第二十艇隊は南方より、ほとんど同時に敵の主力に襲ひかかり、三面より包囲攻撃の態勢をとつた。ネボガトフ司令官は、八時過ぎ、あたりをめた夜闇に乗じて遁走を企てたが、午後九時前後におけるわが魚雷襲撃は実に凄絶を極め、約四十隻の駆逐艦、水雷艇が八方より敵に肉薄したので、敵は全く混乱の極に達し各艦勝手に遁路を求めて逃走した。そのため、旗艦ニコライ一世に続航し得たものは僅かにアリヨール、セニヤーウン、アプラクシン、イズムルードの四隻のみ、戦艦ナワリンは沈没し、同シソイ・ウェリキー、巡洋艦ナヒーモフ、モノマフは大損傷を被つて、いづれも翌二十八日に沈没した。なほオレーグ、ジェムチウグ、アウロラは、エンクウィスト司令官に率ゐられて、二十八日未明西方に逃走した。

「アリヨール」号被弾の跡
『日露戰役海軍寫眞帖』第三巻(市岡太次郎等、明治38年、小川一眞出版部)

佐藤市郎『海軍五十年史』(昭和18年、鱒書房)より

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