2015年5月25日月曜日

日本海海戦――(6)平和克復

6 平和克復


平和克復に関する経緯は外交史に譲るとして、日露の媾和条約は、明治三十八年九月五日、米国ポーツマスに於て両国全権委員により調印され、十月十五日露国政府と批准交換ををはり、両国間の平和は回復した。これによつて帝国は露国をして韓国における我が優位を認めしめ、旅順、大連の租借権及び南満洲鉄道を取得し、また北緯五十度以南の樺太島を割譲せしめ、尚日本海、オホーツク海、ベーリング海に臨む、露領沿岸の漁業権を獲得した。

東郷司令長官の東京凱旋を迎へる国民(新橋凱旋門附近)
『日露戰役海軍寫眞帖』第四巻(市岡太次郎等、明治38年、小川一眞出版部)
十月二十三日、凱旋観艦式を横濱沖に挙行せられ、 明治天皇の行幸あり、式後勅語を賜ひ、東郷司令長官は聯合艦隊を代表して奉答した。この日の観艦式に、戦利艦相模(旧ペレスウェート)、丹後(旧ポルタワ)、壱岐(旧ニコライ一世)、見島(旧セニヤーウヰン)、沖島(旧アプラクシン)、駆逐艦皋月(旧ベドウイ)、同山彦(旧レシテリヌイ)その他合計十一隻が参列して異彩を放つた。

観艦式にて御召艦・浅間
『日露戰役海軍寫眞帖』第四巻(市岡太次郎等、明治38年、小川一眞出版部)

ついで十二月二十日をもつて聯合艦隊の編成を解かれたが、解散に際し東郷司令長官より麾下一般に与へられた訓示は、海軍軍人のみならず、帝国国民の熟読玩味すべき海国国防の要諦である。左にその全文を掲げる。
二十閲月の征戦すでに往事と過ぎ、我が聯合艦隊は今や其の隊務を結了して茲に解散することとなれり。然れども我等海軍軍人の責務は決して之が為めに軽減せるものにあらず。此の戦役の収果を永遠に全くし、尚益〻国運の隆昌を扶持せんには、時の平戦を問はず、先づ外衝に立つべき海軍が常に其の武力を海洋に保全し、一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す。而して武力なるものは艦船兵器等のみにあらずして、之を活用する無形の実力に在り。百発百中の一砲く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば、我等軍人は主として武力を形而上に求めざる可からず。近く我が海軍の勝利を得たる所以も 至尊の霊徳にる所多しと雖も、そもそも亦平素の練磨其の因を成し果を戦役に結びたるものにして、若し既往を以て将来を推すときは、征戦むと雖も安じて休憩す可らざるものあるを覚ゆ。おもふに武人の一生は連綿不断の戦争にして、時の平戦により其の責務に軽重あるの理無し、事あれば武力を発揮し、事無ければ之を修養し、終始一貫其の本分を尽さんのみ。過去の一年有半、彼の風濤と戦ひ寒暑に抗し、しばしば頑敵と対して死生の間に出入せしこと固より容易の業ならざりしも、観ずれば是れ亦長期の一大演習にして、之に参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福比する物無し、あに之を征戦の労苦とするに足らんや。いやしくも武人にして治平に偸安とうあんせんか、兵備の外観巍然ぎぜんたるもあたかも砂上の楼閣の如く、暴風一過忽ち崩倒するに至らん、まことに戒むべきなり。
昔者むかし神功皇后三韓を征服し給ひし以来、韓国は四百餘年間我が統理の下にありしも、一たび海軍の廃頽するや忽ち之を失ひ、又近世に入り徳川幕府治平にれて兵備をおこたれば、挙国米艦数隻の応対に苦み、露艦亦千島樺太を覬覦きゆするも之と抗争することあたはざるに至れり。翻て之を西史に見るに、十九世紀の初めに当り「ナイル」及び「トラフアルガー」等に勝ちたる英国海軍は、祖国を泰山の安きに置きたるのみならず、爾来後進相襲て能く其の武力を保有し、世運の進歩におくれざりしかば、今に至る迄永く其の国利を擁護し国権を伸張するを得たり。けだし此の如き古今東西の殷鑑いんかんは、為政の然らしむるものありしと雖も、主として武人が治に居て乱を忘れざると否とに基ける自然の結果たらざるは無し。我等戦後の軍人は深く此等の実例に鑑み、既有の練磨に加ふるに戦役の実験を以てし、更に将来の進歩を図りて時勢の発展に後れざるを期せざる可らず。若しれ常に 聖諭を奉体して孜々しし奮励し、実力の満を持して放つべき時節を待たば、庶幾ねがはくは以て永遠に護国の大任を全うすることを得ん。神明は唯平素の鍛錬につとめ、戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より直ちに之をうばふ。古人曰く勝て兜の緒を締めよと。
戦勝の夢に酔ふことを戒め、皇国国防の本義を説き、海軍軍人の本分を指示し、言々句々、至誠憂国の一念に徹したる聖将の面目、まことに躍如たるを覚えるではないか。

聯合艦隊各司令長官以下及大本営海軍将官以下幕僚
『日露戰役海軍寫眞帖』第四巻(市岡太次郎等、明治38年、小川一眞出版部)

爾来幾星霜、この聖将の遺訓は、わが海軍精神の伝統の中に、血となり肉となつて生きて来た。わが海軍は、ひたすらにこの遺訓を守り、孜々奮励、実力の満を持して放つべき時節に備へてゐたのである。

佐藤市郎『海軍五十年史』(昭和18年、鱒書房)より

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