2015年5月25日月曜日

日本海海戦――(5)二十八日の戦闘

5 二十八日の戦闘


夜闇の戦闘を駆逐隊艇隊に譲つて戦場を離れた東郷司令長官は、敵の残存艦隊が浦塩ウラジオに向ふことを豫想し、敵に先んじて北航し、天明を待つて再びこれを邀撃せんものと、鉄桶の陣を張つて待ちうけてゐた。

昼間は聯合艦隊の主力に猛撃をうけ、夜は夜で鮫のやうな水雷戦隊に喰ひさがられて支離滅裂となつたネボガトフ艦隊は、二十八日の黎明を迎へ、行手に東郷艦隊が昨日といささかも変らぬ姿で待ち構へてゐようとは知らず、漸く安堵の息をつき、浦塩に向つた。午前五時、第五戦隊は遥か東方にあたつてこの敵艦隊を発見、直ちに主力艦隊に報告した。第四、第六戦隊も亦敵を発見し、三隊協力して触接を保つた。第一、第二戦隊は直ちに敵の所在に向ひ、午前九時半頃これを発見した。敵は旗艦ニコライ一世を先頭に、アリヨール、アプラクシン、セニヤーウンが続航し、巡洋艦イズムルードも続いてゐた。十時三十四分、八千米の距離から、わが主力は砲撃を開始したが敵は応戦しない。間もなく各艦万国信号で降伏信号を掲げ、航進を停止した。そこで東郷司令長官は降伏を容れ、砲撃を中止し、ネボガトフ司令官を旗艦三笠に招致して捕獲処分に着手した。即ち、軍艦は現状のままわが軍に引渡すべきこと、乗員はすべて俘虜となすべきこと、士官以上は帯剣を許すべきこと等を指定した。

降伏し停船した「ニコライ一世」号
『日露戰役海軍寫眞帖』第三巻(市岡太次郎等、明治38年、小川一眞出版部)

捕虜として「朝日」に収容された「アリヨール」号乗員
『日露戰役海軍寫眞集』第二緝(坪谷善四郎、明治38年、博文館)

敗残敵主力はこれで始末がついたが、他の諸艦はいまだに別れ別れになつて遁走を企ててゐるに違ひないので、これらの処分もしなければならぬ。そこで東郷司令長官は第一戦隊以外の各戦隊に索敵撃滅を命じた。二十八日に処分した他の敵艦は海防艦ウシヤコーフ(午後、磐手、八雲にて撃沈)、巡洋艦スウェトラーナ(午前、音羽、新高にて撃沈)、駆逐艦ベヅウブリョーチヌイ(午前、千歳、駆逐艦有明にて撃沈)、同ブイスツルイ(正午、新高、駆逐艦叢雲の攻撃に遭ひ、竹辺湾附近に擱坐破壊)、同グロムキー(午後、駆逐艦不知火、第二十三号水雷艇にて撃沈)、同ベドウイ(駆逐艦漣により捕獲、司令長官ロジェストウェンスキー中将を俘虜とす)等があつた。その他沈没したものは、戦艦シソイ・ウェリキー(二十八日午前沈没)、装甲巡洋艦アドミラル・ナヒーモフ(二十八日午前、対馬東岸沖合にて沈没)、同ドミトリー・ドンスコイ(二十九日払暁、鬱陵島沿岸にて沈没)、同アドミラル・モノマフ(二十八日午前、対馬東岸沖合にて沈没)、駆逐艦ブイヌイ(二十八日午前、自沈)等であり、ネボガトフ提督降伏の際、快速を利用して逃走した巡洋艦イズムルードは、のち沿海州セント・ウラヂミル湾で擱坐破壊した。

擱坐した「イズムルード」号
『日露戰役海軍寫眞集』第一緝(坪谷善四郎、明治38年、博文館)

かくて、威風堂々対馬海峡に現はれた露国第二太平洋艦隊三十八隻(戦艦八隻、巡洋艦九隻、海防艦三隻、駆逐艦九隻、仮装巡洋艦一隻、特務艦六隻、病院船二隻)のうち、撃沈十九隻(戦艦六隻、巡洋艦四隻、海防艦一隻、駆逐艦四隻、仮装巡洋艦一隻、特務艦三隻)、捕獲五隻(戦艦二隻、海防艦二隻、駆逐艦一隻)といふ大戦果で、抑留病院船を除けば、戦場から逃れたものは、巡洋艦五隻、駆逐艦四隻、特務船三隻に過ぎない。このうち、巡洋艦イズムルードは前述のごとく擱坐破壊し、駆逐艦ブレスチャーシチーは上海へ遁走途中浸水沈没した。エンクウスト司令官の率ゐた巡洋艦三隻はマニラ湾に遁入して米国政府に抑留せられ、または上海に逃れて武装解除された。かくてバルチック艦隊の最後目的地であつた浦塩斯徳ウラジウォストクに到達し得たものは、僅かに巡洋艦アルマーズ、駆逐艦二隻の合計三隻に過ぎないといふ惨憺たるものであつた。しかも、敵司令長官以下約六千名を俘虜とし、わが艦艇の犠牲は僅かに水雷艇三隻といふ、空前にしておそらくは絶後の一方的大勝利であつた。

五月三十日、東郷聯合艦隊司令長官は左の優渥なる勅語を拝した。
聯合艦隊ハ敵艦隊ヲ朝鮮海峡ニ邀撃シ奮戦数日遂ニ之ヲ殲滅シテ空前ノ偉功ヲ奏シタリ
朕ハ汝等ノ忠烈ニ依リ祖宗ノ神霊ニコタフルヲ得ルヲヨロコオモフニ前途ハ尚遼遠ナリ汝等イヨイヨ奮励シテ以テ戦果ヲ全フセヨ
東郷司令長官は同日左の奉答文を上つた。
日本海ノ戦捷ニ対シ特ニ優渥ナル
勅語ヲ賜ハリ等感激ノ至リニ堪ヘス此ノ海戦豫期以上ノ成果ヲ見ルニ至リタルハ一ニ
陛下御稜威ノ普及及ヒ歴代
神霊ノ加護ニ依ルモノニシテ固ヨリ人為ノ能クスヘキ所ニアラス等唯〻益〻奮励シテ犬馬ノ労ヲ尽シ以テ皇謨クワウボヲ翼成センコトヲ期ス
同日聯合艦隊に勅語を賜ると同時に海軍に勅語を下し賜うた。海軍大臣山本権兵衛、海軍軍令部長伊藤祐亨は、勅語に対し夫々奉答文を上つた。

佐藤市郎『海軍五十年史』(昭和18年、鱒書房)より

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