2019年1月26日土曜日

〔字統〕から〔字訓〕へ ①国語性悪説

国語性悪説


〔字統〕の刊行につづいて、〔字訓〕を世に送ることになった。〔字訓〕は、漢字をわが国のことばの表記法として受容した時代の国語的状況を、古語辞典の形式でまとめようとしたものである。そしてそこにどのような適合性があったのかを、両者の語源の意識や語義、用法の対応のうちに探ろうとした。国語と漢字との出会いが、かりに歴史の偶然であったとしても、それを歴史の必然とするような諸契機が、必ずやあったであろうと考えるからである。これはかねてから私の意図する、東アジア的な古代のなかでわが国の古代を考えようとする、基本的な志向のうちから生まれたものであり、その一つの収束である。 しかしこのような問題を、どうして今、この時期において提出することを必要とするかについて、少しく私の考えを述べておきたいことがある。わが国の文章は、漢字を用いた交え書きが、古今を通じての形式であった。この〔字訓〕で扱ったような時期にほぼ確立された漢字の音訓的使用法が、ゆるぎない表記法であり、また国語のありかたとしても、かつて疑われることはなかった。ときには王朝期のような「かな文字」、また禅林・儒家の徒のような硬質の文章があったとしても、国語はその振幅のなかで、それぞれの時代の文章を残してきている。特に明治以後の文章は、次第にその硬軟を整えながら、十分に知的な論述、また情感的な表現にふさわしいそれぞれの文体を創出してきたとみてよい。国語に対する信頼を一そう深めてよい傾向にあると、私は考えている。
〔引用者註〕「東アジア的な古代」といふと、すぐに勘違ひして批判する人が今も昔も多いのである。けれども大陸や半島では歴史的に何度も異民族が流入して従来の民族と入れ替つたり混淆したりして、原初の民族、ひいては漢字が発明された頃の原初の民俗が殆ど遺つてゐない。一方で我が列島ではそのやうな民族の入れ替りや混淆が大規模に起つたことがなく、従つて原初からさほど変質してゐない民俗をいまだに多く保持し、また古い資料も数多く遺つてをり、大陸や半島の現在の文化からでは到底解明できないやうな、漢字に反映されてゐる古い時代の民俗や思想を、我が国の国語と漢字の関係を研究すればよく解明できる、といふのが白川博士の学問姿勢なのである。即ち、ここで言はれる「東アジア的な古代」は、漢字を発明した民族がまだ実在してゐた時代の、我が国を含めた同地域の非常に古く多くの共通性を具へた文化のことと理解すれば、『字訓』といふ辞書の高い価値が理解できると思ふのである。
しかしまた、たとえばヨーロッパ諸国などのことばと比較すると、国語の表現法は甚だしく多様複雑であるとする批判が多く、他国の人が学習するのには最も困難なことばの一つであるという。文字の上からいえば、中国語などの方がはるかに厄介なものであろうが、しかし中国語には音訓の区別がなく、その意味で統一的な語である。国語はその意味で統一語でないとするような認識が語学者の中にあって、国語のためにそのことを遺憾とする国語学者も少くない。それが漢字廃止論、制限論の、大きな論拠となっているのも事実である。

そのような基盤の上に、最近のような情報関係の機械化、また経済・文化の国際化という問題が起こってくると、漢字の負担が一そう大きく感じられるようである。国語を国際社会に解放するためには、まず漢字からの解放が必要であり、漢字を廃止すべきであるというのが、カナ論者、ローマ字論者の立場であった。さらに進んでは、このような国語自体が国際性を望みがたいものであるから、日本語そのものを廃止しようとする論者さえあった。明治初年に洋学の雑誌〔明六雑誌〕を出した森有礼は、のち文部大臣になった人であるが、列国の文運の進化に伍するために、外国語を採用すべしとする論者であったことは、よく知られていることである。

このように国家的見地からするものではないが、敗戦後まもない頃、志賀直哉が、国語をやめてフランス語にしてはどうかと提案したことは、人を驚かせるに十分であった。あのすぐれて美しい文章をかいた作家直哉、谷崎潤一郎がその〔文章読本〕において、わが国の文章を源氏派と非源氏派とに分ち、その非源氏派の硬質の文章家の一人に列した志賀が、ひそかに日本語を不満としていたとすれば、やはり漢字まじりの国語を統一性を欠くものとして、快しとしない潔癖さがその心のどこかにあったのであろう。

柳田国男は、常民的な語りくちを好み、談話風の文体を愛した人である。また折口信夫は、古いやまとことばを、この上なく愛する人であった。しかしこの二人の文章をよむと、漢字の使いかたがいかにも無雑作で、無頓着なのに驚かされる。柳田は好んでフランス語の学習をしていたという。この人たちには、国語のなかに立ちまじる漢字に対して、一種の疎外感的なものがあって、ことさらに漢字に対して無頓着を装っていたのではないかと思う。

若い研究者は、ときに潔い言いかたを好むものである。すぐれた蒙古語学者である田中克彦は、このような逆説的な方法ではなく、もっと率直に語ってくれる。世界のことばは、次第にすぐれた大言語のもとに統一されるべきであるとする進化論的な立場から、次のようにいう。
日本の秀才たちが好んで専門とする外国語であるところの英語やフランス語のような大言語の専攻者たちは、おおむねこの路線への潜在的な共感者である。大言語への支持や共感なしに、どうして「愛する祖国のことば」日本語をさしおいて、こうした言語の専攻に生涯をかける決心がつくだろうか。(〔言語の思想〕一六ページ)
しかしこのような主張が、必ずしもこの世代の人の統一的見解でないことは、たとえばこれもすぐれた英語学者である渡部昇一の〔国語のイデオロギー〕をよむと、すぐにわかることである。渡部はむしろ、日本語における漢語・洋語の区別もない語彙混乱の現象を、日本語のたぐいのない抱擁力と生命力のあかしであるという。そして英語もかつては、あのノルマン・コンクェスト以降五百年にわたって、国語性悪説になやまされつづけていたという、その歴史を回顧している。

文字の好き嫌いをいう人は多いが、漢字はすべてよろしくないという人は少いようである。しかし時勢の動きがいかにも急速で、やがてコンピューターは世間に氾濫し、わが国の国際性はあらゆる面で一そう要求されてくるであろう。日本語も、世界に向かって開かれた言語となることが求められるであろう。国語国字の政策は、今や喫緊の要務となっているのである。国語はまさに国難の時代である。

敗戦直後の昭和二十一年十一月に当用漢字表が出され、のち数次の改定を経た。内閣告示、訓令の形で出されたこの政令は、わが国のどのような法律よりも迅速に、かつ徹底的に遵守された。新聞社や出版界が、その忠実な遵奉者であったからである。字形についてはわけのわからぬ、造字の本来に反するような変形が多く加えられ、字訓の使用は副詞を全廃し、同訓の動詞は一字だけ残すという、壊滅的な制限を加えた。その結果、たとえば現行の表示文字一九四五字のうち、訓のないものが大半を占め、それらはすべて国語として翻訳されることのない記号として、音だけで暗記することを強いられているのである。

文字は理解することによってのみ、知識となりうる。文字の構造的な意味が理解されれば、これを知識として吸収することは容易であろう。また文字の訓義的使用が保証されるならば、文字は国語としての生命をもちつづけ、新しい造語力を生み出すこともできるであろう。そのようなことを念願して、さきに〔字統〕をかき、今また〔字訓〕を世に送るのである。

(白川静『文字遊心』、平凡社ライブラリー、平成8年)

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