2019年1月9日水曜日

国語改革四十年――1 漢字をやめようという運動④かな派とローマ字派

かな派とローマ字派


どういう音標文字をもちいるかについては意見がわかれた。大きくは「かな派」と「ローマ字派」とにわかれる。前者は漢字を廃止してかなのみで日本語を表記しようとする人たち、後者は漢字もかなも廃してローマ字で日本語を表記しようという人たちである。

「かなのくわい」は明治十六年結成、総裁は皇族で、会員は約一万人、「羅馬字會」は翌十七年結成、朝野の貴顕紳士をつらねて会員約二万人、といずれも一時は非常に隆盛であったが、内部闘争に力を消耗して漢字を相手に戦闘するに至らず、前者は明治二十三年に、後者は二十五年につぶれた。ただし、漢字を廃止してかなに、或はローマ字に、という思想がつぶれたのではない。同一趣旨の組織はつぎつぎに生れて昭和におよび、特に「カナモジカイ」のマツサカ・タダノリ(松坂忠則)は、戦後の国語改革をリードした。

かな論者は、幕末の前島密、明治初期の大槻文彦、物集もづめ高見たかみなど大物が多い。ローマ字論者は、物理学者田中館たなかだて愛橘あいきつ、田丸卓郎など理科系の学者が多い。帝国大学総長外山とやま正一まさかずは「かなのくわい」と「羅馬字會」の両方の会員であった。外山は言う。「我々の敵は漢字である。その漢字がまだ倒れていないのに、倒したあかつきには天下はオレのものだ、いやオレのものだ、と、まったく敵と戦わないでもっぱら味方同士で戦争しているのはばかばかしい。だから自分は両方にはいって、まず漢字を廃止するために戦え、と説いているのである」と。まことに正論である。
〔引用者註〕《我が国社会学の創始者外山正一は、言語文字は知識を伝え、思想を交換するのに便利でなければならない、従って海外諸国と競争するためには漢字を廃止すべきであると「漢字を廃し英語を熾に興すは今日の急務なり」(『東洋学芸雑誌』第三十三号明治十七年六月・『新体漢字破』同十一月)と主張した。外山によれば、すでに中国から文化的に学ぶ知識はない、今や欧米諸国の知識をまる取りしなければならない時である。それゆえ欧米の語を学び用いることが必要であり、その方がチンプン漢語で訳翻するより分りやすいはずであると主張した。》(丸谷才一編著『国語改革を批判する』、大野晋「国語改革の歴史(戦前)」、中公文庫、平成11年)
日本の音標化論、およびかなとローマ字との得失等については、田丸卓郎の『ローマ字國字論』(岩波書店)をおすすめする。この本は、最初大正三年(一九一四)に刊行され、大正十一年に改訂版、昭和五年に再改訂版が出て(翌々七年著者歿)、それが平成十三年(二〇〇一)のいまもなお現役で刊行中という、おそらく現在、日本で最も長寿をたもっている本である。ごくわかりやすく書かれていて、これをよめば、明治から昭和にかけての雰囲気や、各派の論点、主張などがよくわかる。一方またたとえば、文化遺産の継承、つまり過去の日本人とこれからの日本人とのつながりをどうたもってゆくか、というだいじな問題について、著者の説くところがいかにおざなりであるかを見ると、これほど聰明な、まじめな、良心的な人であってもこうであったのだなあと、感慨にとらえられるのである。当時の多くの日本人は、ひたすら「坂の上の雲」を見つめ、自分たちの根っこのこと――いかにまずしいものであろうと、この根っこを切りはなしてしまっては、われわれ日本人はその立つ地面をうしない、世界にただよう浮草になってしまうのだ、というようなことを考えなかったのだ。無論それは戦後の日本人もまたそうなのであるが――。
なお田丸卓郎は、夏目漱石とともに、寺田寅彦の熊本五高時代の先生である。その人柄については寅彦の「田丸先生の追憶」がおもしろい。
音標文字を採用するとすれば、事実上かなとローマ字しかない。「かな派」と「ローマ字派」とが生じたのは当然である。しからば両派が、どちらをとるかについて争ったかといえば、それはほとんどなかった。「かな派」はその内部で、カタカナをもちいるかひらかなをもちいるか、またどういう書きかたをするかでいくつかの分派にわかれ、また「ローマ字派」は、英米式にするか日本式にするかで二つにわかれ、それぞれ分派同士の主導権争いで力を消耗したからである(英米式とは富士山をFujiと書く方式、日本式はHuziと書く方式)。
〔引用者註〕とかく運動家は内紛が好きなのである。内紛が好きなのは権力が大好きだからなのである。権力争ひに明け暮れてゐると、いつの間にやら個々の小勢力に分裂し力を失つてしまふのである。
音標文字化すれば、以後の日本人は、それまでの日本人が書きのこしてきたものをよめなくなるが、明治のなかばごろまでは、そのことを考慮した者はほとんどなかった。明治初めごろの日本人は、それまでの日本のいっさいを、何の価値もないものと思っていた。かえって日本へ来た西洋人のほうが、そんなにかんたんにいっさいの過去を捨ててしまっていいのかと心配したくらいである。

たとえば『ベルツの日記』明治九年十月二十五日の条にはこうある。
ところが――なんと不思議なことには――現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。「いや、何もかもすっかり野蛮なものでした(言葉そのまま!)」とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと「われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです」と断言しました。(……)これら新日本の人々にとっては常に、自己の古い文化の真に合理的なものよりも、どんなに不合理でも新しい制度をほめてもらう方が、はるかに大きい関心事なのです。(菅沼竜太郎訳)
「新日本」ということばがしばしばとなえられた。日本は白紙状態で新しく建国にのりだすのだ、というのが多くの人の考えであった。したがって、これまでの日本人の書きのこしたものを、これからの日本人がよめなくなっても、それはさしつかえないのである。どっちにしてももう用はないのであるから。

言語は新日本建設の道具であり、したがってこれをわかりやすく能率的なものにするのがよいのである。日本の言語は、これからの日本人が、過去の日本人と語りあうための道具でもあるのだ、とはだれも考えなかった。

そう、右とおなじことが、約八十年後、昭和敗戦後の日本でもう一度おこるのである。淡泊で、腰が軽く、変り身のはやい点において、日本人は、世界の諸種族のなかでもおそらく最右翼にあると言ってよいと思われる。
引用者註〕本書では漢字廃止論者の論ばかりが紹介されてゐるので、宛もそれのみが当時の知識人全般を覆つてゐたかのやうに錯覚するが、漢字尊重の論も既に早くから発表されてゐたのである。
《明治時代に、教育の普及ためには漢字は害悪であるといわれ、漢字廃止が声高に叫ばれていたが、明治九年六月二十日、海内果は『東京日日新聞』の社説で「文字論」を発表し、自由の思想を発露するために、今日我が国において最も効用ある文章を選ぶべきと主張した。その最も効用ある文章とは日本で用いられて久しく、今日の気運に適応している漢字交りの文章を選ぶべきだという。これが漢字尊重論の第一である。
〔……中略……
井上円了の『漢字不可廃論』が刊行されたのは、…明治三十三年である。これは国字改良論に反対したもののうち、最も明確な論といえよう。井上の国字改良反対の主張は次のようなものである。

  •  国字改良の困難とか平易は習慣の有無に関係している。
  •  漢字は字数として千~二千字もあれば幾十倍する単語を組み立てることができる。
  •  漢字を用いながら、言文一致の実行は可能である。
  •  漢字の字形・字体は多少の変更は免れまい。
  •  漢字を廃止したら同音の文字を区別することができないので、言語文章の錯雑は今より五倍も十倍もふえる。
  •  言語文字は精神思想を表示する第一の器械である。
  •  文字の上に事物の分類が現われているのは漢字のみである。
  •  文字の形と語声で脳中に印象付ける漢字は、世道人心の根本である。
西欧の言語学に依っている人々との決定的な違いは、文字を単に言語を写すための道具ではないとし、「精神思想を表示する」ものと考えていることである。》(丸谷才一編著『国語改革を批判する』、大野晋「国語改革の歴史(戦前)」、中公文庫、平成11年)

(高島俊男『漢字と日本人』、文春新書、平成13年)

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