2019年1月30日水曜日

表音的假名遣は假名遣にあらず①

表音的假名遣は假名遣にあらず


橋本進吉

昭和十七年十月『國語と國文學』に發表されたもので、假名遣の發生を歷史的に考察し、語を寫すといふ假名遣の本質を破壞した表音的假名遣の非を論じたもの。橋本は國語學者。東大敎授。

  一


假名遣といふ語は、本來は假名のつかひ方といふ意味をもつてゐるのであるが、現今普通には、そんな廣い意味でなく、「い」と「ゐ」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」、「お」と「を」と「ほ」、「わ」と「は」のやうな同音の假名〇〇〇〇〇の用法に關してのみ用ゐられてゐる。さうして世間では、これらの假名による國語のの書き方が卽ち假名遣であるやうに考へてゐるが、實はさうではない。これ等の假名は何れも同じ音を表はすのであるから、その音自身をどんなに考へて見ても、どの假名で書くべきかをきめる事が出來る筈はない。それでは假名遣はどうしてきまるかといふに、實にによつてきまるのである。「愛」も「藍」も「相」も、 その音はどれもアイであつて、そのイの音は全く同じであるが、「愛」は「あ」と書き「藍」は「あ」と書き「相」は「あ」と書く。同じイの音を或は「い」を用ゐ或は「ゐ」を用ゐ或は「ひ」を用ゐて書くのは、「愛」の意味のアイであるか、「藍」の意味のアイであるか、「相」の意味のアイであるかによるのである。單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味があるのであるから、假名遣は、單なる音を假名で書く場合のきまりでなく、語を假名で書く場合のきまりである

この事は古來の假名遣書を見ても明白である。たとへば定家假名遣といはれてゐる行阿の假名文字遣は「を」「お」以下の諸項を設けて、各項の中にその假名を用ゐるべき多くの語を列擧してをり、所謂歷史的假名遣の根元たる契沖の和字正濫抄も亦「い」「ゐ」「ひ」以下の諸項を擧げて、それぞれの假名を用ゐるべき諸語を列擧してゐる。楫取魚彥の古言梯にいたつては、多くの語を五十音順に擧げて、一々それに用ゐるべき假名を示して、假名遣辭書の體をなしてゐるが、辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない。これによつても假名遣といふものが語を離れて考へ得べからざるものである事は明瞭である。

表音的假名遣といふものは、國語の音を一定の假名で書く事を原則とするものである。その標準は音にあつて意味にはない。それ故、如何なる意味をもつてゐるものであつても同じ音はいつも同じ假名で書くのを主義とするのである。「愛」でも「藍」でも「相」でもアイといふ音ならば、何れも「あい」と書くのを正しいとする。それ故どの假名を用ゐるべきかを定めるには、どんな音であるかを考へればよいのであつて、どんな語であるかには關しない。勿論表音的假名遣について書いたものにも、往々語があげてある事があるが、それは只書き方の例として擧げたのみで、さう書くべき語の全部を網羅したのではない。それ以外のものは、原則から推して考へればよいのである。然るに古來の假名遣書に擧げた諸語は、それらの語一つ一つに於ける假名の用法を示したもので、そこに擧げられた以外の語の假名遣は、必ずしも之から推定する事は出來ない。時には推定によつて假名をきめる事があつても、その場合には、音を考へていかなる假名を用ゐるべきかをきめるのではなく、その語が旣に假名遣の明かな語と同源の語であるとか、或はそれから轉化した語であるとかを考へてきめるのであつて、やはり箇々の語に於けるきまりとして取扱ふのである。

以上述べた所によつて、古來の假名遣は(定家假名遣も所謂歷史的假名遣も)假名による語の書き方に關するきまりであつて、語を基準にしてきめたものであり、表音的假名遣は假名による音の書き方のきまりであつて、音を基準としたものである事が明白になつたと思ふ

(『國語國字敎育史料總覽』、國語敎育硏究會、昭和44年)

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