(安政元年十一月二十七日)
蓋し聞く、皇猷宜を得て寰宇乂安なれば、則ち天地祥瑞の応を表し、庶政明らかならずして民人疾苦せば、則ち陰陽災眚の変を示すと。嗚呼慎まざる可けむや。朕、叨に眇眇の躬を以て、恭みて元元の上に託す。鴻業を纘ぎてより、八たび寒暑を閲し、夙夜祇み畏れて、底寧に遑匪ず。然るに誠物に感ぜず、化遠に覃ばず。元気鬱塞して、祝融祟を為し、宮闕蕩然として、殃閭閻に逮び、洋夷出没して、腥羶薫騰し、辺海靖からずして、士夫を勤労す。加之、六月以来、坤徳常に逆ひて、近畿地震ひ、餘動京に及びて、今に未だ息まず。詳に念ふに、咎徴予一人に在り。大和を導迎して、式て衆変を弭消せしめむことを思ふ。宜しく冠元の名を易へて、普く宥過の沢を施すべし。其れ嘉永七年を改めて安政元年と為し、天下に大赦せよ。今日昧爽以前の大辟以下、罪軽重と無く、已発覚・未発覚・已結正・未結正は、咸く皆赦除せよ。但犯八虐・故殺・謀殺・私鋳銭・強窃二盗、常赦の原さざる所の者は、此の限に在らず。又天下今年の半徭を復せよ。老人及び僧尼、年百歳以上には、穀四斛を給へよ。九十以上には三斛、八十以上には二斛、七十以上には一斛とせよ。庶幾はくは、今より物と与に一新し、上は天譴に答へ、下は人望に協ひ、六府維れ修まり、万方虞無からむことを。天下に布告して、朕が意を知らしめよ。主者施行せよ。
○寰宇乂安 天下太平または国家平安と同じ。「寰宇」は国のうち、「乂安」は安らかに治まること。
○災眚の変 「災変」と同じ。「災眚」は「わざはひ」である。「後漢書」に、「災眚ヲ消救シ、黎元ヲ安輯セヨ。」とある。「眚」は過失を意味する文字で、過失及び災難による犯罪を「災眚」また「眚災」といふこともある。
○底寧に遑匪ず 心を安んずる暇がないといふこと。「底寧」は、「寧に至る」即ち安心である。
○祝融祟を為し 火事が起ることの喩。「祝融」は火の神である。転じて火災の意味に用ゐられてゐる語。「左伝」の昭公二十九年に、「火正ハ祝融ト曰フ。」とある。
○殃閭閻に逮び 多くの民が災難を蒙つたといふこと。「閭閻」は、里中の門を意味する語。村里の人々といふ意味に転用せられる。「史記」の李斯伝に曰ふ。「斯ハ閭閻ヲ以テ、諸侯ヲ歴テ、入リテ秦ニ事フ。」
○洋夷出没 外国人が往来すること。幕末から明治初年には、外国人のことを洋夷と称した。
○腥羶薫騰 なまぐさい獣肉がくすぼりあがるといふ意味の語。不快不穏な空気が漂ふことの喩。「腥羶」は「なまぐさい獣」である。その獣肉を食ふ外国人を罵る語として用ゐられた。「薫騰」は「熏騰」と同じ。「薫」は「熏」に通ずる。
○坤徳常に逆ひ 地上に異変を生ずることをいふ。「坤徳」は、万物を育成する大地の徳である。
○衆変を弭消 多くの災変が再び起らないやうにすること。「弭消」は、「とどめ消す」といふ意味の語である。
○六府維れ修まり 天地がしづかに穏かになること。「六府」は天地の蔵の意味。財用の出づる六つのもの即ち水・火・金・木・土・穀の総称となつてゐる。「書経」の大禹謨に曰ふ。「地平天成ニシテ、六府三事ハ允ニ治マル。」とある。
○万方 四方の国々をいふ。書経の湯誥に、「嗟爾万方ノ有衆」とある。
〔史実〕
孝明天皇の嘉永七年(1854)十一月二十七日、その年を安政元年と改元の旨を仰せ出された。ここに掲げ奉つたのが、その詔である。
嘉永六年六月には、米国の使節ペリーが、軍艦四隻を率ゐて浦賀に来り、国書を齎らして通商を強要し、同年七月には、露国の使節プゥチャーチンが長崎に来り、国境の確定、通商の開始を望む等、外交上の問題が日毎に錯綜した。天皇の御深憂一方ならざりし折柄、嘉永七年六月以来、近畿にしばしば震災が起つたので、本詔の如く、改元を仰せ出されて、天下に大赦を命じたまうたのであつた。
しかるに、天は無情にも災禍を止めず、安政二年十月に至り、江戸に大地震が起り、死傷者が十万餘人の多きに及んだ。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第4巻』(河出書房、昭和15年)
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