2017年9月28日木曜日

再び徳川家茂に賜はれる勅書

(元治元年正月廿七日)


朕、不肖の身を以て、つとに天位をみ、かたじけなくも万世無缺の金甌きんおうを受け、恒に寡徳くわとくの、先皇と百姓とにそむかんことを恐る。就中なかんづく、嘉永六年以来、洋夷しきりに猖獗来港し、國體殆どいふべからず、諸価しよか沸騰し、生民塗炭にくるしむ。天地鬼神、それ朕を何とか云ん。嗚呼、是誰のあやまちぞや。夙夜しゆくや是を思て、やむことあたはず。嘗て列卿武将と是を議せしむ。如何せん、昇平しようへい二百有餘年、威武のもつて外寇を制圧するに足らざることを。若みだりに膺懲の典をあげんとせば、却て国家不測のわざはひに陥らんことを恐る。幕府、断然朕が意を拡充し、十餘世の旧典を改め、外には諸大名の参覲さんきんゆるめ、妻子を国に帰し、各藩に武備充実の令を伝へ、内には諸役の冗員じようゐんを省き、入費を減じ、大に砲艦の備を設く。実に是朕がさいはひのみに非ず、宗廟生民の幸也。且去春上洛の廃典はいてんを再興せしこと、もつとも嘉賞すべし。豈料あにはからんや、藤原実美等、鄙野ひやの匹夫の暴説を信用し、宇内うだいの形勢を察せず、国家の危殆を思はず、朕が命をためて、軽率に攘夷の令を布告し、妄に討幕の師を興さんとし、長門宰相の暴臣の如き、其主を愚弄し、故なきに夷舶いはくを砲撃し、幕使を暗殺し、私に実美等を本国に誘引す。かくの如き狂暴の輩、かならず罰せずんばあるべからず。然りといへども、皆是朕が不徳の致す処にして、実に悔慙くわいざんたへず。朕、又おもへらく、我の所謂砲艦は、彼が所謂砲艦に比すれば、未だ慢夷まんいたんのむに足らず。国威を海外に顕すに足らず。却て洋夷の軽侮を受ん。故に頻に願ふ。いりては、天下の全力を以て、摂海せつかい要津えうしんに備へ、上は山陵を安じ奉り、下は生民を保ち、又列藩の力を以て、各其要港に備へ、いでては、数艘の軍艦を整へ、無𩛞むへう醜夷しういを征討し、先皇膺懲の典を大にせよ。それ去年は将軍久しく在京し、今春も亦上洛せり。諸大名も亦東西に奔走し、或は妻子を其国に帰らしむ。むべなり、費用の武備に及ばざること。今よりは、決して然る可らず。勉て太平因循の雑費を減省げんしやうし、力を同うし、心をもつぱらにし、征討の備を精鋭にし、武臣の職掌を尽し、永く家名をはづかしむること勿れ。嗚呼、汝将軍及び各国の大小名、皆朕が赤子せきし也。今の天下の事、朕と共に一新せんことを欲す。民の財をへらすこと無く、姑息のおごりを為すこと無く、膺懲の備を厳にし、祖先の家業を尽せよ。もし怠惰せば、特に朕が意に背くのみに非ず、皇神の霊にそむく也。祖宗の心にたがふ也。天地鬼神も、亦汝等を何とか云んや。

〔追記〕「藤原実美」は三条実美、「長門宰相」は毛利敬親である。


三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第4巻』(河出書房、昭和15年)

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