(元治元年正月廿七日)
朕、不肖の身を以て、夙に天位を践み、忝も万世無缺の金甌を受け、恒に寡徳の、先皇と百姓とに背んことを恐る。就中、嘉永六年以来、洋夷頻に猖獗来港し、國體殆ど云べからず、諸価沸騰し、生民塗炭に困む。天地鬼神、夫朕を何とか云ん。嗚呼、是誰の過ぞや。夙夜是を思て、止こと能はず。嘗て列卿武将と是を議せしむ。如何せん、昇平二百有餘年、威武の以外寇を制圧するに足らざることを。若妄に膺懲の典を挙んとせば、却て国家不測の禍に陥らんことを恐る。幕府、断然朕が意を拡充し、十餘世の旧典を改め、外には諸大名の参覲を弛め、妻子を国に帰し、各藩に武備充実の令を伝へ、内には諸役の冗員を省き、入費を減じ、大に砲艦の備を設く。実に是朕が幸のみに非ず、宗廟生民の幸也。且去春上洛の廃典を再興せしこと、尤嘉賞すべし。豈料らんや、藤原実美等、鄙野の匹夫の暴説を信用し、宇内の形勢を察せず、国家の危殆を思はず、朕が命を矯て、軽率に攘夷の令を布告し、妄に討幕の師を興さんとし、長門宰相の暴臣の如き、其主を愚弄し、故なきに夷舶を砲撃し、幕使を暗殺し、私に実美等を本国に誘引す。此の如き狂暴の輩、必罰せずんばある可らず。然りと雖、皆是朕が不徳の致す処にして、実に悔慙に堪ず。朕、又おもへらく、我の所謂砲艦は、彼が所謂砲艦に比すれば、未だ慢夷の胆を吞に足らず。国威を海外に顕すに足らず。却て洋夷の軽侮を受ん歟。故に頻に願ふ。入ては、天下の全力を以て、摂海の要津に備へ、上は山陵を安じ奉り、下は生民を保ち、又列藩の力を以て、各其要港に備へ、出ては、数艘の軍艦を整へ、無𩛞の醜夷を征討し、先皇膺懲の典を大にせよ。夫去年は将軍久しく在京し、今春も亦上洛せり。諸大名も亦東西に奔走し、或は妻子を其国に帰らしむ。宜なり、費用の武備に及ばざること。今よりは、決して然る可らず。勉て太平因循の雑費を減省し、力を同うし、心を専にし、征討の備を精鋭にし、武臣の職掌を尽し、永く家名を辱ること勿れ。嗚呼、汝将軍及び各国の大小名、皆朕が赤子也。今の天下の事、朕と共に一新せんことを欲す。民の財を耗すこと無く、姑息の奢を為すこと無く、膺懲の備を厳にし、祖先の家業を尽せよ。若怠惰せば、特に朕が意に背くのみに非ず、皇神の霊に叛く也。祖宗の心に違ふ也。天地鬼神も、亦汝等を何とか云んや。
〔追記〕「藤原実美」は三条実美、「長門宰相」は毛利敬親である。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第4巻』(河出書房、昭和15年)
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