2017年9月24日日曜日

時局重大に際し三策を群臣に御諮詢の御沙汰書

(文久二年五月十一日)


ちんおもふに、方今はうこん時勢じせい夷戎いじゆう猖獗しやうけつほしいままにし、幕吏ばくり措置そちうしなひ、天下てんか騒然さうぜんとして、万民ばんみん塗炭とたんちむとほつす。ちんふかこれうれふ。あふぎては祖宗そそうぢ、しては蒼生さうせいづ。しかるに幕吏ばくりそうしていはく、近来きんらい国民こくみん協和けうわせず、これもつ膺懲ようちようぐることあたはず、ねがはくは皇妹くわうまい大樹たいじゆ降嫁かうかせば、すなは公武こうぶ一和いちわしかして天下てんかちからあはせて、もつ夷戎いじゆう掃攘さうじやうせむと。ゆゑところゆるす。しか幕吏ばくり連署れんしよしていはく、十年じふねんうちかなら夷戎いじゆうはらはむと。ちんはなはこれよろこび、まことぬきんでてかみいのり、もつ成功せいこうつ。昨臘さくらふ和宮かずのみや関東くわんとうるや、千種ちぐさ少将せうしやう岩倉いはくら少将せうしやうをして、天下てんか大赦たいしやことさとさしめ、げていはく、国政こくせいきうりて大概たいがい関東くわんとうまかす、外夷ぐわいいことごときにいたりては、すなはくに一大いちだい重事ぢゆうじなり、國體こくたいかかはものは、ことごとちんひてしかのちさだし、あるひ二三にさん外藩臣ぐわいはんしんをして、あらかじ夷戎いじゆう所置しよちかしめよと。幕吏ばくりこたへていはく、宸意しんいことはなは重大ぢゆうだいにして、にはか奉行ほうかうがたし、しばら猶豫いうよあらむことをと。すでにして頃日このごろ列藩れつぱん謀議ぼうぎたてまつものり。さつちやう二藩にはんごときは、ことしたしくきたりてことそうす。山陽さんやう南海なんかい西国さいこく忠士ちゆうしすで蜂起ほうきして密奏みつそうしてはく、幕吏ばくり奸徒かんとおほく、正義せいぎす、しか王家わうかないがしろにして夷戎いじゆうむつぶ、物貨ぶつくわ濫出らんしゆつして、国用こくよう乏耗ばふかうし、万民ばんみん困弊こんぺいきよくほとん夷戎いじゆう管轄かんくわつくるにいたるや、ならずしてきなり、こひねがはくは旌旗せいきげて、鸞輿らんよ函嶺かんれいほうじ、幕府ばくふ奸吏かんりちゆうせむと。あるひいはく、太平たいへい浸潤しんじゆん游惰いうだへいのぞかむがために、京師けいし奸徒かんとちゆうせむと。又曰またいはく、幕府ばくふかへりみずして、攘夷じやういれい五畿ごき七道しちだう諸藩しよはんくださむと。衆議しゆうぎごときは、ことごと忠誠ちゆうせい憂国いうこく至情しじやうづといへども、ことはなは激烈げきれつにして、さつちやうはいさとして鎮圧ちんあつせしむ。幕老吏ばくらうり久世くぜ大和守やまとのかみすも、往復おうふくて、いま唯諾ゐだくげず。しかして昨臘さくらふさとところ大赦たいしやおこなふ。大樹たいじゆなほわかし。なんしつこれらむ。ただ幕吏ばくり因循いんじゆんにしてやすきぬすみ、撫馭術ぶぎよじゆつうしなふ。かくごとくならばすなは国家こくか傾覆けいふくちてきなり。ちん憂懼いうくす。所謂いはゆる一日いちにちやすきぬすみて、百年ひやくねんうれひわする、聖賢せいけん遺訓ゐくんかんがし。まさうち文徳ぶんとくをさめ、そと武衛ぶゑいそなへて、断然だんぜん攘夷じやういこうつべし。ここおい衆議しゆうぎ斟酌しんしやくし、中道ちゆうだう執守しつしゆして、徳川とくがはをして祖先そせん功業こうげふおこし、天下てんか綱紀かうきらしめむとほつす。りて三事さんじさくす。

いちいはく、大樹たいじゆをして大小名だいせうみやうひきゐて上洛じやうらくし、国家こくかをさ夷戎いじゆうはらはむことをし、かみ祖神そしん宸怒しんどなぐさめ、しも義臣ぎしん帰嚮きかうしたがひて、万民ばんみん和育わいくもとゐひらき、天下てんかをして泰山たいざんやすきせしめむとほつす。

いはく、豊太閤ほうたいかふ故典こてんりて、沿海えんかい大藩たいはん五国ごこくをして、五大老ごたいらうしようせしめ、国政こくせい咨決しけつし、夷戎いじゆう防禦ばうぎよするの所置しよちさしむれば、すなは環海くわんかい武備ぶびは、堅固けんご確然かくぜんとして、かならずや攘夷じやういこうらむ。

さんいはく、一橋ひとつばし刑部卿ぎやうぶきやうをして大樹たいじゆたすけ、越前ゑちぜん前中将さきのちゆうじやうをして大老職たいらうしよくにんじて、幕府ばくふ内外ないぐわいまつりごと輔佐ほさせしむれば、まさ左袵さじんはづかしめけざるべし。万人ばんにんのぞみにして、おそらくはたがはざらむ。

ちん三事さんじけつす。これもつ使つかひ関東くわんとうくだす。けだ幕府ばくふをして三事中さんじちゆういつえらびてもつおこなはしめむとほつするなり。これもつあまね群臣ぐんしんはかる。群臣ぐんしん忌憚きたんするところく、おのおの心丹しんたん啓沃けいよくして、よろしく讜言たうげんそうすべし。


〔追記〕
「千種少将」は千草有文、「岩倉少将」は岩倉具視、「久世大和守」は久世広周、「一橋刑部卿」は徳川慶喜、「越前前中将」は松平慶永である。


三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第4巻』(河出書房、昭和15年)

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