(文久三年六月十七日)
攘夷の存意は聊も相立たず、方今天下治乱の堺に押移り、日夜苦心之に過ぎず候。今度大樹帰府の儀に付ても、段々許さざる趣申張候得共、朕が存意は、少しも貫徹せず、既に帰府治定候事、実以て朝廷に於ても、存分更に貫徹せず、総て下威盛に、中途の執斗已にて、偽勅の申出、有名無実の在位、朝威相立たざる形勢、同朕が不徳の成す所、悲歎至極の事に候。何分にも表に誠忠を唱へ、内心姦計、天下の乱を好み候輩已に候。尾張前大納言の誠忠の段、実々感悦候。格別依頼に存候。三郎上京候はゝ申合せ、一奮発にて、中妨之無き手段厚周旋、皇国の為尽力之有り、先内を専らに相整候辺依頼浅からず候。昨年上京の砌。三郎申入の筋一廉も相立たず、当節尾張前大納言申条相立たざるも、同く姦策の妨と存候。之に依て何分にも此処にて姦人掃攘之無くては、迚も治まらずと存候へば、三郎上京候はゝ、早々申合せ、猶又大樹とも篤と申合せ、始終朕と真実合体にて、寸違無く周旋之有り度候。何分此姿にては、天下乱を催す斗にて、昼夜苦心候間、其辺深く熟考之有り度候事。
周旋に於ては、依頼致し度儀も候へば、速に承知周旋兼て頼み置き候事。
〔追記〕「大樹」は徳川家茂、「尾張前大納言」は徳川慶勝、「三郎」は島津久光である。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第4巻』(河出書房、昭和15年)
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