2017年9月26日火曜日

尾張藩主徳川慶勝に賜はれる宸翰御沙汰書

(文久三年六月十七日)


攘夷の存意はいささかも相立たず、方今天下治乱のさかひ押移おしうつり、日夜苦心之に過ぎず候。今度大樹帰府の儀についても、段々許さざる趣申張まをしはり候得共さふらへども、朕が存意は、少しも貫徹せず、既に帰府治定候事、実以じつにもつて朝廷に於ても、存分更に貫徹せず、総て下威かゐ盛に、中途の執斗とりはからひのみにて、偽勅の申出、有名無実の在位、朝威相立たざる形勢、みな朕が不徳の成す所、悲歎至極の事に候。何分にもおもてに誠忠を唱へ、内心姦計、天下の乱を好み候輩のみに候。尾張前大納言の誠忠の段、実々じつにじつに感悦候。格別かくべつの依頼に存候。三郎上京候はゝ申合せ、ひと奮発にて、中妨なかのさまたげ之無き手段あつく周旋、皇国の為尽力之有り、まづ内を専らに相ととのへへん依頼浅からず候。昨年上京のみぎり。三郎申入の筋一廉も相立たず、当節尾張前大納言申条まをしでう相立たざるも、同く姦策の妨と存候。之に依て何分にも此処にて姦人掃攘さうじやう之無くては、とても治まらずと存候へば、三郎上京候はゝ、早々申合せ、猶又大樹ともとくと申合せ、始終朕と真実合体にて、寸違すんゐ無く周旋之有りたく候。何分此姿にては、天下乱を催すばかりにて、昼夜苦心候間、其辺深く熟考之有りたく候事。

周旋に於ては、依頼致したき儀も候へば、速に承知周旋兼て頼み置き候事。

〔追記〕「大樹」は徳川家茂、「尾張前大納言」は徳川慶勝、「三郎」は島津久光である。


三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第4巻』(河出書房、昭和15年)

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