〔字訓〕の意図するもの
国語表記の方法としての漢字は、まずそれを国語におきかえること、すなわち翻訳することからはじめられた。そしてこの翻訳という作業において、漢字の原義と、国語の本来の意味とが、しばしばみごとな対応を示していることがある。漢字を国語表記として用いることの適合性は、おそらくそのような対応のうちに存したものであろう。
たとえば、里は「
佐刀」とよむ。
吾が里に大雪落れり大原の古りにし鄕に落らまくは後 〔万葉、一〇三〕
において、里は「
我家の
佐刀」
〔万葉、八五九〕であり、
郷は行政区の名で、用義の上で区別されている。この里について、〔説文〕
一三下には「居なり」とあって田と土との会意とし、〔説文繫伝〕に「土聲なり」とするが、声が合わない。それで字を士に従い、士居の地とする説がある。
古い時代の文字には、一般に土が土地一般を示すという表示のしかたはない。土は社の初文(初形)である。たとえば地の初文は墜とかかれるが、神梯の形である𨸏の前に社神を祀り、そこに犬牲をそなえる形である。里の字形に含まれる土も社の意であり、農耕地には必ずこれを祀った。のちに里社というものがそれである。それは一種の祭祀共同体であり、古くは血縁的な社会であったであろう。その支配者は里君とよばれているが、古い氏族社会の族長を意味する語であった。君は古くは女君であり、もとはヒミコのような女の巫祝者であったかも知れない。
国語の「さと」の語源については「
狭処」とする説もあるが、「
霊座」の意とする高崎正秀説がよいように思う。里は山から野に広がるところであるから、狭処とはいえない。「さと」とは「吾家の里」、すなわち「うぶすな」の地である。
この考えからによると、「さか」もあるいは「
霊処」であるかも知れない。柳田説では「さか」は「裂く」ですべて分岐するところをいうとするが、「
磐境」のような語があって、それは高みのところに設けられた神座である。漢字では坂ではなく、阪という。阪は神の降下する神梯の形である𨸏と、反とに従う。反は高処に手をかける形で、攀援の意を示す。〔書経、立政〕に「阪尹」という語があって、そのような聖処を司る者をいう。里と「さと」、阪と「さか」は、おそらくその字と語の構造の基盤にある意識において共通するものがあり、対応する語としてその訓が定まったものであろう。
「さと」と訓ずる字は、〔名義抄〕によると呂・里・村・公・洛・邑・郛・隣・寰・閈・閻・巷・雒・郷・閭閻などがあり、みなその意をもちうる字である。このうち里と郷とが常訓の字であるが、郷はその字源においては卿の食邑、扶持として与えられるところで、「うぶすな」としての村落の意と異なり、わが国では古くは行政的な呼称として用いた。「さと」に里をあててこれを常用の字としたのは、まことに確訓といいうるのである。
情感に関する語にはニュアンスの繊細なものが多く、語の対応を求めにくいものである。「あなおもしろ」「おもしろし」などには対応する字がなく、〔万葉〕では「𢘟怜」の字をあてるが、それは「可怜」、五感としては「うまし」にあたり、〔万葉〕に「
𢘟怜國ぞ」と用いた例もある。
国語には屈折した表現をもつ語が多い。「やさし」は古代語では「恥づかし」の意であるが、語源的にはおそらく「
瘦す」と関係があるらしく「瘦すべくおもふ」がその原義であったかと思われる。〔霊異記〕に「
嗚呼、
恥づかしきかな、
𠫤しき哉」とあるのは、〔最勝王経音義〕に「恡
也不佐之」とある語、すなわち「やぶさか」の意で、𠫤はまた
吝、
悋のようにかかれる字である。「やさし」がのち「
優し」となる過程が、これでは説明しがたいようである。
優は憂に従う字で、憂とは憂ある人、その形は
寡が廟中で亡夫を弔う意の字であることから知られるように、愛する人を失った悲しみをいう。すなわち「瘦すべき」人である。そのことを所作事に演じて神霊を慰めるものが優、すなわち俳優の初義であった。愁いある人の姿は、やさしくみえるものである。それで「やさし」に対応する字として、のちには優を用いる。古訓にはみえない字であるが、語義の展開に応じてその字がえらばれるのである。〔名義抄〕に「優
アツシ マサレリ メグシ ユタカナリ ユルス マス〱 タハフレヤスシ ウレフ スクル」とあるが、この「やすし」の語義がそれに近いものかも知れない。優を「やさし」とよむのは、室町期の〔和玉篇〕や〔音訓篇立〕などに至って、みえるようである。
語義は単純なものから、次第に複雑化するものである。「おもふ」という語は、千思万慮を含むことばである。しかしはじめは、それは「
面ふ」、心が面にあらわれるというほどの意で、きわめて感性的な語であった。〔万葉〕には「おもふ」が七百三十数例あり、半分が仮名、あとは「
念ふ」が五、「
思ふ」が四の割合である。他に意・憶・想が一、二例、〔記〕〔紀〕には惟・懐・欲・以為などもあり、これは散文的語彙とされたのであろう。
思は細と同じく
囱に従う字で、囱は脳の形。くさぐさと思いわずらう意である。念は今の形に従い、今は壺の栓の形であるから、念とはひとり
念いつめる、念じるような心をいう。〔万葉〕の相聞歌が殆ど念と思を用いているのは、かれらがその字義のもつ位相を、直観的に把握していたからであろう。想はその
相を
相るように想い浮かべること、憶は音に従う字で、音とは闇の中からあらわれる神の音ないのように、潜在する意識の中から憶い出されることをいう。懐は衣中に
眔をそそぐ褱に従う字で、死者を哀しむ意である。いまの常訓表には「思う」だけがある。もちろん念願・感想・記憶・追懐のような語は表中にみえるが、この念・想・憶・懐を訓でよまずに、どうして理解させようとするのであろうか。またよむならば、どうしてその訓を拒否するのであろうか。これらはすべて、命令することを好む権威主義の病弊であるのではないか。
「はかる」という語も、語義のひろいものであるが、もとは「はか」、すなわち農作業の一定量を動詞とした語であった。
秋の田の穗田の刈ばかか寄りあはば彼所もか人の吾を事なさむ 〔万葉、五一二〕
の「刈ばか」とは、その工程をいう。〔名義抄〕には計・量・謀・圖など約百字に近い同訓の字がある。計は占卜の計数で、吉凶の数によってものを決すること。量は
東の形に従う字で穀量をはかり、のち重量をはかる意となる。謀は某に従い、某は榊の枝などに申し文の曰をそえた形で、神意を問い謀ることをいう。図(圖)は啚に従い、啚は鄙の初文で穀倉の形。その所在地を図形化したもので、屯倉・荘園の図にあたる。従って地図を原義とするが、その農耕地の経営を
図る意ともなった。「はか」は「はかどる」「はかばかし」「はかなし」などの語幹で、もと単純な作業をいう語であったが、百に近い漢字の「はかる」という訓義は、すべてこの一語に吸収、収斂されて、それはひろい語義領域をもつ語となった。
政治行政をつかさどるものを「つかさ」という。「つかさ」は「つか」に接尾語「さ」をそえたもので、小高いところで指揮するものをいう。「
小高る
市の
高處」
(〔古事記歌謡、一〇一〕)や「野づかさ」
(〔万葉、三九一五〕)という語もあって、「つかさ」とは現場の指揮者をいい、小役人の類である。〔名義抄〕に「つかさ」と訓ずる字は工・職・曹・典・院・寮・官・局・全・爵・署・司、「つかさどる」と訓ずるものに使・御・當・賞・掌・主・守・尸・序・管・籍・尙・宰などがあり、それらの字は軍事・祭祀・行政・制作・宮廷の各分野に及ぶ。現場監督の「つかさ」だけでことがすんでいたとすれば、漢字を受容した当時の国語の社会的状況は、そのようなものであったのであろう。
近ごろ、エミール・バンヴェニストの〔インド=ヨーロッパ諸制度語彙集〕Ⅰの訳書が出て、ソシュール以後の言語的著作の中で最も注目すべき書であるという。そこにはインド・ヨーロッパ語系のなかでの語形の相違によって、その社会の基底にある意識構造の問題が、その言語の形態を通じて比較研究されている。しかしもしこのような比較研究を試みるとすれば、同じ語系中の単なる語形の変化のうちにこれを求めるのでなく、たとえば孤立語と膠着語との語意識の全面的な対応の関係のうちにこれを求めてこそ、はじめてそのような問題意識にこたえうるものとなるであろう
*1。私の〔字訓〕は、究極においては、そのような比較研究の場として、漢字と古訓の全体的対応の問題を提出しようとするものであり、そのような問題意識の上に、その解説を試みたものである。
〔字統〕における文字学的な課題、また〔字訓〕におけるこのような比較言語学的な問題は、従来のヨーロッパの言語学には全く存在しなかったものといってよい。この豊沃な土壌の上に、多くの人々が、それぞれの営みを試みられることを願っている。それは豊穣な国語を生み育てるためにも、必ずや役立つであろうことを信ずるのである。
*1――孤立語である中国語と、膠着語である国語との間には、語系が異なるものであるから、従って語としての関係は何もない。オノマトペのように、本源的に類似しうるものを除いては、語形の類似ということもありえない。しかしそのなかで、たとえば国語において、「まねぶ」と「まなぶ」とは一系をなす語であるが、漢字においては「
效す」と「学ぶ」は效 heô、学 heukのように音の系列をなす語であった。また国語において「
翫る」と「習ふ」は一系をなす語であるが、漢字では翫・習はともに習の形をもち、習とは祝詞を入れた器の形である曰の上を羽で
摺って、神がその祈りを受け入れることをしきりに求める意で、「しばしばくりかえす」意をもつ字である。それが「なれる」ことであった。このように、それぞれのもつ語の系列の間に、相互に対応の関係をもつということが、語の比較研究を可能にする、最も重要な条件である。
(白川静『文字遊心』、平凡社ライブラリー、平成8年)