2019年1月7日月曜日

国語改革四十年――1 漢字をやめようという運動②音標文字論

音標文字論


もう一つの主張が、音標文字論である。

西洋の言語と日本の言語との最も大きなちがいは、西洋では音標文字をもちいているのに対して日本では漢字をもちいていることである。すなわち進んだ言語は音標文字をもちいるのである。であるから日本も音標文字を採用して、進んだ言語に脱化しなければならない――とこれら論者は主張した。

西洋の言語と日本の言語、と言いながら文字のことばかり気にするのは甚だ奇妙だが、従来日本の知識人は、書物をつうじて異文化をとり入れてきたので、文字がことばであると思っていたのである。

音標文字(Phonogram)というのは、意味にかかわりなく、音のみをしるす文字である。アルファベットは音標文字である。catは、c、a、tの各文字は何らの意味を持たず、catという三字のくみあわせによって〔kæt〕という音をあらわし、〔kæt〕とよばれる動物を示す。日本語のかな表記「ねこ」「ネコ」も同様である。「表音文字」と言ってもおなじことだが、明治時代にはphonogramのことを「音標文字」と言ったし、いまもおおむねそうであるので――みなさんが英語の辞書でphonogramをひいたら「音標文字」と出ていると思う。あんまり小さな辞書だとそもそもphonogramという単語そのものが出てないかもしれませんけどね――「音標文字」と言うことにしておきます。

アルファベットやかなのような音だけをあらわす文字に対して、漢字は、一字一字が一つ一つのことば(単語)をあらわしている。これを「表語文字」とよぶ。「猫」という字は猫ということばをあらわす。

漢字を「表意文字」と言う人があるがそれは不適当である。漢字は「意」のみをあらわしているのではなく、これまで再々言ったように「語」をあらわしている。

典型的な表意文字は算用数字ですね。1を日本人はイチと言い英米人はoneと言いドイツ人はeinsと言い、その他各言語によってみなちがう。1、2、3……は「意」のみをあらわしている。特定の音を持たない。すなわち特定の「語」を表記したものではない。その他、天気予報のお天気マークや傘マークなどもそうで、「意」のみを持っている。道路入口の「🚫」は「自動車はここから先へはいってはいけませんよ」の意味をあらわし、塀の「⛩」は「ここでおしっこをしてはいけません」の意味をあらわす。まあああいうのが「表意文字」でしょうね。

音標文字を採用するというのは、すなわち漢字を廃止することである。したがって「音標文字論」と「漢字廃止論」とはおなじものである。

日本政府は明治三十年代にいたって、音標文字化を国の方針とした。
〔引用者註〕《……国語学者上田万年かずとし(一八六七~一九三七)を主事として一九〇二年に発足した文部省国語調査委員会が、調査方針を同年七月に以下のように定めた…
 一 文字ハ音韻文字(「フォノグラム」)ヲ採用スルコトヽシ仮名羅馬字ローマじ等ノ得失ヲ調査スルコト
 二 文章ハ言文一致体ヲ採用スルコトヽシ是ニ関スル調査ヲ為スコト
 三 国語ノ音韻組織ヲ調査スルコト
 四 方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト
 こうして、適宜臨時委員や補助委員を任命しながら活動を開始した。
 明治初期においては一部知識人が主張するだけだったが、一九〇〇年前後に、官主導によって「国語」をつくりあげることが具体的に始まったのである。
 この方針「一」は裏返せば漢字廃止の宣言である。この宣言の基礎には、「二」とも関連するが、それまでの書きことばの中心であった漢文訓読体からの離脱のための漢字の排除という志向があった。さらに上田などが学んできた近代西洋言語学では文字よりも音声に分析の重点がおかれていたことの影響もある。》(安田敏朗『国語審議会 迷走の60年』、講談社現代新書、平成19年)

(高島俊男『漢字と日本人』、文春新書、平成13年)

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