中途半端なまま
しかし保科孝一や松坂忠則のもくろみは頓挫した。当用漢字は音標文字化(すなわち漢字全廃)という最終目標にむかう道筋の一里塚だったのだが、その一里塚のところで、中途半端なままとまってしまった。
これはたとえば、あの地名改変のようなものだ。地名をわかりやすく合理的に、と主張する人は戦前から数多くあった。戦後二十年ほどのあいだの町村合併や町名変更による新地名はその主張にそっておこなわれた。気がついてみると、日本中で何千何万という地名が消えうせていた。この段階になって、由緒ある地名を守ろう、と訴える組織があちこちにできて役所の暴挙に反対しはじめた。最初役所が地名征伐をはじめた時、これは困ったことだと思った人は数多くいたのだが、どうしていいかわからず、アッケにとられて役所のやることを見ていたのである。やっと組織を作って声をあげはじめた時には、すでにあまたの地名が消されていた。しかし反対の声が大きくなると、いったん失われた地名はもうもどらないが、地名征伐のいきおいはとまった。そうなると、かつて地名の簡易化、合理化を主張していた人たちは、いったいどこへ消えてしまったのかと思うくらい、姿を見せなくなった。
国語改革もこれと同様で、知識人たちが組織をつくって反対の声をあげ、撤回を要求しはじめると、撤回はしないが、進行はとまった。そうすると、漢字全廃、音標文字化を主張していた人たちは、ほとんど姿を見せなくなってしまった。かつて松坂忠則にひきいられていたカナモジカイは、いまもあることはあるが、非常に弱体化して、片手でかぞえるほどの人が何とかささえているらしい。社会的な影響力はゼロと言ってよい。ローマ字会も、あることはあるのだろうが、消息を聞かない。どっちにしても、戦略と、実現の見通しとをもって、本気で日本の文字を音標文字にかえる活動をやっているとは思えない。
〔引用者註〕前にも註で書いたやうに、社会が健全さを取り戻せば、かういふ愚かな流れは食ひ止めることが可能なのである。それと同時に、さういふ運動で盛り上がつてゐた人達も、いつの間にやら姿を消してしまふものである。近年も毎年のやうにさういふ光景が繰り返されたが、我々は、さういふヤカラが跋扈するのは、社会が健全さを失つてゐる証拠であることを銘記しなければならないのである。しかし、いまはかくも気息奄々たる集団がかつてあげた戦果は、ゆるぎもなく厳存して日本の教育を支配しつづけ、ほとんどの日本人が、ちょうどこれくらいがよい、と思っているのであるから、既成事実というものはおそろしい。おそらく地名についても、もうしばらくすれば、その地名の土地で生れ育った人たちが日本人の大部分をしめ、ちょうどこれくらいがよい、と思うようになるのであろう。
〔引用者註〕この著者にとつては残念なことであらうが、平成の御代も終りに近づき、所謂「揺り戻し」が起きようとしてゐるのである。社会といふものは、たとへ左右どちらかに大きくブレたとしても、そのままの状態では永く保てないで、最も無理のない自然な状態に揺り戻らうとするものなのである。これは、社会の自己治癒力が作用するからなのである。保科孝一は、一貫して事態のなりゆきを楽観したまま、国語改革反対の声が強くなるすこし前、昭和三十年に死んだ。将来の日本人を過去の日本人から切りはなしてしまった以上、多少時間はかかっても、音標文字化の方向にすすむことはまちがいない、と彼は確信していた。戦後の改革によってわれわれの勝利はさだまった、と彼は書いている。
国語審議会は以後も惰性的に存続したが、ごく微温的な、無力なものになった。前向きに、理想の実現に邁進する気力はない。そもそも国語審議会というのは本来、全面的音標文字化を推進するために政府がもうけた機関なのだということさえ、すっかり忘れ去られているかっこうである。さりとて戦後の改革を根本的に再検討するつもりもさらさらない(わたしは近年国語審議会委員になった人に「戦後改革の理念の破綻はあきらかなのだから根本的に見なおすつもりはないのですか」ときいてみたことがある。答は、「あれはあのかたたちがやったことなのだから、わたしたちがそれを見なおすとか見なおさないとかの問題ではない」ということであった)。ときどき若干の手なおしをする機関になった。たとえば、使用できる文字の範囲はかえないが、うまれた子どもにつける名前については、それ以外にこの範囲の文字なら許容しよう、といくつかの文字を追加する、といったふうな。
使用を許す文字の数も、その後五十年のあいだに、ほんのわずかだがふえた。主として、改革を最も強く支持した新聞が、この範囲では記事が書きにくい、と増加を要求したからである。国語審議会に松坂忠則ががんばっていたあいだは、文字の数をふやせば、かならずそれとおなじ数の文字をへらして総数がかわらないようにしていたが、松坂が昭和三十六年に退任してからは、ふやしてもその分をへらさなくなったので、総数がすこしふえたのである。
〔引用者註〕彼らの自分勝手ぶりは流石としか言ひやうがないのである。全ての主張が自己都合なのである。インターネットの発達のお陰で、この自分勝手ぶりが多くの人に知れ渡つて本当によかつたと思ふ。今やインターネットこそ真の社会の公器と呼ぶに相応しいのではないだらうか。
(高島俊男『漢字と日本人』、文春新書、平成13年)
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