2019年1月21日月曜日

国語改革四十年――3 当用漢字の字体⑤文字は工業規格ではない

文字は工業規格ではない


こんにちのごとく、多くの人が機械(ワープロ、パソコン、等々)を使って文章を書くようになると、人がどういう字を「書く」かをきめるのはその人の知識でも手でもなく、機械にあらかじめくみこまれている文字である。それを一手ににぎっているのがJIS(日本工業規格)である。たとえば人が「川幕府」と書きたいと思ってもJISには「徳」しかないのだから「徳川幕府」でがまんするほかない。西盛と書こうと思ってもJISには「郷」「隆」しかないから「西郷隆盛」と書くほかない。上に言ったごとく、德、鄕、隆は徳、郷、隆に「包摂」されている、とJISは言うのである。現在の機械の能力をもってすれば正字を入れることは容易なのだが、JISはそれを拒否しているのである。

東京大学の坂村健先生が、文字を「どこかでだれかが仕切るというのはよくない」「コンピュータの文字セットを決めているのが工業規格ではあまりではないでしょうか? 文化規格なのです。今や工業規格ではないのです」と言っていらっしゃる。まことにそのとおりである。

コンピューターの文字に関するかぎり、ガンはJISである。わたしは以前あるところにJIS漢字を批判する文章を書いたことがある。そうしたらJISから長い手紙が来た。その内容は、要するに「JISの規格票を精読もしないでJIS漢字に対して批判がましいことを言うな」というのである。「規格票」とは何か伝票かカードみたいな名前だが、いったい何なのだろう?「規格票も精読しないで」と言うからには、見たいと思えばだれでも見られるものかと思ったら、それがそうではなかった。わたしは人にたのんでやっとのことでコピーを一部手に入れた。伝票やカードどころか、電話帳のような部厚い大きな本である。無論JISが作ったもので、一種の内部文書――すくなくとも一般の人には容易に見る機会も、またその必要もないものである。まさしく「工業規格」で、文字に数字をあてて処理し、管理するための手引書だ。そういう、JISの人ないしJISに近いところにいる人(経済産業省の工業規格関係の人など)でもなければ用のないものを、名前だけ持出して「規格票を見もしないでJIS漢字に対して文句を言うな」と言うのである。「日本の文字はおれたちが仕切るのだ」という傲慢まる出しだ。機械にくみこまれている文字はすべて、その一つ一つに長い数字があたえられており、その数字をつうじて画面上によび出されるようになっているのであるらしい。その数字をにぎっているからこわいもの知らずなのである。

しかし、文化としての文字をこんな連中にまかせておいてはならない。だいたいが工業技術者であるから、ことばや文字に見識があるわけでも愛情があるわけでもない。工業技術の対象としてしか見ない。拡張新字体をどんどんつくって番号をあたえ、正字を抹殺してしまったのがこの連中である。

文字は過去の日本人と現在の日本人とをつなぐものであるのだが、こうした人たちはそんなことはすこしも意に介しない。いま文字を使う人、それも官庁や会社の実務で使う人のことだけを念頭において文字を管理している。文化遺産としての文字をJISの手から解き放つことが緊急の課題である。

(高島俊男『漢字と日本人』、文春新書、平成13年)

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