〔備考〕明治二年九月二日「新刑律選定に就き集議院に下し給へる御下問」謹解参照。
〔史実〕
既に述べたとほり、明治維新の直後には、江戸時代の刑法を改めて、暫定的にこれを適用した。しかし、新刑法の制定を急務とする者も少くなかつたので、明治二年、刑部省に勅してこれが選定を命ぜられたことは、「新刑律選定に就き集議院に下し給へる御下問」の謹解中に略説しておいた。刑部省に於ては、勅命を奉じて、新刑法の選定に着手し、明治三年十二月、「新律綱領」の草案を奏進した。そこで、十二月二十日に、この上諭を賜はり、これを頒布せしめたまうたのである。
「新律綱領」は、大宝の古律に、明及び清の刑律を参酌し、寛恕軽減の聖旨を体して、時代に適応するやうに立案したものである。六巻より成り、律名を掲げて、(一)名例律(上下)、(二)職制律、(三)戸婚律、(四)賊盗律、(五)人命律(上下)、(六)闘殴律、(七)罵詈律、(八)訴訟律、(九)受贓律、(一〇)詐偽律、(一一)犯姦律、(一二)雑犯律、(一三)捕亡律、(一四)断獄律の十四律とし、八図・一百九十二条とした。正刑を死・流・徒・杖・笞の五種に分ち、別に
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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