〔大意〕
朕がつつしんで考へて見るのに、神器は、天祖(天照大神)の尊い御霊のやどるところで、御歴代の天皇が御奉仕なされて、天ッ神から承けつがせられた御事業を行ひたまうたところのものである。今、朕は、及ばない身を以て、国の政治が昔にかへつた時に当り、忝くも天皇の御位をついだ。新に神殿を造り、神器と御歴代天皇の御霊とを、ここに奉安し、その威を仰いで、すべての政をしようと思ふ。汝等多くの官人も、この旨を心得ておくやうにせよ。
〔史実〕
ここに謹載したのは、明治四年九月十四日、宮中の神殿に、神器と御歴代皇霊の遷座奉安を仰せ出された詔である。
御歴代の皇霊が、天神地祇並に八神と共に、神祇官内に鎮祭せられてゐたことは、既に明治三年正月三日の「神霊を鎮祭し給へる詔」の謹解中に述べておいた。しかるに、明治四年八月八日、官制改正の結果、神祇官が廃せられて、神祇省の設置となつた。そこで、皇霊の御遷座となつたのである。翌年(明治五年)三月には、また神祇省が廃せられて、教部省の新設となつた。かくして、神祇官に奉斎せられてゐた御歴代皇霊と、天神地祇及び八神の神霊とは、相次いで宮中の神殿に遷座せられるに至つたのである。
〔追記〕宮地直一氏の「神社綱要」に曰ふ。「上記行政機構の改正(明治四年・五年の改正)は、頗る遠大な目的に出で、今後久しきに亘る方針の樹立を期せんとする意図の許に行はれたもののやうに思はるゝ。それは何故かと云ふに、当時神祇官の管掌した事務は、祭祀と宣教との二者に大別せらるゝ中で、先づ祭祀に就いては、永久に不変の根本的典礼として最高の取扱に出るべきであるとし、仍つて神祇省の廃止とともに、之を式部寮に移して、歳時祀典の執行に当らしめらるゝこととなつたので、之に先立つ左院の建議にも、
一、斎祀ハ皇上親シク百官トトモニ之ヲ管シ、式部寮ヲ以テ祭享ノ礼式ヲ掌判セシムヘキ事、
とある。以て当局の意向を推知するに足るであらう。因みにいふ、式部寮は当時太政官にあつたが、十年九月より宮内省に隷し、後式部職となつた。祀典のことは職内の掌典部に於て之を掌り今日に至る。」
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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