(明治四年九月三日)
汝等、積年苦労シ、以テ今日ニ至ル。所謂実力ナル者、全ク汝等服役スルニ在リ。朕、甚タ之ヲ嘉トス。殊ニ、方今、外交内務、日新ノ時ニ当リ、邦家ノ盛衰ハ実ニ兵ノ強弱ニ存ス。汝等、深ク朕カ意ヲ体シ、弥以紀律厳明、衆心一致シ、励精尽力セヨ。
〔史実〕
明治四年九月三日、兵部大輔・兵部少輔及び少佐以上の御親兵に、この勅語を賜はり、積年
(多年)の苦労を嘉みせられ、外交も内務も日々に進んで行く時勢に、その任務の重大を自覚して、ますます励精尽力するやうにと御諭告あらせられた。兵部大輔及び同少輔は、何れもみな当時の職名である。明治二年七月の官制によれば、兵部省は、海陸軍・郷兵・招募・守衛・軍備・兵学校等に関する事務を所管とし、卿一人、
大輔一人、少輔一人、外に大丞・権大丞・少丞・権少丞・大録・権大録・少録・権少録・史生・省掌・使部等の職員を置いた。「御親兵」といふのは、兵部省に直隷し、宮城の護衛に当つた軍隊の名称である。明治四年二月、この御親兵の制度が設けられ、鹿児島・山口・高知の三藩から、総数約一万人の御親兵を徴せられた。御親兵は、後に改称して、近衛兵といつた。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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