2017年11月21日火曜日

文部省雇外国人に下し給へる勅語

米国人フルベッキに下し給へる勅語

(明治四年十月五日)

汝ナンヂ久ヒサシク我邦ワガクニニ在アリ、教導ケウダウヲ奉ホウシ生徒セイトヲ訓導クンダウス。朕チン深フカク之コレヲ嘉ヨミス。汝ナンヂノ才学サイガク浩博コウハクニシテ、能ヨク薫陶クンタウノ功コウヲ奏ソウシ、後進コウシンヲシテ其ソノ成業セイゲフヲ速スミヤカナラシム。尤モツトモ欣喜キンキスル所トコロナリ。爾後ジゴ益〻マスマス勉励ベンレイシ、学術ガクジユツヲ盛サカンニセンコトヲ望ノゾム。


〔史実〕
明治四年十月五日には、明治維新前後に於て、我が国の文化に貢献した多くの外国人に、優渥なる勅語を賜はつた。文部省雇米国人フルベッキ、同ドイツ人ミュルラ、同ホフマン、同ホルツ、工部省雇英国人カーケル、同ブラレトン、同仏国人ウエルニー、同チボジー等は、何れもみなその優詔を拝した人々であつた。これは、米国人フルベッキに下し賜はつた勅語である。

フルベッキは、西暦紀元一八三〇年(天保元年)に、オランダのノゼリストに生れ、アメリカに渡り、アアブルの神学校に学んだ。安政六年に来朝し、幕府の命により、八年間長崎に於て教育に従事し、明治二年、大学南校に聘せられて、語学・学藝の教師となり、明治六年まで在職し、後に政府の翻訳顧問となり、元老院に職を奉じた。ナポレオン法典を紹介し、医学に関する進言をなす等、明治初年の文化に貢献した功労は、頗る著しいものがあつた。就いて学んだ者の中には、新政府の首脳として活躍した者も少くなつた。


独逸国人ミュルラ及びホフマンに下し給へる勅語

(明治四年十月五日)

汝等ナンヂラ独逸ドイツ政府セイフノ命メイヲ奉ホウシ、我邦ワガクニニ来キタリ、東校トウカウ医学イガクノ教導ケウダウヲ負任フニンス。汝ナンヂノ学力ガクリヨク精詣セイケイナル、曾カツテ是コレヲ聞キク。爾来ジライ益〻マスマス教導ケウダウニ勉励ベンレイシテ、生徒セイトノ日ヒヲ追オツテ進歩シンポセンコトヲ望ノゾム。


独逸国人ホルツに下し給へる勅語

(明治四年十月五日)

汝ナンヂ独逸ドイツ政府セイフノ命メイヲ奉ホウシ、我国ワガクニニ来キタリ、南校ナンカウ生徒セイト教育ケウイクノ事コトヲ負任フニンス。汝ナンヂ教則ケウソクヲ立タテ教導ケウダウニ力チカラヲ尽ツクスト聞キク。爾来ジライ益〻マスマス生徒セイトヲ薫陶クンタウシ、我ワガ学校ガクカウノ日ヒニ隆盛リユウセイナランコトヲ望ノゾム。


三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)

0 件のコメント:

コメントを投稿