(明治四年十月二十二日)
朕惟フニ、宇内列国、開化富強ノ称アル者、皆其国民勤勉ノ力ニ由ラサルナシ。而シテ国民ノ能ク智ヲ開キ才ヲ研キ、勤勉ノ力ヲ致ス者ハ、固リ其国民タルノ本分ヲ尽スモノナリ。今我国旧制ヲ更革シテ、列国ト並馳セント欲ス。国民一致、勤勉ノ力ヲ尽スニ非レハ、何ヲ以テ之ヲ致スコトヲ得ンヤ。特ニ華族ハ、国民中貴重ノ地位ニ居リ、衆庶ノ属目スル所ナレハ、其履行固リ標準トナリ、一層勤勉ノ力ヲ致シ、率先シテ之ヲ鼓舞セサルヘケンヤ。其責タルヤ亦重シ。是今日朕カ汝等ヲ召シ、親ク朕カ期望スル所ノ意ヲ告クル所以ナリ。夫レ勤勉ノ力ヲ致スハ、智ヲ開キ才ヲ研ヨリ外ナルハナシ。智ヲ開キ才ヲ研ハ、眼ヲ宇内開化ノ形勢ニ著ケ、有用ノ業ヲ修メ、或ハ外国ヘ留学シ、実地ノ学ヲ講スルヨリ要ナルハナシ。而年壮ヲ過キ、留学ヲ為シ難キ者モ、一タヒ海外ニ周遊シ、聞見ヲ広ムル、亦以テ智識ヲ増益スルニ足ラン。且我邦女学ノ制未タ立タサルヲ以テ、婦女多クハ事理ヲ解セス。殊ニ幼童ノ成立ハ母氏ノ教導ニ関シ、実ニ切緊ノ事ナレハ、今海外ニ赴ク者、妻女或ハ姉妹ヲ挈テ同行スル、固ヨリ可ナルコトニテ、外国所在、女教ノ素アルヲ暁リ、育児ノ法ヲモ知ルニ足ルヘシ。誠ニ能ク人々此ニ注意シ、勤勉ノ力ヲ致サハ、開化ノ域ニ進ミ、富強ノ基随テ立、列国ニ並馳スルモ難カラサルヘシ。汝等能ク斯意ヲ体シ、各其本分ヲ尽シ、以テ朕カ期望スル所ニ副ヘヨ。
○宇内列国 世界の国々。
○開化 文化の進歩を意味する語。世の中がよく開けて、人の知識が進むこと。顧覬之の定命論に、「夫レ極ヲ建テ化ヲ開キ、声ヲ樹テ則ヲ
貽シ、典防之興、由来
尚シ矣。」とある。明治の初年には、西洋風に倣ふことを文明開化と称したこともあつた。
○並馳 ならびはしる。肩を並べて同じやうに進んで行くこと。
○衆庶ノ属目 「多くの人々が目をつけてゐる」といふこと。「属目」は、「嘱目」の文字を用ゐることもある。「注目して視る」ことである。「晋書」秦献王東伝に曰ふ。「其ノ貴寵ハ天下ノ属目スル所ト為ル。」
○履行 「日常の行為」をいふ。「説苑」に、「始メ之ノ文ヲ誦シ、今履ミテ之ヲ行フ、是レ学ノ日ニ
益明カナル也。」とあるやうに、「ふみ行ふ」即ち「実行」といふ意味の文字であるが、転じては、「品行」と同じ意味に用ゐられる。
○標準 「目あてとすべきのり」即ち「手本」である。韓愈の伯夷頌に曰ふ。「聖人ハ乃チ万世之標準也。」
○鼓舞 「大いにはげます」こと。「激励」と同じ。「
鼓を鳴らして
舞はしめる」といふ字義から、人を感動させて、発奮興起せしめる意味に転用せられてゐる語。「法言」に曰ふ。「万物ヲ鼓舞スルハ、其レ唯ノ風雷
乎。万民ヲ鼓舞スルハ、其レ号令
乎。」
○聞見 「見聞」と同じ。耳で聞き目で見て、知識を収得すること。
○切緊 「緊切」と同じ。「甚だ大切」といふこと。
○挈テ 「提」と同じ。「手に持つ」といふことから、「伴ふ」といふ意味に転用せられてゐる語である。
〔大意〕
謹約。「世界の諸国を観るに、開化富強といはれてゐる国は、みなその国民の勤勉の力によるものである。我が国も、旧制を改めて諸外国と並び立つには、国民が勤勉にその本分をつくさなければならない。殊に華族は国民の最高地位にあり、その行が多くの者の手本になるから、一そう勤勉といふことが肝要である。勤勉の力を発揮するには、智識を進め才能をみがかなければならない。それには、外国へ留学するのが最もよい。既に壮年を過ぎて留学し難い者も、一度海外をめぐつて見聞をひろめるやうにすることを必要とする。我が国には、まだ女学校の制度が立つてゐない。幼童の成育には、母の教導が最も大切である。故に、外国へ留学する者は、妻女か姉妹を同伴するがよい。外国の女子教育の進歩もわかり、育児の法にも通ずることが出来る。多くの華族がここに注意すれば、我が国は、ますます開化富強となり、列国と並び進むことが難くないであらう。」
〔史実〕
ここに謹載したのは、明治天皇が、明治四年十月二十二日に、在京の華族を召したまうて、海外留学を御奨励あらせられた勅諭である。翌年(明治五年)六月一日には、御西巡の途次、京都府の華族にも、同じ御趣意の勅諭を下し賜はつた。勅諭の中には、「我邦女学ノ制未タ立サルヲ以テ、婦女多クハ事理ヲ解セス」と仰せられ、更に「殊ニ幼童ノ成立ハ母氏ノ教導ニ関シ、実ニ切緊ノ事ナレハ」と仰せられて、女子教育の不備とその必要を御訓諭あらせられてある。江戸時代に於ては、女子教育を全く閑却してゐた。久しき因襲により、女子教育の必要を認める者が少く、中には公然と無用論を唱へる者さへもあつた。さうした時代の趨勢に反し、明治四年、既にかくも明らかに女子教育の必要を告げさせられて、華族の反省を促したまうたのは、聖慮深慮、寔に恐懼に堪へないことである。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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