(明治四年五月)
大日本国天皇、敬テ大清国皇帝ニ白ス。方今、寰宇ノ間、交際日日盛ナリ。我邦、既ニ泰西諸国ト信ヲ通シテ往来セリ。況ンヤ隣近貴国ノ如キ、固リ宜シク親善ノ礼ヲ修ムヘキナリ。而シテ未タ使幣ヲ通シ、和好ヲ結フコトアラサルヲ、深ク以テ憾ト為ス。乃チ特ニ欽差大臣従二位行大蔵卿藤原朝臣宗城ヲ派シ、以テ貴国ニ遣ハシテ誠信ヲ達セシム。因テ委スルニ全権ヲ以テシ、便宜事ヲ行ハシム。冀クハ、貴国交誼ヲ思ヒ、隣交ヲ篤クシ、即チ全権大臣ヲ派シ、会同酌議シ、条約ヲ訂立シテ、両国慶ヲ蒙リ、永久渝ラサランコトヲ。乃チ名璽ヲ具ヘ、敬テ白ス。伏シテ祈ル、皇帝ノ康寧万福ナランコトヲ。
〔史実〕
ここに謹載したのは、明治四年五月、大蔵卿伊達宗城を欽差大臣として清国に遣はされ、修好条約を締結せしめたまうた時、清国皇帝に賜はつた国書である。修好条約の締結については、前勅「伊達宗城を清国に遣はし給へる勅」の中に、その顚末を略述しておいた。本勅は、文辞平易、聖旨も明らかに拝し得られる。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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