2017年10月26日木曜日

輔相議定参与三職登庸の詔

(明治二年五月十三日)


チンオモフニ、治乱チラン安危アンキモトハ、任用ニンヨウ其人ソノヒトウル不得エザルトニアリ。ユヱイマツツシン列祖レツソレイツゲテ、公選コウセンハフマウケ、サラ輔相ホシヤウ議定ギヂヤウ参与サンヨ登庸トウヨウス。神霊シンレイ降鑑カウガンアヤマチナカランコトヲス。汝衆ジヨシユウ、ソレ斯意コノイホウセヨ。

治乱チラン安危アンキモト 国が治まつて安らかになるか、乱れて危くなるか、その何れかに決する本といふこと。

列祖レツソ 御歴代の天皇。

公選コウセン 多くの人を集めて、その中から、適当な方法により、豫め定まれる任務を担当する適任者を選ばしめることをいふ。

輔相ホシヤウ議定ギヂヤウ参与サンヨ 何れもみな当時の職名。「史実」の中に説く。

登庸トウヨウ 「登用」と同じ。適任者をあげてこれを用ふること。「書経」の堯典に曰ふ。「ダレヒテ時ニシタガハンモノヲ登庸アゲモチヰン。」

神霊シンレイ降鑑カウガン 「神のみたまも御覧ください」といふ神に対する誓の御言葉である。「天地の神も照覧あれ」といふに同じ。文字のとほりにいへば、「神霊」は、「神のみたま」である。しかし、「大載礼」には、「陽之精気ヲ神ト曰ヒ、陰之精気ヲ霊ト曰フ。」といふ解釈がしてある。また「列子」の湯問篇には、「神霊ノ生ズル所、其ノ物異形。」とあり、霊妙なる造化の神を意味する語として用ゐられ、「史記」の五帝紀には、「生ニシテ神霊、弱イニシテ能ク言フ。」とあり、すぐれたる才能の意味に用ゐられてゐる。「降鑑」は、「降鑒」とも書く。天界から下界を監視するといふ意味の文字である。「詩経」王風の伝に、「上ヨリ降鑒スルヲ、則チ上天ト称ス。」とある。また神が人に加護を垂れたまふ意味にも用ゐられる。神武天皇紀元四年二月の詔には、「我が皇祖みおやみたまや、あめより降鑒くだりひかりて、光助てらしたすけたまへり。」と仰せられてある。


〔大意〕
朕が考へて見るのに、国が安らかによく治まると、乱れて危くなるとの本は、それぞれの地位に適当な人を用ゐると用ゐないとにある。故に、今つつしんで御歴代の天皇の御霊に告げて、公選の法を設け、更に輔相・議定・参与を挙げて用ゐるのである。神々に誓つて間違ひのないやうにと心がけてゐる。汝等多くの者も、このこころに従つて行へ。


〔史実〕
明治二年五月十三日、明治天皇には、太政官に臨御あらせられて、三等官以上をして、諸職を公選投票せしめたまうた。ここに謹載したのが、その詔である。

同日、太政官は、次のやうに令した。
去歳サルトシ閏月政体御造立相成アヒナリ候処、時勢之変遷ニ随ヒ適宜ノ政体大ニ御確定可有之コレアルベク候得共サフラヘドモ、千古未曾有御改革之儀ニツキ、一時ニ被施行シカウサレ候テハ却テ其宜ヲ失ヒ候儀モ可有之コレアルベク、依テ即今至急御改正無之コレナク候テハ不相済アヒスマザル廉々カドカド別紙之御改刪被仰付オホセツケラレ候事。
「別紙」には、左の如く定められてあつた。
上下議局被相開アヒヒラカレ候ニツキ、議政官被廃ハイサレ、左之トホリ被改置アラタメオカレ候事 
 上 局  議  長  副議長   議員
 行政官  輔相一人  議定四人  参与六人  辨事
     ○
輔相  議定  六官知事  内廷職知事
 右四職公卿諸侯ノ中ヨリ撰挙スヘシ
  但三等官以上スベテ会同入札ノ法ヲ用ユ
参与  副知事
 右二職貴賤ニ拘ハラス撰挙スヘシ
  但同断
     ○
輔相一人 議定四人 参与六人
 右今日入札撰挙被仰付オホセツケラレ候事
六官知事六人 内廷職知事一人 六官副知事六人
 右明十四日入札撰挙被仰付オホセツケラレ候事
     ○
 公 撰 次 第
時刻各以序次着座 但正服之事
次辨官事読詔書
次辨官事置入札箱於案上 但史官着座其側
次各記可挙之人名而納箱
次 出御
次参与等出箱於御座前而披之検其数 史官記之
次 入御
次輔相宣下
次議定参与入札了 辨官事於輔相座前披之検其数 史官記之
公撰の結果、三条実美は輔相に、岩倉具視・徳大寺実則・鍋島直正は議定に、東久世通禧・木戸孝允・大久保利通・後藤元曄・副島種臣・板垣正形は参与に、それぞれ当撰し、その他の諸官にも、従来要路に立つてゐた人々が多く当撰した。
〔追記〕指原安三編「明治政史」第二篇に曰ふ。「維新以来大乱の後規律立たず、諸務叢雑朝令暮改のそしりあり。大久保利通以為おもへらくこれ在職者の責なり。授職須らく公撰に由るへし、公撰つ大臣より始めよと、朝議之を可とし始めて投票法を用ゆ。しかれとも行政官吏を投票するは、此時を始めとし此時を終りとす。当時投票不可の議論復た盛なるに因ると云ふ。」


三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)

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