2017年10月3日火曜日

各国の帝王及び臣人に告げ給へる国書

(明治元年一月十日)


日本国の天皇、各国の帝王及び其の臣人に告ぐ。さきに将軍徳川慶喜、政権を帰さむことを請ふや、制して之をゆるし、内外の政事は之を親裁す。すなはち曰く、従前の条約には、大君の名称を用ゐたれど、今よりして後は、まさに換ふるに天皇の称を以てすべし。而して各国交接の職は、専ら有司等に命ず。各国の公使、の旨を諒知りやうちせよ。


〔史実〕
王政復古の大号令が発せられてから、間もなく、その年は暮れて、慶応四年(1868)の春を迎へた。ここに謹載したのは、一月十日、各国の帝王及び臣人に告げたまうた国書である。将軍徳川慶喜が政権の返上を請うたので、これを許し、今後は、内外の政治を親裁し、従前の条約に用ゐた大君の称を廃して、天皇の称となし、外交の事をばそれぞれの有司に命ずる旨、仰せ出されてある。「大君」は、徳川時代に幕府が外国との交際上将軍の別号として使用した僭称であつた。勅命を以て、諸外国に対し、天皇の御地位を明らかにせられ、徳川将軍を日本国主の如くに誤り信じてゐた諸国人の認識を是正したまうた新日本の外交方針に関する第一の御宣言である。なほ同年九月八日、一世一元の制を定めたまうて、明治と御改元あらせられたので、慶応四年は、明治元年となつた。


三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)

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