2017年11月18日土曜日

兵部大少輔及び御親兵少佐以上に賜はりたる勅語

(明治四年九月三日)


汝等ナンヂラ積年セキネン苦労クラウシ、モツ今日コンニチイタル。所謂イハユル実力ジツリヨクナルモノマツタ汝等ナンヂラ服役フクエキスルニリ。チンハナハコレトス。コトニ、方今ハウコン外交グワイカウ内務ナイム日新ニツシントキアタリ、邦家ハウカ盛衰セイスヰジツヘイ強弱キヤウジヤクソンス。汝等ナンヂラフカチンタイシ、イヨイヨモツテ紀律キリツ厳明ゲンメイ衆心シユウシン一致イツチシ、励精レイセイ尽力ジンリヨクセヨ。


〔史実〕
明治四年九月三日、兵部大輔・兵部少輔及び少佐以上の御親兵に、この勅語を賜はり、積年(多年)の苦労を嘉みせられ、外交も内務も日々に進んで行く時勢に、その任務の重大を自覚して、ますます励精尽力するやうにと御諭告あらせられた。兵部大輔及び同少輔は、何れもみな当時の職名である。明治二年七月の官制によれば、兵部省は、海陸軍・郷兵・招募・守衛・軍備・兵学校等に関する事務を所管とし、卿一人、大輔たいふ一人、少輔一人、外に大丞・権大丞・少丞・権少丞・大録・権大録・少録・権少録・史生・省掌・使部等の職員を置いた。「御親兵」といふのは、兵部省に直隷し、宮城の護衛に当つた軍隊の名称である。明治四年二月、この御親兵の制度が設けられ、鹿児島・山口・高知の三藩から、総数約一万人の御親兵を徴せられた。御親兵は、後に改称して、近衛兵といつた。


三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)

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