2017年11月19日日曜日

侍従の服制を更正し給へる勅諭

(明治四年九月四日)


チンオモフニ、風俗フウゾクナルモノ移換イクワンモツトキヨロシキニシタガヒ、國體コクタイナルモノ不抜フバツモツソノイキホヒセイス。イマ衣冠イクワンセイ中古チユウコ唐制タウセイ模倣モハウセシヨリ、ナガレ軟弱ナンジヤクフウヲナス。チンハナハ慨之コレヲガイス神州シンシウモツヲサムルヤ、モトヨリヒサシ。天子テンシミヅカコレ元帥ゲンスヰリ、衆庶シユウシヨモツソノフウアフク。神武ジンム創業サウゲフ神功ジングウ征韓セイカンゴトキ、ケツシ今日コンニチ風姿フウシニアラス。アニ一日イチジツ軟弱ナンジヤクモツ天下テンカシメケンヤ。チンイマ断然ダンゼンソノセイアラタメ、ソノ風俗フウゾク一新イツシンシ、祖宗ソソウ以来イライ尚武シヤウブ國體コクタイタテントホツス。ナンヂ近臣キンシンチンタイセヨ。

風俗フウゾク 「増韻」に「上ノ化スル所ヲ風ト曰ヒ、下ノ習フ所ヲ俗ト曰フ。」とある。この「風俗」の文字は、種々の意味に用ゐられてゐる。通常、「風習」と同じく、「世の習はし」即ち「世間に古くから行はれて来た事」といふ意味に用ゐられる場合が多いが、外に、「身ぶり」即ち「動作」といふ意味の用例もあり、「衣服のよそほひ」即ち「身なり」といふ意味の用例もあり、また「風俗歌」の略称ともなつてゐる。本勅諭は、服制の更正を仰せ出されたものであるから、「身なり」といふことを主としてこの語を解してよからうかと思ふ。

移換イクワン 「うつりかはり」または「うつしかへる」といふ意味の語である。

不抜フバツモツソノイキホヒセイ 「その勢を制するに不抜を以てする」といふに同じ。如何なる時の勢も、常に変らぬ態度で、これを抑へることをいふ。「不抜」は、その文字のとほり、「抜くことが出来ない」といふこと。堅くして動かないことの意味。「老子」に曰ふ。「善ク建テタルハ抜ケズ、善ク抱ケルハ脱セズ。」

衣冠イクワン 衣服と冠。「服装」といふに同じ。

中古チユウコ唐制タウセイ模倣モハウセシヨリ 「中古に至り、唐の制度にならつてから」といふこと。「中古」は、明治十五年に「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」の中に出づる「中世」と同じく、大化の改新の頃から、武家興隆の世までを、大凡に仰せられしものと拝する。「唐制」は、唐の制度、「模倣」は、「学びならふ」こと、また「まねる」こと。

ナガレ軟弱ナンジヤクフウヲナス 「軟弱の風に流れ」といふに同じ。おのづから弱々しい風となつて行くこと。「軟弱」は、「剛強」の反対。「弱々しい」こと。劉琨の詩に曰ふ。「咨余軟弱、弗克負荷。」

元帥ゲンスヰ 軍人の最高統率者。「左伝」宣公十二年に、「子元帥ト為リ、師命ヲ用ヰザルハ、誰之罪ゾヤ。」とあり、「職原抄」に「大将ハ之ヲ元帥ト謂フ。」とあり、和漢ともに古くから軍の総大将を意味する語となつてゐる。今日では、専ら陸海軍大将に賜はる称号となり、また天皇を大元帥陛下と申上げ奉る。

神武ジンム創業サウゲフ 神武天皇の御創業。御東征の大業を達成したまうて、御即位あらせられたこと。

神功ジングウ征韓セイカン 神功皇后の三韓御征伐。


〔大意〕
朕がよく考へて見るのに、風俗といふものは、その時々に都合のよいやうに移しかへて行き、國體といふものは、如何なる時勢にならうとも決して動揺すべきでない。衣冠の制度は、中古に唐の制度にならつたので、だんだんと弱々しい風に流れて来た。朕は、これを大いに慨いてゐる。我が国が武力を政治に用ゐてゐるのは、まことに久しいことである。天皇が御自身に軍の統率者とならせられ、多くの民は、その風を仰いだ。神武天皇の御創業や、神功皇后の三韓御征伐のことを考へても、決して今日のやうな身なりではなかつた。かうした弱々しい風は、一日も天下に示しておけない。朕は、今きつぱりと服制を改めて、その風俗を一新し、祖宗から今日まで伝はつた武を尚ぶ國體を立てようと思ふ。汝等近臣よ、朕がこころを体せよ。

〔史実〕
我が国では、古来、服装といふことが重んぜられて、雄略天皇の御遺詔の中にも、「ただ朝野みやこひな衣冠みそつものいま鮮麗あざやかなることを得ず」と仰せられてあり、その後、しばしば服装に関する詔を拝してゐる。本書の中に謹載した詔も少くない。

明治天皇には、明治四年九月四日、ここに謹載した勅諭を侍従に賜はり、服制の更正を仰せ出された。当時の服制が軟弱に流れてゐたことについて、「朕太タ之ヲ慨ス」と仰せられ、「今断然其服制ヲ更メ、其風俗ヲ一新シ、祖宗以来、尚武ノ國體ヲ立ント欲ス」と仰せられてある。服制御更正の聖旨をこの御言葉によつて拝察することが出来る。
〔追記〕「岩倉公実記」によれば、「上、侍従ニ勅シ、平常洋式ノ服ヲ用フルコトヲ暁諭シ給フ。」とある。また「翌壬申歳五月、車駕西巡シ給フノ時ニ於テ、始メテ新式ノ御軍服ヲ着御シ、其ノ九月七日ニ及ンテ、陸軍元帥ノ服制ヲ定メ、聖上大元帥トナリ給フトキノ御服制モ亦之ヲ設ケラル。後ニ十一月十二日ニ至リ、文官並ニ有位者及ヒ一般ノ礼服ヲ更メ、従前ノ衣冠ヲ以テ祭服ト定メラル。」とある。


三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)

0 件のコメント:

コメントを投稿