(明治元年八月二十七日)
現神と大八洲国知ろしめす天皇が詔旨らまと宣りたまふ勅命を、親王・諸臣・百官人等、天下の公民、衆聞食さへと宣りたまふ。
掛まくも畏き平安宮に御宇す倭根子天皇が宣りたまふ此の天日嗣高御座の業を、掛まくも畏き近江の大津宮に御宇しし天皇の初賜ひ定賜へる法の随に仕へ奉れと仰賜ひ授賜ひ、恐み受賜へる御代御代の御定有るが上に、方今天下の大政古に復し賜ひて、橿原宮に御宇しし天皇が御創業の古に基き、大御世を弥益益に吉き御代と個成賜はむ其の大御位に即せ賜ひて、進むも不知に退くも不知に恐み坐さくと宣りたまふ大命を、衆聞食さへと宣りたまふ。
然るに、天下治し賜へる君は、良弼を得て、平けく安けく治賜ふ物に在りとなむ聞しめす。爰に朕浅劣と雖も、親王・諸臣の相あななひ扶け奉らむ事に依て、仰賜ひ授賜へる食国の天下の政は、平けく安けく仕奉るべしと念ほしめす。是を以て弥正直の心を抱きて、天皇が朝廷を衆助け仕奉れと宣りたまふ天皇が勅命を、衆聞食さへと宣りたまふ。
〔註解〕
平安宮に御宇す倭根子天皇は孝明天皇、大津宮に御宇しし天皇は天智天皇、橿原宮に御宇しし天皇は神武天皇の御事と拝せられる。
〔史実〕
明治元年(慶応四年)八月二十七日、明治天皇には、紫宸殿に於て、即位の大礼を挙げさせたまうた。その御儀式には、従来の流例を改めたまひ、専ら古制に則らせられた。内外多事の折とて、大嘗祭は、特に御延期仰せ出され、東京へ御遷都の後に挙行あらせられた。
ここに謹載したのは、その御即位の宣命である。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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