(明治元年一月十五日)
外国之儀ハ、先帝多年之宸憂ニ被為在候処、幕府失錯ニヨリ、因循今日ニ至候。折柄世態大ニ一変シ、大勢誠ニ不被為得止、此度朝議之上、断然和親条約被為結候。就テハ、上下一致疑惑ヲ不生、大ニ兵備ヲ充実シ、国威ヲ海外万国ニ光輝セシメ、祖宗先帝之神霊ニ対答可被遊叡慮候間、天下列藩士民ニ至ルマテ、此旨ヲ奉戴、心力ヲ尽シ、勉励可有之候事。
但是迄於幕府取結候条約之内、弊害有之件件、利害得失、公議之上、御改革可被為在候。猶外国交際之儀者、宇内之公法ヲ以、取扱可有之候間、此段相心得可申候事。
〔史実〕
これは、明治元年(慶応四年)正月十五日、開国の御沙汰を国内に布告せしめたまうたものである。世態が一変したので、朝議の上、外国と和親条約を結ばせられることになつたから、上下一致、疑惑を起さないやうにして、大いに兵備の充実を図り、国威を諸外国に輝かすやうに、列藩士民に至るまで勉励しなければならぬとある。新政に伴ふ外交の方針を訓示せしめたまうたものと拝せられる。「宇内之公法」とあるは、今日の「国際公法」であらう。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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