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○輔相 ・議定 ・参与 何れもみな当時の職名。「史実」の中に説く。
○登庸 「登用」と同じ。適任者をあげてこれを用ふること。「書経」の堯典に曰ふ。「疇 カ咨 ヒテ時ニ若 ハンモノヲ登庸 ヰン。」
○神霊 降鑑 「神のみたまも御覧ください」といふ神に対する誓の御言葉である。「天地の神も照覧あれ」といふに同じ。文字のとほりにいへば、「神霊」は、「神のみたま」である。しかし、「大載礼」には、「陽之精気ヲ神ト曰ヒ、陰之精気ヲ霊ト曰フ。」といふ解釈がしてある。また「列子」の湯問篇には、「神霊ノ生ズル所、其ノ物異形。」とあり、霊妙なる造化の神を意味する語として用ゐられ、「史記」の五帝紀には、「生ニシテ神霊、弱イニシテ能ク言フ。」とあり、すぐれたる才能の意味に用ゐられてゐる。「降鑑」は、「降鑒」とも書く。天界から下界を監視するといふ意味の文字である。「詩経」王風の伝に、「上ヨリ降鑒スルヲ、則チ上天ト称ス。」とある。また神が人に加護を垂れたまふ意味にも用ゐられる。神武天皇紀元四年二月の詔には、「我が皇祖 の霊 や、天 より降鑒 りて、朕 が躬 を光助 けたまへり。」と仰せられてある。
〔大意〕
朕が考へて見るのに、国が安らかによく治まると、乱れて危くなるとの本は、それぞれの地位に適当な人を用ゐると用ゐないとにある。故に、今つつしんで御歴代の天皇の御霊に告げて、公選の法を設け、更に輔相・議定・参与を挙げて用ゐるのである。神々に誓つて間違ひのないやうにと心がけてゐる。汝等多くの者も、このこころに従つて行へ。
〔史実〕
明治二年五月十三日、明治天皇には、太政官に臨御あらせられて、三等官以上をして、諸職を公選投票せしめたまうた。ここに謹載したのが、その詔である。
同日、太政官は、次のやうに令した。
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〔大意〕
朕が考へて見るのに、国が安らかによく治まると、乱れて危くなるとの本は、それぞれの地位に適当な人を用ゐると用ゐないとにある。故に、今つつしんで御歴代の天皇の御霊に告げて、公選の法を設け、更に輔相・議定・参与を挙げて用ゐるのである。神々に誓つて間違ひのないやうにと心がけてゐる。汝等多くの者も、このこころに従つて行へ。
〔史実〕
明治二年五月十三日、明治天皇には、太政官に臨御あらせられて、三等官以上をして、諸職を公選投票せしめたまうた。ここに謹載したのが、その詔である。
同日、太政官は、次のやうに令した。
去歳 閏月政体御造立相成 候処、時勢之変遷ニ随ヒ適宜ノ政体大ニ御確定可有之 候得共 、千古未曾有御改革之儀ニ付 、一時ニ被施行 候テハ却テ其宜ヲ失ヒ候儀モ可有之 、依テ即今至急御改正無之 候テハ不相済 廉々 別紙之御改刪被仰付 候事。
「別紙」には、左の如く定められてあつた。
上下議局被相開 候ニ付 、議政官被廃 、左之通 被改置 候事
上 局 議 長 副議長 議員
行政官 輔相一人 議定四人 参与六人 辨事
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輔相 議定 六官知事 内廷職知事
右四職公卿諸侯ノ中ヨリ撰挙スヘシ
但三等官以上総 会同入札ノ法ヲ用ユ
参与 副知事
右二職貴賤ニ拘ハラス撰挙スヘシ
但同断
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輔相一人 議定四人 参与六人
右今日入札撰挙被仰付 候事
六官知事六人 内廷職知事一人 六官副知事六人
右明十四日入札撰挙被仰付 候事
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公 撰 次 第公撰の結果、三条実美は輔相に、岩倉具視・徳大寺実則・鍋島直正は議定に、東久世通禧・木戸孝允・大久保利通・後藤元曄・副島種臣・板垣正形は参与に、それぞれ当撰し、その他の諸官にも、従来要路に立つてゐた人々が多く当撰した。
時刻各以序次着座 但正服之事
次辨官事読詔書
次辨官事置入札箱於案上 但史官着座其側
次各記可挙之人名而納箱
次 出御
次参与等出箱於御座前而披之検其数 史官記之
次 入御
次輔相宣下
次議定参与入札了 辨官事於輔相座前披之検其数 史官記之
〔追記〕指原安三編「明治政史」第二篇に曰ふ。「維新以来大乱の後規律立たず、諸務叢雑朝令暮改の譏 あり。大久保利通以為 、是 在職者の責なり。授職須らく公撰に由るへし、公撰先 つ大臣より始めよと、朝議之を可とし始めて投票法を用ゆ。然 とも行政官吏を投票するは、此時を始めとし此時を終りとす。当時投票不可の議論復た盛なるに因ると云ふ。」
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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