2017年10月30日月曜日

贋金処分に関して集議院に下し給へる御下問

(明治二年九月二日)


贋金ガンキン天下テンカニ蔓延マンエンス。屢シバシバ厳禁ゲンキンアレトモ、未イマタ之コレヲ処シヨスル方ハウヲ得エス。官クワン或アルヒハ真貨シンクワヲ以モツテ引替ヒキカヘ換ンカ、是コレ姦カンヲ啓ヒラキ悪アクヲ誨ヲシフルナリ。或アルヒハ悉コトゴトク之コレヲ廃ハイセンカ、其種ソノシユ甚ハナハダ多オホシ。美悪ビアク並廃ヘイハイス、理リニ於オイテ行オコナハレシ。或アルヒハ其質ソノシツヲ析セキシ、元估ゲンコヲ以モツテ之コレヲ買カハンカ、是稍コレヤヤ人情ニンジヤウニ近チカキモ、能ヨク其方ソノハウヲ得エスンハ、反カヘツテ怨謗ヱンバウヲ速マネカン。夫ソレ貨幣クワヘイ流通リウツウハ、国家コクカノ由ヨツテ寧ヤスンスル所トコロナリ。然シカルニ上下シヤウカ困弊コンペイ如此カクノゴトシ。加之シカノミナラズ、互市ゴシノ際サイ、紛紜フンウンナキコト能アタハス。其ソノ皇威クワウヰヲ損ソンスル亦マタ少スクナカラス。方今ハウコン何ナンノ策サクカ克ヨク之コレヲ済スクヒ、公私コウシ両便リヤウベンヲ得エン。宜ヨロシク商議シヤウギシテ以モツテ上聞ジヤウブンセヨ。

○贋金ガンキン にせがね。贋造貨幣のこと。

○真貨シンクワ 正しい貨幣。

○質シツヲ析セキシ その内容を計り分ける。貨幣に含まれてゐる金属を分析して成分を明らかにすること。

○元估ゲンコ 「元価」と同じ。もとね。「估」は、「あたひ」(価)「うる」(売)「かふ」(買)等の意味を有する文字である。

○怨謗ヱンバウ その文字のとほり、「うらみそしる」こと。「漢書」五行志に、「怨謗之気、歌謡ニ発ス。」とある。

○互市ゴシ 国と国との貿易をいふ。「後漢書」の烏恒伝に、「歳時互市」といふ語があり、唐代には、互市監と称する役所が設けられ、外国との貿易事務を掌つた。故に、この「互市」は、古くから外国貿易の意味に用ゐられた語である。

○紛紜フンウン ものの乱れるありさまや、盛なるありさまをいふ語である。事件がもつれて解決が出来ない場合に、この語が多く用ゐられる。

○商議シヤウギ 「互に相談しあつて謀を練る」ことをいふ。


〔大意〕
にせ金が国中にはびこりひろがつてゐる。たびたび厳しく禁じてあるが、まだこれを処分する法が立たない。政府に於て、正しい貨幣と引きかへることにすれば、不都合なことをする智慧をつけ、悪いことををしへるやうになる。悉くこれを廃してしまふには、その種類が甚だ多く、またよいものも悪いものも、一しよに廃するといふことが、道理から考へても行はれない。貨幣の地金をはかつて、元値もとねで買ふのは、やや人情に近いが、その方法がよくないと、かへつて怨みを抱かせて非難を招くであらう。貨幣の流通によつて、国家は安定するものである。しかるに、上も下もかやうに困つてゐるのみならず、外国と貿易をするにも、かれこれと面倒なことが起つて来る。皇国の威光を損することもまた少くない。今の場合に、どういふ方法によれば、この弊をすくひ、政府も万民も、双方便利を得ることが出来ようか。よろしく互に相談して謀り、その結果を上聞せよ。


〔史実〕
江戸時代の貨幣制度は、頗る紊乱してゐた。徳川幕府が初期に鋳造した所謂慶長判は、その品質も比類なく良いものであつたが、太平の世がつづいて、奢侈の風を生じ、国帑こくどが窮乏するに従ひ、改鋳し新鋳する毎に、貨幣の質が劣悪になつた。徳川吉宗が将軍職を継ぐに至つて、弊政の改革を断行し、貨幣の如きも、慶長判と殆ど優劣なき享保判を新鋳した。しかし、積年の弊風は、容易に除却し難く、吉宗の薨去後、忽ち改鋳が行はれて、品質がますます劣悪となつて行つた。しかも、幕府は、貨幣の改鋳を以て、一種の財源となし、国帑の窮乏を感ずる毎に、劣悪な貨幣を鋳造し、在来の良貨と交換し、その差額を以て益金とした。全国の諸藩の中にも、久しき太平に狎なれ、驕奢に耽り、財用の不足に苦しんでゐるものが多かつたが、幕末の風雲が険悪を告げるに至つては、兵器を整へ、軍隊を練り、非常に備へる必要を生じて来た。窮餘の策として、藩札を発行し、一時を弥縫するの計を立てたのみならず、幕府の威令が漸く衰ふるに及び、貨幣の偽造・贋造を企てて、急を救ふものも少くなかつた。

かやうな乱脈な状態にあつたので、明治維新の当時、我が国に流通してゐた貨幣は、その種類が甚だ多く、鋳造貨幣に金貨・銀貨をはじめとして、銅・真鍮・鉄等の諸銭があり、紙幣に金札・銀札・米札・銭札・永札・傘札・紐絲札・轆轤札等があり、幕府の発行したものと諸藩の発行したのとを合算すると、一千六百九十四種の多きに達してゐた。

幣制が政治の基礎となることは、古今東西を通じて変らない。これらの貨幣を整理して、新らしき幣制を確立することは、明治新政府の基礎を固めるに、極めて重要な急務であつた。明治元年(慶応四年)四月、政府は、先づ太政官札を発行し、明治二年三月、参与大隈八太郎(重信)の建議により、新に金貨・銀貨・銅貨を鋳造することに決した。しかるに、徳川幕府は滅びても、なほ旧貨幣は依然として通用したのみならず、太政官鋳造の貨幣を嫌悪し、諸藩の偽造貨幣を喜ぶといふやうな傾向さへもあつた。

この贋金の処分について、宸襟を悩ませたまうた明治天皇には、畏くも、明治二年九月二日、ここに謹載した詔を賜はり、その対策を御諮詢あらせられたのであつた


三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)

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