(明治二年九月二日)
贋金天下ニ
蔓延ス。
屢厳禁アレトモ、
未タ
之ヲ
処スル
方ヲ
得ス。
官或ハ
真貨ヲ
以テ
引替換ンカ、
是姦ヲ
啓キ
悪ヲ
誨ルナリ。
或ハ
悉ク
之ヲ
廃センカ、
其種甚多シ。
美悪並廃ス、
理ニ
於テ
行ハレシ。
或ハ
其質ヲ
析シ、
元估ヲ
以テ
之ヲ
買ハンカ、
是稍人情ニ
近キモ、
能其方ヲ
得スンハ、
反テ
怨謗ヲ
速カン。
夫貨幣流通ハ、
国家ノ
由テ
寧スル
所ナリ。
然ルニ
上下困弊如此。
加之、
互市ノ
際、
紛紜ナキコト
能ハス。
其皇威ヲ
損スル
亦少ナカラス。
方今何ノ
策カ
克ク
之ヲ
済ヒ、
公私両便ヲ
得ン。
宜シク
商議シテ
以テ
上聞セヨ。
○贋金 にせがね。贋造貨幣のこと。
○真貨 正しい貨幣。
○質ヲ析シ その内容を計り分ける。貨幣に含まれてゐる金属を分析して成分を明らかにすること。
○元估 「元価」と同じ。もとね。「估」は、「あたひ」
(価)「うる」
(売)「かふ」
(買)等の意味を有する文字である。
○怨謗 その文字のとほり、「うらみそしる」こと。「漢書」五行志に、「怨謗之気、歌謡ニ発ス。」とある。
○互市 国と国との貿易をいふ。「後漢書」の烏恒伝に、「歳時互市」といふ語があり、唐代には、互市監と称する役所が設けられ、外国との貿易事務を掌つた。故に、この「互市」は、古くから外国貿易の意味に用ゐられた語である。
○紛紜 ものの乱れるありさまや、盛なるありさまをいふ語である。事件がもつれて解決が出来ない場合に、この語が多く用ゐられる。
○商議 「互に相談しあつて謀を練る」ことをいふ。
〔大意〕
にせ金が国中にはびこりひろがつてゐる。たびたび厳しく禁じてあるが、まだこれを処分する法が立たない。政府に於て、正しい貨幣と引きかへることにすれば、不都合なことをする智慧をつけ、悪いことををしへるやうになる。悉くこれを廃してしまふには、その種類が甚だ多く、またよいものも悪いものも、一しよに廃するといふことが、道理から考へても行はれない。貨幣の地金をはかつて、
元値で買ふのは、やや人情に近いが、その方法がよくないと、かへつて怨みを抱かせて非難を招くであらう。貨幣の流通によつて、国家は安定するものである。しかるに、上も下もかやうに困つてゐるのみならず、外国と貿易をするにも、かれこれと面倒なことが起つて来る。皇国の威光を損することもまた少くない。今の場合に、どういふ方法によれば、この弊をすくひ、政府も万民も、双方便利を得ることが出来ようか。よろしく互に相談して謀り、その結果を上聞せよ。
〔史実〕
江戸時代の貨幣制度は、頗る紊乱してゐた。徳川幕府が初期に鋳造した所謂慶長判は、その品質も比類なく良いものであつたが、太平の世がつづいて、奢侈の風を生じ、
国帑が窮乏するに従ひ、改鋳し新鋳する毎に、貨幣の質が劣悪になつた。徳川吉宗が将軍職を継ぐに至つて、弊政の改革を断行し、貨幣の如きも、慶長判と殆ど優劣なき享保判を新鋳した。しかし、積年の弊風は、容易に除却し難く、吉宗の薨去後、忽ち改鋳が行はれて、品質がますます劣悪となつて行つた。しかも、幕府は、貨幣の改鋳を以て、一種の財源となし、国帑の窮乏を感ずる毎に、劣悪な貨幣を鋳造し、在来の良貨と交換し、その差額を以て益金とした。全国の諸藩の中にも、久しき太平に
狎れ、驕奢に耽り、財用の不足に苦しんでゐるものが多かつたが、幕末の風雲が険悪を告げるに至つては、兵器を整へ、軍隊を練り、非常に備へる必要を生じて来た。窮餘の策として、藩札を発行し、一時を弥縫するの計を立てたのみならず、幕府の威令が漸く衰ふるに及び、貨幣の偽造・贋造を企てて、急を救ふものも少くなかつた。
かやうな乱脈な状態にあつたので、明治維新の当時、我が国に流通してゐた貨幣は、その種類が甚だ多く、鋳造貨幣に金貨・銀貨をはじめとして、銅・真鍮・鉄等の諸銭があり、紙幣に金札・銀札・米札・銭札・永札・傘札・紐絲札・轆轤札等があり、幕府の発行したものと諸藩の発行したのとを合算すると、一千六百九十四種の多きに達してゐた。
幣制が政治の基礎となることは、古今東西を通じて変らない。これらの貨幣を整理して、新らしき幣制を確立することは、明治新政府の基礎を固めるに、極めて重要な急務であつた。明治元年
(慶応四年)四月、政府は、先づ太政官札を発行し、明治二年三月、参与大隈八太郎
(重信)の建議により、新に金貨・銀貨・銅貨を鋳造することに決した。しかるに、徳川幕府は滅びても、なほ旧貨幣は依然として通用したのみならず、太政官鋳造の貨幣を嫌悪し、諸藩の偽造貨幣を喜ぶといふやうな傾向さへもあつた。
この贋金の処分について、宸襟を悩ませたまうた明治天皇には、畏くも、明治二年九月二日、ここに謹載した詔を賜はり、その対策を御諮詢あらせられたのであつた
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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