(明治元年十月十七日)
皇国一体、東西同視、朕、今東府に幸して、親しく内外の政を聴く。汝百官有司、同心戮力、以て鴻業を翼けよ。凡そ事の得失可否は、宜しく正議直諫して、朕が心を啓沃すべし。
○皇国一体 「皇国」は、天皇の統治したまふ国即ち我が大日本帝国の別名。「一体」は、一つの体の如く、統一したまふことを仰せられてあるものと拝する。
○啓沃 心をひらいて君の御心にそそぐといふ意味の文字。「書経」に出づ。
〔史実〕
明治元年九月、明治天皇には、東幸を仰せ出され、賢所を奉じて御発輦、途中、石部駅前に於て、農事をみそなはし、庶民の辛苦を偲ばせたまひ、また始めて渺茫たる太平洋を叡覧あそばされ、十月十三日、東京に御著、江戸城を皇居として東京城と称せしめたまひ、十月十七日、ここに謹載した詔を賜はつたのである。「皇国一体、東西同視」と仰せられ、百官有司に正議直諫を求めたまうてある。この優渥なる聖旨は、封建制度に苦しんでゐた官民に、まことに大いなる衝撃を与へたであらう。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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