(明治元年九月八日)
太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。朕、否徳と雖も、幸に祖宗の霊に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す。乃ち元を改めて、海内の億兆と与に、更始一新せむと欲す。其れ慶応四年を改めて、明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。
○太乙を体し 「皇祖皇宗の御遺訓を奉体して」といふ御意の御言葉であらうと拝察する。「太乙」は、星の名である。顧炎武の「日知録」に曰ふ。「太乙ハ、北辰ノ神名ナリ。下テ八卦之宮ヲ行キ、四毎ニ中央ニ還ル、漢ハ太乙祠ヲ甘泉泰畤ニ立ツ。宋ノ時ニ尤モ之ヲ崇祀シ、東太乙・西太乙・中太乙ノ各祠ヲ建テ、以テ太乙九宮ニ飛ビ、四十餘年毎ニ
一徙ス。臨ム所ノ地ハ、兵役興ラズ、水旱不作ナリ。」また「二占要略」
(上)に曰ふ。「太乙星ハ其本位北天ニアリテ八方ニ遊行シ、兵乱・禍災・生死ヲ掌ル霊妙不可思議ノ一星ナリ。」故に、最も尊き祖宗の御遺訓を、この霊妙なる星の名によつて仰せられてあるものかと拝察する。「太乙星」は、一名を「太一」とも書く。「太一」は、太初・太始を意味する文字であり、また天帝のゐます場所の名称であるから、それを「太乙」と混同し易い。
○景命を膺け 「大いなる命をうけて」といふ意味の語である。御歴代を一貫してゐる恒例を仰せられたものと拝する。
○元を改め 年号をかへること。「元」は「年号」である。新らしき年号の第一年をいふこともある。
○聖代の典型 よく治まつた御代の定まつたおきて。「聖代」は「聖世」と同じ。聖の御代である。天下太平の世をいふ。「典型」は、日常用語の「かた」「てほん」である。
○万世の標準 いつまでも変らない目じるし。韓愈の伯夷頌に曰ふ。「聖人乃チ万世之標準ナリ。」
○鴻緒を承け 皇位を承けつぎたまうたこと。「鴻緒」は、大いなる事業即ち国家統治の大業といふことから、転じて皇位を意味する語となつてゐる。「後漢書」順帝紀に曰ふ。「鴻緒ヲ奉遵シ、郊廟ノ主ト為リ、祖宗無窮之烈ヲ承続ス。」
○更始一新 旧きものを改めて新しくはじめること。
○永式 永久に守るべきおきて。「恒例」と同じ意味の語である。
〔大意〕
祖宗の御遺訓を奉じて皇位に登り、御歴代を通ずる大命によつて年号を改める。まことにそれはよく治まれる御代のおきてであり、永久に変らない標準である。朕は、徳の薄い者であるが、幸ひに祖宗の御霊のお蔭をもつて、謹んで皇位をつぎ、みづからすべての政を行ふに当り、年号を改めて、国内の万民とともに、何事も一新してはじめようと思ふ。そこで、慶応四年を改めて、明治元年とする。これから旧い制度をかへて、一世一元とし、それを永久の例と定める。当局の者は、これを行ふやうに計らへ。
〔史実〕
明治天皇には、御即位の大礼を挙げさせたまうた翌年即ち慶応四年九月八日に、この詔を下し賜はり、慶応四年を明治元年と改元の旨、仰せ出された。第三十六代孝徳天皇の御代に、はじめて年号を大化と定めたまうてから、御歴代の天皇は、多くその例に従はせられたが、古来、瑞祥や災異によつて改元を仰せ出されたので、御一代の中に、幾度も年号が変り、一年の中に再三の変更を見るといふやうな例もあつた。明治天皇は、この詔に於て、一世一元の制を定めたまひ、後に「皇室典範」第十二条に、「践祚ノ後年号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」と規定せられるに至つて、一世一元が永久の定例となつた。
〔追記〕
「明治」の文字は、「易経」の説卦伝に出てゐる。「聖人南面聴天下、嚮明而治。」これは、ただ参考として附記しておくだけに止める。典拠を他国の古典に求めて、その意味を詮索する必要はない。「明治」は、その文字のとほり、「明らかに治まる」御代を意味する国語として解することを妥当と思ふ。
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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