(明治元年三月十四日)
懸くも恐き天神地神の大前に、今年三月十四日を生日の足日と撰定て、禰宜申さく。今より天津神の御言寄の随に、天下の大政を執行はむとして、親王・卿臣・国国諸侯・百寮官人を引居連て、此の神床の大前に誓つらくは、近き頃ほひ、邪者の是所彼所に荒び武びて、天下佐夜藝に佐夜藝、人の心も平穏ならず、故是以、天下の諸人等の力を合せ、心を一つにして、皇我政を輔翼奉り、令仕奉給へと、請祈申礼代は、横山の如置高成て奉る形を聞食て、天下の万民を治給ひ育給ひ、谷蟆の狭渡る極、白雲の堕居向伏限、逆敵対者は令在給はず、遠祖尊の恩頼を蒙りて、無窮に仕奉れる人共の今日の誓約に違はむ者は、天神地祇の倐忽に刑罰給はむ物ぞと、皇神等の前に、誓の吉詞申給はくと申す。
○生日の足日 その当日を賀する語。「吉日」の意。「生日」は生ひ栄ゆる日、「足日」は足り満つる日である。「出雲国造神賀詞」に曰ふ。「
八十日はあれど、今日の生日の足日に、出雲国造、
恐み
恐みも申したまはく、」
○御言寄 お任せになること。「御委任」と同じ。前出。「みことよさし」は、「ことよさし」に「み」の敬語の加はつたもの、「ことよさし」は、「ことよす」の敬称、「ことよす」は、「事を委ねる」即ち委任・任命等の意味を含める語である。「大祓祝詞」に曰ふ。「我が
皇御孫の
命は、豊葦原の水穂の国を
安国と
平けく
知食せと、
事依し
奉りき。」
○天下佐夜藝 「天下がさわがしく」といふこと。動乱勃発の意味。「さやぎ」は、「さやさや」
(喧々)の活用。「
騒騒と鳴る」といふ意味の語である。「古事記」上巻に曰ふ。「豊葦原の水穂の国は、いたくさやぎてありけり。」
○輔翼奉り 「あななひ」は、現代語の「助ける」である。古代の詔勅や、宣命にしばしばこの語を拝してゐる。
○礼代 御礼のための贈物。「礼物」と同じ。また「ゐやじり」ともいふ。「古事記」下巻に曰ふ。「然れども
言以て
白す
事は
礼无しと
思ほして、
即ち
其の
妹の
礼物と
為て、
押木之玉縵を
持たしめて
貢献りき。」
○谷蟆の狭渡る極 「谷蟆が通つて行く限りのところ」といふこと。「どんな狭い隅の方までも」の意味。「谷蟆」は、「ひきがへる」の古名である。「祈念祭祝詞」の中に、「皇神の敷きます島の八十島は、谷蟆のさ渡る極、塩沫の留る限、狭き国は広く、峻しき国は平けく、」とあり、「万葉集」巻五・巻六の長歌にも、「谷蟆のさわたる極」といふ語が出てゐる。
○白雲の堕居向伏限 「白雲が地におりて伏してゐるやうに見えるかぎりのところ」といふこと。極めて遠方を意味する語である。「祈年祭祝詞」に、「皇神の見霽るかします四方国は、天の壁立つ極、国の退き立つ限、青雲の靄く極、白雲の堕居向伏す限、青海原は棹柁干さず、」とある。また「万葉集」巻三の長歌には、「天雲の向伏国の」といふ語がある。
○恩頼 御霊の恩恵。神恩の辱けなさを感謝していふ語。「日本書紀」には、しばしばこの語が用ゐられてゐる。神代紀に曰ふ。「是を以て百姓今に至るまで咸く恩頼を蒙れり。」
〔史実〕
前述の如く、明治元年(慶応四年)三月十四日、明治天皇には、天神地祇を祭りたまうて、五箇条の御誓文を誓御親告あそばされた。ここに謹載したのは、その当日の御祭文である。
なほ当日の御祭式次第は、次のとほりであつた。
一 午ノ刻、群臣着座、公卿・諸侯母屋、殿上人南廂、徴士東廂
一 塩水行事 神祇輔勤之 吉田三位侍従
一 散米行事 神祇権判事勤之 植松少将
一 神祇督着座 白川三位
一 神於呂志神歌 神祇督勤之
一 献供 神祇督・同輔・同権判事等立列拝送、同輔 津和野侍従 点検
一 天皇出御
一 御祭文読上 総裁職勤之 三条大納言
一 天皇御神拝 親ク幣帛ノ玉串ヲ奉献シタマフ
一 御誓書読上 総裁職勤之
一 公卿・諸侯就約 但一人宛中央ニ進ミ、先ツ神位ヲ拝シ、御座ヲ拝シ、而後執筆加名
一 天皇入御
一 撒供 拝送如初
一 神阿計神歌 神祇督勤之
一 群臣退出
三浦藤作 謹解『歴代詔勅全集 第5巻』(河出書房、昭和15年)
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